青空を見上げて、今の望みを自覚する

週末キャンプに行って、雲がゆったりと木々の間を動いていくのを見つめながら、いろいろ考える時間が持てた。

風が強くて、雲の動きが速い。

この雲のように、私は生き急いでいたんだなぁと振り返りながらため息をついた。

もう40歳。

あっという間だったよ。

頭に浮かんだ言葉のひとつひとつを言葉にして、これからのことを考える記事。


向き合えなかった気持ちと向き合えるタイミング

今までずっと、とにかく目の前のことをこなすので精一杯だった。

空回りしていることも多くてつらい日々だってあったのに、その事実とどう向き合っていいのかもわからず、ただただ過ぎていく時間に追われて動くことしかできなかった。

20歳まではそんな感じだったな。


学生を終えて就職したとき、私はまだまだ葛藤を繰り返してた。

そんなときに夫と出会ったの。

思えば、自分ではどうにもならない気持ちを抱えていて、生きてるのがつらかったタイミングだったと思う。

「私にはこの人しかいない」

私をそのまま受け入れてくれた夫のことを良き理解者だと感じて、付き合うことにして、1年と少しで結婚することを決めた。

夫が好きだと感じる前に、私が一緒にいてこんなにも心安らかにいられる人はいなくて、それがものすごく心地よかったのね。

そのあと、夫を知るたびにジンワリジンワリと夫らしさに惹かれていくのだけど、当時はつらい日々を一緒に駆け抜けてくれる存在がいるだけでこれからも生きていける気がした。

夫は私が生きていくために必要な存在だったの。


自分と向き合うキッカケを上手く生かせず、私は夫と結婚し、マイホーム購入、出産、仕事復帰、と「やるべきと思っていた数々のイベント」をこなすことに夢中になった。

自分と向き合うことを横に置いて、人生を進めることに意識が向いちゃったんだよね。

というか、それをこなさなきゃいけない人生の課題のように感じてたから、自分と向き合うよりも優先順位が高いように考えたのかもしれない。

自分と向き合えるほど精神面が成長できてなかったから、今できる方を選んだのかもしれないけどね。

あのね、発達特性がある人は心の発達が人よりもゆっくりと進んでいくなんて話を聞いたことがあって。

人が20代で超えられるような課題が30代にならないと立ち向かえなかった…私の場合はその捉え方もできるよね。


今やっと振り返ってわかる。

ああ、私は幼かったし、わかってなかった。

きっと周りの人たちはわかっていたのかもしれないな。

私は違和感を感じながらも、進んでいくしかなかったよ。

それしかできなかったよ。


そして、40歳になってやっといろんなことが考えられるようになってきた。

もしかしたら、結婚に逃げずにひとりの時間を過ごしていたら向き合わずにいられなくなってたのかなと思うこともある。

だけどね、そうしていたとしても難しかった、きっと。

自然と、社会の中で自分の立ち位置をつくる、そこでゆっくりと自分を育てるという選択をしてた。

精神的な自立ができていないことで、上手くバランスが取れなかったけれど、バランスが取れない経験があったからバランスを取るにはどうしたらいいのかを考えようと思えるようになったんだもの。

上手くいかなかった経験をしないと、自分には自分と向き合う必要があるなんて視点を持てたり、優先順位が高くなることはなかったんじゃないかな。


今の私はそういう人生の流れというか、人としての成熟に向かう過程の中で、「生きていく上で必要なバランス」を深める時間を過ごしている。

自分の中から出てきた想いや考えを否定せず、そのまま受けとめて、考えてあげたらいいんだよね。


「内面を深めたい」という想い

なんとなく自分から湧き起こる感情をそのままに、noteに言葉をつづってきた。

出てきた言葉に自分なりに意味を考えたり、自分を理解するキッカケにしたり、自分を励ましたり応援したり。

その都度、まとまらないなりにいろいろ考えてきたよね。

まずは自分の想いを明確に…言葉にして自覚したかったんだ。


最近、noteのトップページ表示が変わったでしょう?

私にとって興味のあるワードが並ぶようになって、そこに出てくる記事がたくさんあって、いろんな方の記事に触れやすくなったと思わない?

私はわざわざ知りたい何かを検索しなくても、なんとなく知りたいことが書かれている記事に出会えるようになったと感じてる。

私の記事に対しても、スキをくださる人の幅がすごく広がったなぁと感じていて。

一期一会。

私の好きな言葉。

そんな出会いがたくさん転がっている感覚。


そこで偶然出会った記事に、私はたくさんのヒントをもらったの。

花都さん。

繊細さんの強みがいっぱい書かれた記事だと思う。

この中のこの文章。

内面の世界が豊かな人は、外の環境や状況に振り回されにくい。
それは繊細さんとは真逆のように思えるけど、根がしっかり張ってる木は簡単に倒れないみたいなイメージでしょうか。繊細な人の感受性の高さは私たちの想像を越えたポテンシャルを持っているようです。

ステキ。

さらにはコチラ。

私たちの内面の世界が深まる時ってどんな時でしょうか。
心になにかしらダメージがあった時だと思います。私たちは傷ついて初めて自分の心に目を向けます。体も同じで、健康な時に自分の体を気にすることはありません。

繊細さんは、この自分の心に目を向けるチャンス=内面の世界が深まる機会が人一倍多い。繊細だからこそ内面を豊かにすることができるのです。
これは傷付けば傷つくほど良いということではなく、傷ついた時にその感情に向き合い、自分自身や世界についての思考を深めることで問題を解決していき得られるものなのでは、と私は思います。


うんうん、ホントに、そういうところが繊細さんのすごいところ。

夫と長男が繊細さんでね、私は彼らを知るたびにそのすごいところを目の当たりにして、自分の生き方がすごく薄っぺらのように感じたの。


私は繊細な部分もあったけど、彼らのように上手く深めていくことができなくて、深めたくてもどうしたはいいのかわからなかった。

でも繊細な2人と一緒に過ごしていると、あり方そのものにすごく影響されるのよね。

今までの私ってなんだったんだろうって思って。


自分ひとりでは上手く向き合えなかった自分と、向き合うキッカケをもらえたのよね。

最初はできない自分を責めたり、彼らのように生きられなかった自分が情けなく思ったりしたの。

でも彼らにはない、自分の中のいい部分にも気づけたりしてね。

これが私なんだ、って。

今、大切な気づきをもらえたことに感謝して、このタイミングで私がずっとしたかった「内面を深める」ことを思う存分楽しませてもらおうって思った。

そう捉えたら初めて自分の中でスッキリして。


どこかではわかってたはずなんだけど、花都さんの言葉でより深まったというか、カチッとハマったというか。

自分を成長させるとか、大切にするとか、そういう言葉よりももっとカチッと、深いところでハマった感覚。


人はね、「頭」で考えたいとき、「心」で感じたり聞いてほしいとき、「腹」落ちするほど自分を深めたいときってあるんだって。

今、自分がどこの部分を欲しているのかを感じられるって大事みたいなのね。

今の私は腹落ちしたい、深めたい、そういう時期なんだと思う。

そういうときはアレコレやることを増やすよりも、じっくりと感じたり考えたりする時間を持てることが大事なんじゃないかな。

私は今、そういう時間が持てるように仕事をセーブできて、本当に良かったんだと思う。

なんか、やっと前向きに捉えられたような?

今までは前向きに捉えられるように、自分で仕向けてたところがあるけれど、自然にストンと腑に落ちたよね。


仕事では逆の想いが

仕事ではね、ずっと自分の治療に関して、深めてきたと思う。

人に触ることの意味から、必要な治療の選択と治療効果、目の前の人との信頼関係。

だからね、プライベートでは自分の内面を深めたいんだけど、仕事では逆で、周りの人との協力とか調和を考えた動きをすごく気にしたくなってるのね。

そのバランスってめちゃくちゃ難しいんだけど、やりながら調整していくしかなくて。

ここに関しても、新たな視点を与えてくれたのが花都さん。

この視点だよね、うん。

で、私は仕事柄もあってめちゃくちゃ西洋寄りの考えで。

今、統合医療を学ぶ機会を得て、東洋医学との違いを改めて理解しているところ。

西洋医学のクッキリハッキリな世界が私は好きで。

それでカチッとハマると、根拠に応じた治療で解決できることってたくさんある。

だけどそんなに全てがカチッといくなんてこともなくて。


やっぱり人だよね、その人個人の持つ背景の理解が必要だよね…となる。

万人に通じる絶対的なものとそうでないものとがあるのよね。

両方の知識を持ち、状況に応じて選択できるのが最強!と思うけど、今の日本の医療が西洋医学ベースだからね。


ぼんやりと結論を出すとすれば、個を見て全体を見て、また個を見ての繰り返しが大事なんじゃないかな。

自分のことだって、自分の内面をグッと深めるタイミングもあれば、外見を磨く時期もあるだろうし、人との関わりを大切にしたいと思う時期だってあると思うの。

自分が欲している時期に欲していることを叶えてあげる。

それが大事なんじゃないかな。


長男と会話する

ああ、私、内面を深めたくてこうやって葛藤してるんだ。

そう実感したら、長男に話さずにいられなかった。


長男は小学4年から徐々に学校から離れ、今は学校に行かない選択をしてる。

私は長男が高めたいこと、伸ばしたいこと、やりたいことと学校の環境がミスマッチだったんだと今は解釈してる。

内面を深めたい時期が一気にきたのに、やらなきゃならないことが押し寄せる学校で、しかも自分の学びたいことではないことで、自分の理解者もいなくて、意味がないと感じたんだと思う。

学校に行かない2年間で、思う存分長男は内面を深めることができて、心のベースが安定した。

その深め方は私の世界にはないことで、今でも私はわからなくて、だからその分野においては、私の師だと思ってる。


私「ママね、やっと葛藤の意味がわかったよ。

 ずっとやらなきゃいけないことに意識が向いてて、結果ばかり気にしてて、表面的な生き方してきたのよね。

 長男くんや夫ちゃんと話しててそれを実感して、私も内面を深めて同じ世界を感じたいし、見てみたいって考えたんだと思う。

 めちゃくちゃ葛藤するね。

 ママは考えて、それを仕事とかで実行して、実感からまた考えてってしないとなかなか深まらないのに、長男は家にいてコツコツ進めてたのがスゴイね。

 長男はもう抜けたんでしょ?

 何をヒントにしてたの?

 出口はどんなところにあったの?」


長男「ひたすら考えてたからね。

 情報の入手先はいろいろだよ。

 本とかネットとか。

 出口かぁ…確かにあったけど、うまく表現できないな。」


私「でも抜けたんだねぇ、スゴイな。

 ママの悩んでることの理解も、どの視点で考えたらいいのかも、いつも的確につかむもんね。

 ホントにすごいなって思う。

 自分が深めたいとか学びたいと思うことがそのタイミングで取り組めるってすごく大事なことだよね。

 自分が欲してることってグングン吸収するもん。

 長男くんを見てて、それをすごく感じるし、ママも自分が今深めたいことは自分ひとりでは難しかったことだから、夫ちゃんや長男くんがいる今、そのタイミングなんだなぁって思うよ。」


長男「オレも学校に行ってたら、こんなに考える時間はなかったと思うし、ここまで達成できてないと思う。

 自分がそのとき何を選択するか、何を大切にしたいと思うか、それを考えることはすごく大事なことだと思う。」


そうだね。

そして、そういう話が長男とできることが本当にありがたいし、嬉しいよ。


自分の育ちを大切にすること

自分の興味関心が周りの人間とは全然違うところにある、それは私も小さいときから感じてた。

中学のときは音楽が好きでもないのにクラシックにハマっていたし、やたら色の写真集を読み、ひたすら好きな詩をノートに写してた時期もあったしね。

学校に行けば、ドラマが、流行りの歌が、っていう話題であふれていたけど、私は全然興味を持っていなかったもの。

今思うと私はそのとき、感性を高めたかったのかもしれないね。

色や音、言葉が表現する世界に浸っていたかったんだ。


周りの人にはあまり興味がなくて、学校では一緒に行動する友だちが1人か2人、いればよかった。

人との関係を築くために必要なことを学びたいと思ったのは、仕事を始めてそこの大切さに気づいたからだし、実際に学びが進んだのは自分が子育てしてからだった。


興味が限定的で、人との関わりに興味が持てない…私もしっかりとその発達特性を持っていたね。

でも発達の順序や優先したいカテゴリが人とは違うっていうだけで、発達はするよ。

ゆっくりと、必要なタイミングで。

それを周りから否定されたり、否定されている環境になければ、自分らしく成長していけるんだと思う。


世の中一般的な尺度を当てはめて

「こうすべき」

というのは、社会で生きていく上で必要な視点ではあると思うのね。

だから子どもたちにはわかりやすい形で説明し、理解してもらう必要はある。

学校ではこういう姿勢を求められたりするよ。

それはこういう理由があるからだよって。

だけど同時に、その情報をもとに自分で考えて選択することも大事にしたいよね。

僕はこうしたいという気持ちを大切にしつつ、どこで折り合いをつけるか、どこを学校にお願いできるか、親子で考えていけるといい。


そして、それは自分にも言えること。

自分にとって今必要な育ちを感じ、大切に生活していいと思う。

社会や仕事では、自分の立場で必要とされる職務を務めたらいいし、おうちでは母としてできることを積み重ねたらいいし、その中で自分が今高めたいこと、育ちたいこと、獲得したいことを大切にする。


ああ、その感覚いいな。

自分の育ちを大切にできたら、子どもたちに対しても一般論を押し付けすぎず、その子なりの育ちを一緒に楽しんだり、一緒に考えたりできそうだもの。

そうしながら、私はひとつ上の視点を持てるようになりたいな。

もう少し俯瞰した見方っていうのかな。

こういうことかなっていう見立てができるようになって、堂々と落ち着いていられる感じ。

自分が深められたら、人との距離感を修正できる気がするし、人とのやりとりにおける自己否定や罪悪感が減ってきたら、もう少し前向きな姿勢で日々を過ごせそうな気がする。


私、すごく頑張って日々生活してきたつもりなのに、劣等感がどうしても拭えなくて。

今の職場でも経験年数はあるけど情けないことばかりで、自分を理解すればするほど何にもない人間のように感じてしまって、苦しかった。

きっと今はそれに気づいて、それをバネにググーンと自分を育てる時期なんだよね。

人にはいろんな時期があっていいし、それを楽しんでいい。

私と人は違ってて当たり前で、それを強要されることもすることもしなくていい。

それを認めることは、一種の「孤独」を味わうことにもなるのだけど、だからこそ一期一会を深く味わえたり、一時的な深い関わりを持つ子育ても価値のある時間になるんじゃないかな。


私は今、自分の時間ができるとつい、自分を深めたい衝動に駆られてしまうのだけど、そんな自分にオッケーを出そう。

長男みたいに、出口を見つけてまた一歩進めるように。








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