負のループからの脱却
40代主婦、パート、専門職。
立場的に難しいのもあるし、新しいことの吸収率が下がってきてるのもあるし、時代の流れにも鈍感になりつつある今日。
自信をなくしたり、自分の役に立たなさに無力感をおぼえることが多くて、その度に「若さ」ってこんなにも価値があるのかって思う。
何でもそうだけど、失ってわかるのよね、その価値の大きさを。
今日も落ち込みそうなことがあったんだけど、一気に巻き返せて、それは昨日、夫から聞いた言葉がキッカケだった。
大事な感覚だから、言葉にして残したい。
職場に居づらいと思う理由
私の職種って個別に担当を持つ関係から、パートで気軽に勤務しにくい職種だったりする。
それでも子どものサポートとのバランスを考えて、週2回のパート勤務を希望した。
しかし、肩身が狭い。
まず覚えが悪いし、今までの経験を上手く生かせないポジションだから、何のためにいるのかわからなくなること多数。
私は自分にあるのは、経験だけだと思っているから、その経験が生かせないとなると居る意味あるのか?って思ってしまって。
何か上手くいかないことがあるたびに、
「もう潮時か?」
「違う仕事をした方が気が楽?」
「私の存在価値って何?」
と自問自答を繰り返しがちで。
そのループにハマるとなかなか浮上出来ずにいたの。
自分で決めたことなのに、こんなにも落ち込んじゃうのは
「自分の価値を誰かに認めてほしい」
という気持ちの表れなんだろう、と自己分析はできていたけど、その時々で湧き起こる無力感や絶望感まではコントロールできずにいた。
ずっと誰かからの評価がほしくて頑張ってきていた部分があるもんなぁ。
ヨシヨシ、と自分を慰めてあげるものの、必要とされない人間であるという感覚が拭えなかった。
別に良いじゃないの、誰かの役に立たなくても。
私は私のために生きればいい。
誰かが助けを求めてきたら、精一杯応えられたらそれで十分じゃないの。
だけどね、助けを求めてきてくれたら精一杯応える意気込みはめちゃくちゃあるのよ。
というか、待ってました!と思っちゃう。
私にできることなら何でもしたい。
だけどね、本当は私が助けてほしいのよね。
もっと言うと、誰かに助けてほしいわけじゃなくて、自分で自分のことをちゃんと理解して、嬉しかったり落ち込んだりの浮き沈みを自分で処理できるようになりたいのよね。
人からの評価を支えにし過ぎたのよ、今まで。
だから自分の足でちゃんと立って、自分に湧き起こる感情や現実を受けとめる力をしっかりとつけたいのよね。
でもね、気持ちはあっても、具体的にどうやったらそうなるのかっていう部分がよくわからなくて、迷走してたの。
だから職場で湧き起こったネガティブな感情をいつも持て余してた。
言語化してなぐさめる、それもひとつだったけど、根本解決にならなかった。
俯瞰する必要がある、あたりまではなんとなく見当がつくようになったものの、俯瞰をどう操作していくのかが全く想像できなかった。
だから職場に居づらい気持ちをずっと引きずってて。
どう切り替えたらいいのかなって思いながら生活してた。
夫との会話からのヒント
私「ねぇ、うざい質問だってわかってるけど、どうしても聞きたいから聞いてくれる?
あのさ、私って時々そこまで言う必要あるの?って思うこととか、そこまでハッキリさせる必要あるの?とか、そこまで言われる筋合いないんだけど?と思うようなこと言っちゃったりするじゃない?
相手がイヤな気持ちになることがあるの知ってるけど、私にとって必要だから聞いちゃうのね。
聞き方もあるよね。
ニュアンスが違うだけで受ける感覚も変わるものね。
わかってるんだけど、今はできないことが多いのね。
でね、外では最低限にとどめてるつもりなんだけど、夫ちゃんとは信頼関係も厚いし、わかってくれるさなって甘々あって、つい言っちゃうわけね。
夫ちゃんもそれはわかってくれてると思うけど、でも瞬間的にはやりきれない感情とか湧いてくると思うのよ。
その辺ってどうなの?」
自分で聞いててもナンジャラホイなんだけど、今の私の混乱ポイントがここだから、お願いして聞いてもらう。
夫「まぁね、一瞬殺意だよね(笑)
でもそれだけだよ。」
この言葉でね、私、何かが弾けたよね。
パッカーーーン!とね。
殺意?(笑)
でもそれだけなんだ。
それでいいんだ。
それだけのことなんだって。
私、ずっとウジウジと考えちゃう方で、あの人を傷つけたんじゃないかとか、私ってイヤな人だなぁとか、もうね、ずっとウジウジ。
それは逆に私が言われたときも同じで、あの人にとって私の存在ってそういうことなの?とか、結構なめられてるってこと?とか、アレコレ詮索してはウジウジ。
自分への評価と結びつけちゃってたのね。
今日の職場でできた!
今日ね、仕事でデリカシーのないことをババンと言われて凍ったの。
私の年齢だと体力の問題も出てくるだろうから、配慮が必要になってくるかもしれないけどって。
それってどういう意味よ、私のこと使えないって思ってるってこと?
年齢と絡めるっていうのもひどくない?
私ってそんなに歳ですか?
私、そんなに動けてないですか?
(前に確認したときにはそんな話は出てなかったけど?)
めちゃくちゃモヤモヤした。
いつものごとく、自分の評価と結びつけちゃってね、私ってやっぱり価値がないの?なんて落ち込んだり。
そうなると、私はやっぱり仕事をしてる価値ないのかもとか、余計なループにハマっちゃって。
それがね、今日は夫の言葉をフッと思い出したのよね。
「殺意!」
そうやって、自分の中に芽生えた気持ちを自覚したの。
腹立つわ、なんなのよ、ひどい。
そうやって認めたら、不思議よね。
さっきの言葉には「殺意!」だけど、それでおしまいってできたのよね。
つまり、すぐに気持ちを切り替えることができたの。
私の中にある「ダメ」を手放す
これ、分かる人には分かると思う。
人に殺意を感じたらダメって思い込んでると、かえってモヤるのよね。
今日、すごく実感したわ。
私ね、人のこと悪く思っちゃいけないって思い込みが強くてね。
何か言われても、仕方ないんだって、悪気はないのかもしれないしって流そうとしてた。
明らかに悪気があったとしても、何かきっと理由があるんだって自分に納得させようとしたりね。
でも、実際にはその言葉で深く傷ついた自分がいるのに、その自分に対してのケアには意識がいかなくて。
自分の気持ちにフタしてた。
別に相手にイヤな気持ちが湧いたっていいじゃない、事実なんだもの。
そのネガティブな気持ちが湧いた自分をそのまま認めてあげようよ。
どんな気持ちでも湧いてきちゃうのは自由よ。
それをそのまま実際に行動に移さなければいいのよ。
感情と行動は切り離すってことよね。
「そうですよねー」
って、サラッと素通りする感じで必要以上に媚びなくていいし、心の中で「殺意!」って湧き起こってきたままを受けとめてあげる。
アンガーマネジメントでよく言う「6秒ルール」は、多分こんなふうにそのまま感情を受けとめた場合の時間じゃないかな。
今日は夫のマネして「殺意!」って湧き上がったまま認めたら、6秒で気持ちが切り替わったもの。
ホント、失礼しちゃうわよねって。
今まではね、グルグルと感情が空回ってたのよ。
「何でそんなこと言われなきゃいけなかったんだろう?
私が悪いの?
何かしたのかな?
それとも私のことそんなふうに評価してるの?
なんかすごくショック。
私が価値のない人間って言われてるみたい。
ひどくない?
もうこの人と一緒の空間にいるだけで落ち込みそう。」
そんなグルグルした気持ちは6秒なんかで消えなかった。
なんか見えない部分までいい人でいようとしてたのかな。
夫によく性善説で生きてるって言われてきたけど、そういう部分なのかなーって思った。
心の中だとしても、「殺意!」なんて思っちゃダメ!なんて自分を律してたもんね。
いいじゃんね、心の中で一瞬芽生えた気持ちを認めるくらい。
「殺意!」って唱えると、ちょっと過激な分、6秒経つとクスリと笑えるもんね。
なんていうか、ボッと一瞬で火が燃え上がって消える感じね。
なんかそういう感情の逃し方、知らなかったわー。
自然とそう考えられちゃう人には当たり前なんだろうけどさ、そういう考えに至らなかったらそうならないよね?
小さい頃から
「友だちたくさんできるといいね。
お友だちとは仲良くね。
悪口なんか言っちゃダメよ、相手が悲しい気持ちになるでしょう?
自分がされてイヤなことは相手にもしないのよ。」
そんなふうに聞かされてきて、自分がされたらイヤなことはしないって決めた。
素直に言うことを聞いて、正しい人間になることがいいことだと思っていたから。
ただ、「自分がイヤなこと」って、めちゃくちゃ主観なのよね。
ゆるーくさ、
「自分がイヤでも相手はそうじゃないこともあるし、逆もあり。
その時々の状況で判断することも必要よね。」
って考えられてたら、考えも固くならないで済んだのだと思うけど、私はちゃんと守らないと!って思っちゃったの。
それって脳の思考や認知のクセなのよね。
百ゼロ思考と状況把握の苦手さ。
息子たち見てても感じるし。
見えない部分だから、周りもそういう視点で見てあげないとわからないし、自分でも自覚ないし。
そんでさ、今の私なんてもういい大人なんだから分かりそうなものなのに、今でもそれを無意識に引きずってる。
そして、こうして一度意識して上書きしてあげないと、思考のクセってなかなか修正されないのよ。
理不尽な想いはそのまま受けとめてあげていい。
自分の気持ちを大切にしてあげていい。
ダメって思うから暴走するの。
ダメなのに、そう感じてしまった自分を否定するから、悲しくなるの。
自分が否定しちゃうから、誰かに肯定して欲しくなるの。
気持ちが爆発しちゃうの。
自分で自分の気持ちを認めてあげようよ、だってそれは事実だもん、自分が悪いわけじゃないもん。
ショックを感じてる自分、傷ついた自分を、だよねーって受けとめていいよ、ダメじゃないんだよ。
気持ちを受けとめると冷静な視点が生まれる
そんな些細なことなんだけど、私は気持ちの切り替えが下手だったから、仕事を続けるのが苦しくなりやすかったのは事実。
気持ちが切り替わらず私ってダメなやつなんだ、使えないやつなんだ、と卑下したまま現実を見ると、どんなことでも悲観的に感じてしまうんだよね。
今日の「殺意!」のあとは、自分でも驚くほど冷静になれて、職場と心の距離を自然と置けた。
自分の存在価値とか、やりがいとか、居場所とか、そこが原因だと思ってたけど、気持ちの切り替えの問題だったんじゃない?ってハタと気づいた瞬間だった。
冷静になれたら今までモヤモヤと気になってた部分が、意外とどうでもよく思えてきて、そんな自分にビックリした。
別にここで自分を理解してもらわなくたっていいじゃないね。
分からなくて当たり前だし。
っていうか、なんでそこにこんなにもこだわってたんだろう。
別にいいじゃん、パートって気楽な立場なんだから、気楽にしていれば。
私が努力しても上手く回らない部分は、正社員のあなたたちが上手く設定できてないからなんじゃないってシラッとしてたっていいじゃない。
実際に問い詰めるわけじゃなくて、それくらいに思って心の余裕を持っていた方が状況もよく見られて、その都度判断して行動できると思う。
人を悪く思うことや批判することを肯定してるわけではないの。
そうやって自責の念から気を逸らすことで冷静さを保てることが大事ってこと。
冷静さを保てることで、冷静な判断につながるし、目の前の人との関係悪化も防げたりする。
関係悪化をしないために悪く思わないようにする、という私なりの戦略は、結果につながらなかったわけだから(今思えば、これで関係を悪化させてたこともあったかも)。
何が良くて何が悪いか、という判断って難しいのだけど、自分が苦しまないための選択ってすごく大切だと思うのよね。
自分が苦しむ選択、つまりただ我慢したり湧き起こった感情を否定したりすると、巡りめぐって相手との関係悪化や見えない影響を与えることになるのだもの。
だからといって、気持ちを素直に相手にぶつけていいわけでもないじゃない?
どう気持ちを切り替えるか。
どうしても相手に伝えることが必要なときは、感情をのせずに冷静に淡々と、もしくはサラッと後に引かないようなカタチで、もしくは冗談に乗せて、伝え方って大事になる。
そこで、自分の気持ちを抑え込んでると気がつかないうちに言葉には乗ってしまって、伝わってしまうのよね。
だから私、「そんなつもりがない」はずなのに、あんまりいい捉え方されないことが多かった。
意図せず伝わってしまうって、無自覚よね。
だったら初めからちゃんと「殺意!」を受けとめて消化してあげておいた方が平和よね。
自分を気持ちを肯定するって気持ちいい
今日はこっそりと抱いた「殺意!」が気持ちよかった。
ホントに相手に殺意を抱いたわけじゃないけれど、ショックな気持ちが「殺意!」で相殺された感じがして。
いつもだったらクヨクヨ落ち込んで、暗い顔をして帰ったかもしれない。
そんな顔を見て、敏感な次男が反応して暴走したかもしれない。
暴走した次男のトバッチリを三男が受けて、泣いてたかもしれない。
泣いた三男を庇って次男に言い聞かせたことで、次男はさらに暴走を強めたかもしれない。
そんな現実に、自分の親としての自信を失っていたかもしれない。
この伝染って、実は我が家のあるあるで。
敏感な子には伝わっちゃうのよね、心情が。
私が仕事でしんどいとき、影響された次男がよく暴走してたから。
次男は私の仕事のことなんてわからないから、もしかしたら自分が苦しめてると勘違いしてたかもしれないよね。
子どもは親の表情に敏感だったりするからね。
ホント、申し訳ないことをしてきたよ。
子どもにはそんな想い、させたくないのにね。
でもそういう「子どもには〇〇させたくない」っていう想いから、母親って強くなれるのよ。
どうにかしたいってこんなにも真剣に悩んだことなかったもの。
いや、悩むのは良くしてたんだけど、具体的な対策を立ててちゃんと変わろうとするところまでは、自分のモチベーションを保てなかったことが多かった。
悩んで落ち込んで、気持ちを解消して終わり!ってな感じで。
今は違う、ちゃんと対策を立てて、実行して、ちゃんと効果を感じたいと思ってる。
今日はすごく嬉しかった、自分の気持ちをしっかりと受けとめることができて。
夫の言葉がヒントになって、親しかったり嫌われたくなかったりする相手に対しても「殺意!」って思っていいんだなーとか、「それで終わり」ってすることでいろんなことに結びつけないで切り替えられるんだなーって気づけて。
帰ってきたあとも、子どもたち3人と今日はとっても平和に過ごせた。
いつもと変わらないつもりなのに、何か違うんだね。
大切な気づきに感謝!
サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶