【ADHD】感情の高ぶりを分析する

昨日、職場で「人としてありえない!」という場面に出くわして、神経が高ぶってしまって。

クールダウンする時間もなく、そのまま買い物をしてから、夏季保育中の三男を迎えに行き、帰ってきたのね。

三男と次男は仲がいいのだけど、お互いに刺激し合って大興奮に向かいやすいの。

夏季保育で疲れていた三男に、次男の刺激は強くて、テンションがどんどん上がってしまう。

う、うるさーーい。


テンションコントロールが苦手な二人。

私もそうなのかもなぁ。

神経が高ぶっているときの刺激はしんどい。

でも疲れているときほど、コントロール効かなくて高ぶりを抑えられなくなるのよね。

私にも子どもたちにも言えること。


そうして刺激フルが続いた結果、昨夜は久しぶりに頭痛がひどかった。

そんな中でふと考えたこと。


刺激に対する注意とADHD

人は無意識のうちに「注意」を脳がうまくコントロールしているのよね。

「注意」には、持続、選択、分散などの種類がある。

持続は、集中といった何かに注意を向け続けること。

選択は、今どこに注意を向けるか、を選択すること。

分散は、注意を偏らせず、アレもコレも注意を分散できること。


例えば、持続は、学校の勉強など机上での課題に向かうときには大切になる。

選択は、ざわつく教室で先生を指示を聞くときに、先生の声に注意を向けるといったときに必要。

分散は、何人かと作業をしているとき、話に少し耳を傾けながら作業をして、時間の経過にも気を配る、みたいな感じで必要になる。


私は全てにおいて過集中傾向があって。

集中するのは苦じゃないのだけど、周りの声が聞こえなかったり、自分が気になった刺激で頭が埋め尽くされて他が入ってこなかったり、目の前のことだけしか見れなくなったりするのね。

それが当たり前だと思ってたときは、何にも気づけなかったのだけど、自分にADHD特性があるとわかってからは、少し周りを気にかけるようになったの。

で、近くにいる夫や職場のスタッフと自分を比較するようになって、その違いがハッキリしてきた。


で、やっと過集中な自分に気づいたのよ。

私はシングルフォーカス、つまり1点集中型で、過集中で全力投球がデフォルト。

結構めんどくさいヤツだった。

夫には害の少ない人として、認識されているけれど。


私が周りのことを全然気にしないのは、いつも目の前の何かに集中してるから。

でもその分、周りの目や声が入ってきてなくて、そのせいで状況が読めずにやらかすことが多い。

空気が読めないからアスペルガーじゃないかと思ったこともあった。

だけど、状況を人から聞くとあらゆる立場の人の気持ちが流れ込んできて苦しくなったりするから、注意の問題なのだろうと思う。

どちらの特性も、結果は「空気が読めない」なんだけど、私の場合はリアルタイムで把握できず、あとになってハッとするというか、ゆったりした時間で全てがつながってくるから、家で反省したり、しんどくなることが多いんだ。

思い込みも強くて。

いろんな状況から「こうに違いない」と判断すると、そこから視野を広げるのは意識しないと難しいし。

思い込みで自分の視野が狭くなってると、人の言った言葉も変な捉え方したり、ある視点でしか物事を見れなかったり、過剰反応し過ぎたりするのね。

自分で自分を苦しめる、という状況が起こりやすい。

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私はまだ、ADHD特性を愛せない

私の中のADHD特性、特に注意の部分に関しては、今も私を苦しめてる。

うまくいかない状況を振り返ると、視点が狭かったり、目の前に見えたことに反応しすぎてたり、周りが見えてなかったり、ということが多いから。


そんな私が職場で居場所を失わないでいられるのは、持ち前の一生懸命さと、人の気持ちを大切にすることなのかな、と勝手に思ってる。

ま、そういう人だよね、という感じ。

人は多分、自分に害を及ぼしてくる人に対しては過敏になりやすいと思っていて。

私の場合は、迷惑はかけることもあるけれど、害は少ないという位置付けじゃないかな。

もう、そのポジションで長いことなんとかバランスを取ってる気がする。


それでも今の職場にいられなくなった理由は、昨日のようなことが時々起こるから。

職場のある人の「人として」の境界を明らかに無視した暴力的な発言が、私を深く傷つけるの。

発言は、私に対してではなくて。

全く性格の違うスタッフに向けての発言。

これが度々起こる。

その度に、私は自分のことじゃないのに自分のことのように傷ついて、心が荒れる。


そして、この発言が発言者の「心理的な防御からくるもの」であることも理解してる。

それでも「人として」超えてはいけない線を軽々と超えてくるのは、私は許せない。

それに、心にグサッとくるダメージがキツい。


そのブレーキの効かなさが、私のADHD特性とかぶるから余計に許せないのかもしれない。

私は自分のブレーキの効かなさをいつも気にしてて、それを良くないと頑張って抑えてる部分だから。


同じ場面にいた10歳以上歳下の後輩たちは、私みたいに取り乱さず、どこか飄々としてる。

自分が言われたわけじゃないから気にならないのか、ああいつものことだとスルーできているのか、ショックだけどそれを見せないのか、わからないけれど。

私がひとりで、子どもか?と思うくらい、ショックを全身で表してしまう。

発言を受けた本人にも、あれは酷すぎるでしょ!とぶつけてしまう。←発言した人にじゃないよ


私がきっと、自分が攻撃されたら「ひどいよね」って味方してくれる人がいると心強いから、ついブレーキが外れてしまうのよね。

私はあなたの味方だから、と伝えたいのかもしれない。


そして、まぁ、そういう人がいてもいいよね、と思う一方で、ふと思う。

周りの空気を乱す結果になる、という意味では発言した人となんら変わりないじゃないか、と。

で、最終的に自分を責めてしまいやすい。

結局は私も同類なんだ、ブレーキの効かない人には変わりない…と落ち込んでしまう。


発言した人の発言に過剰反応するのは、自分がそれを許せてないからだ。

ブレーキの効かない自分が許せないから、人のブレーキの甘さに過剰反応する。


自分を含め、刺激の強い人が上の人に多い…という環境と、その刺激に振り回されてしまう自分を許せなくて、私は環境を変える決意をしたのが、最近のこと。

もうここにいないで済む、そう思う気持ちでだいぶ気分が軽くなってたんだけど、やっぱり人を蔑む発言には過剰反応しちゃったよね。

人を軽視することが、私は一番許せない。

蔑んだ発言をする、以外の方法で自分を守ったり、相手の暴走を落ち着かせることを考えてほしい。


わかってるのよ、それだって一筋縄ではいかないこと。

そして、私がそこにこだわりすぎてることも。

また、こだわりすぎるがために、過剰反応してるってことも。


きっと距離が近いのよね。

周りの人のことも、自分のことのようになんでも考えてしまって。

仕事である治療のときは、患者さんとの関係づくりにそれをメリットに変えられたりもするんだけれど、職場のスタッフとの関係はややクールで距離がある方が自分には関係を長く続けやすいんだと、今回実感してる。

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自分の生きやすさを考える

そんなわけで、刺激が強すぎて、久しぶりに夜の頭痛がひどかった。

鎮痛剤を飲んで、「デルタ株の初期症状は頭痛」という情報にビビりながら、夫に今日あったことを話した。


私「あんなにひどい発言をされたことに対して、怒りが止まらなかったの。

 そして、言われた人の心を守りたかった。

 きっとそれは立場的に私にしかできないこと、とも思ったし。

 だけど、実際にそれをやってみて、私もただのブレーキかからない感情的な人でしかないんじゃないかと思って、落ち込んだ。」


夫「人のために動く、何かをするって美しいかもしれないけど、それが本当に相手のためになっているかはわからないし、世の中には平気でそれを利用する人もいる。

 自分を守るためには、人のため『だけ』に動かないことだと思ってる。」


夫の話が心に響く。

夫のこと、ずっと冷たい人だと思ってた。

なんで子どもたちのために考えて、動こうとしないんだろうって。

周りの人の気持ちを考えて、動かないんだろうって。

私は人が傷つくのがイヤだし、誰かのために動くのって俄然やる気になるんだよ。

そういうパッションみたいなものが、夫にはないことにずっと違和感を感じていて。

でも違う。

自他の区別をしっかりとしていて、自分のことを守りながら、周りの人とも適度な距離感で上手くやっていくスキルなんだと思った。


それは今の後輩たちにも感じてた。

なんで言われて悔しいって思って、ナニクソーって頑張る感じがないんだろう。

淡々と自分のペースで仕事をするのが上手くて。

言われた一言で一喜一憂する私とは違う。

上手く見えるだけかもしれないけれど、私よりはずっと上手だなって思ってた。

私より少し上の同僚は、同じようにそんな姿を見ていて


「上手くやってると思うけど、もう少しガムシャラ感がにじみ出てくるような、必死な感じが伝わってくるような、人間味を感じたいなとは思うね。

 なんかクールで飄々としてて。

 打たれてもそれは横に置いておく。

 スゴイけど、なんかちょっと物足りなさもあるよね。」


私自身が、ずっとガムシャラ感満載で生きてきたから、若者たちよ、すげーわ!って思ってたけど、そういう見方もあるね。

何がいいんだか、よくわからなくなってた私に、いろんな見方があることをいろんな人から学ぶ。

そういうこと、今までゆっくり考えたこと、なかったんだなぁ、私。

意識が向かなかったんだ。


まぁ、そんな私だけど、私は私のままでこの職場にいる意味はあったのかもしれないなぁ。

ガムシャラな人がいてもいいよね。

ただ、私は違和感だらけで、自分が情けなくて、周りの評価とは裏腹にどんどん自信をなくしてしまったのだけど。


ま、いろいろ考えても仕方ない。

今の私が浮き彫りになった今の職場に感謝しつつ、私らしさが心地よいと思えるような環境と自分のコントロールをもう少し考えて、新しい職場で試していこう。

ひとつひとつが自分への挑戦。

うまく歯車が合わなかった私の心と行動を、少しずつ合わせていこう。

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下がった心そのままに

今朝は頭痛が落ち着いてた。

よく寝たからね。

感染したわけじゃなさそうでホッとした。

今日もまた仕事に行く。

正直、気持ちは重い。

こんなとき、個人で完結する仕事で良かったと思う。


私、今までも似たようなことあった。

その度に心が荒れてた。

でも今ほど自覚できてなかったし、揺さぶられた感情そのままに生きてたと思う。


こうして、自分の気持ちを丁寧に扱っていくって大事だ。

時間はかかるけど、私を大切にする時間だもの、必要だよね。

今まで人の気持ちばっかり考えて、私の気持ちにはスルーしてきてるんだもん。

その分を今してると思えば、ね。


私は職場の人のある言葉で、ものすごーーく悲しくなった。

人をなんだと思ってるのって思った。

それを我慢しきれずに一緒にいたスタッフに話した。

でも思っていたような反応じゃないのは、私の年齢が離れすぎているせいもあると思う。

どう対応していいかわからないのかもしれないよね。

私、今までずっと同じ歳くらいの人たちと働いてきたんだもん。


うまくモヤモヤを晴らせられなかった、それだけのこと。

私は変えられない現実ではなくて、変えられるモヤモヤな気持ちをどうにかすることだけ考えたらいいんだ。

私は私でいいし、現実は良くも悪くもある。

そんな現実に左右されて感情が上下しやすい私の気持ちを、自分でうまく扱えるようになろう。

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