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「仕事で満たす」からの卒業

今までめちゃくちゃ仕事にやりがいを感じてました。

強い想いのまま、目の前の方のために全力を尽くすって気持ちよかったんです。

だけど、そんな自分から卒業します。

そんなに簡単には手放せない想いなので、まずは言葉にしてみようと思います。


やりたすぎて止まらない

今朝、私は仕事で満たすのをやめようと決めた。

こうでもしないとケジメがつけられないというかね。


無理やりではないよ。

環境さえ整ったらまた、そりゃね、走りたいの。

思いっきりね。

目の前のたったひとりのために、私の20分もしくは40分を捧げる最高の時間!

その人が困ってることだったら、いくらでも勉強して、なんとかしたいって全力で頑張った。

それが私にとっての仕事。

理学療法士。


天職だと思ってきた。

産休明けだって、仕事に行きたくないって思ったことはなかった。

私のすることが、目の前の人の役に立てるのってめちゃくちゃ嬉しかった。

ドーパミン、ドッパドパ。


だけどね、それから卒業しなきゃいけなくなったのを実感してるの。

自分で決めた。

いや、悩んだよ。

でもそうやって仕事に自分の全パワーを注ぎ込んでさ、家に帰ったら何にもできないってどうなのよ。

家に帰ってからが大変なんだよね。

苦手な家事、予測不能な子どもの行動、スケジュール管理とお手紙や宿題などの把握、子どもや夫との何気ない会話。

どれも少し気持ちに余裕があって、元気がないとできないことばかり。


9月まで勤務してた職場は、めちゃくちゃやりがいがあって、楽しくて、全パワーをつぎ込んで、うまくいかないときはダメージが半端なくて。

どちらにしても仕事から帰ってくると家のことが全然できなかった。

でも仕事に行けば、それくらいやりたかった。

条件反射みたいな感じで、その気持ちの高まりを知っているから、テンションダウンすることができなかった。

手の抜き方もわからなかった。

というか、抜くと罪悪感というよりも私らしさが消えてしまう感じで、どうしてもできなかった。

思うように、思いっきりやりたかった。

でもそれをやると家庭はうまく回らなくて。

結局、仕事と家庭、どっちかを取るしかなくて、私は家庭の平和を優先したの。

夫がペースダウンというのは、状況的に考えづらかったし。

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不器用な私

何度も悩んで夫にも話して、何度も泣いたよ。

その中で、私って不器用だなって思った。

本能というかさ、体が勝手に反応しちゃうわけ。

仕事に行ったらガッツリやりたいの。

止まらないの。

スキを仕事にするって難しいと思った。

手加減したくないんだもの。


責任を持ってやりたいから、子どもの体調不良でも休みづらくて、それも自分を困惑させた。

体調の悪い子どもと一緒にいてあげたいと思ったし、そうしたいのに、仕事のことを考えるといてもたってもいられない。

休むことであの人のコレを良くしてあげられないのは申し訳ないし、やってあげたい!

どっちもやりたい。

それで、両立できないものか考えたけど、ダメだった。

全てを叶えるなんて難しい。

私は可能な範囲で夫に休んでもらったけれど、基本的には子どもを優先して動くのは私の方が多かった。

それは仕方ないことだし、子どものことを考えたらそうしたかったからそうしたの。

それに後悔は全然ない。

だけど体が2つに分裂したらいいのに、とは何度も思ったよね。


あとね、発達特性のある子どもたちをいちばん理解してあげられる親でいたかったのもある。

ふふ、アレもコレもなんて、無理よね。

欲張りなんだなぁ、私。

全部やりたいと思って、どれも中途半端になって。

でも中途半端なのがいちばん嫌いで、上手くいかなくてイライラしたし、ミスも多くなった。

こんなんじゃダメだから、いちばん大切なものを優先しようって思ったの。

それはやっぱり家族で。

今、家族での時間を大切にできなかったら、めちゃくちゃ後悔するって思った。

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試練は新しい学び

家族を優先する、でも仕事は細く長くで続けたい。

仕事と家事の両立、生活費、そして自分の成長ややりがいのために、転職を決断したのは去年の夏だった。


私の転職目的は、扶養内パートで家庭と両立を叶えること。

具体的には少ない日数で働くことができる環境。

そして、急な休みやシフト変更にも対応できる環境。

それには担当患者さんを持たずに、代行メインでやる必要があった。

その日の仕事を振り分けてもらい、言われたとおりにこなすの。

経験があるからできると思った。

今までいろいろ経験してきたんだもの、私にはできると思っての一歩だった。


これがね、やってみたら思っていたよりもダメージが大きくて。

私のやりがいって、自分で考えて、自分で治療して、結果からまた考えて、という繰り返しの中で生まれていたし、その中で目の前の方の想いや生き方に触れて、オリジナルのプランを考えていくことだったから。

どんなカタチを目指していくのか、一緒に考えて、一緒に目指していくのが楽しかった。

それが、代行では難しい。

だって担当してるスタッフの想いや考えがいちばんだものね。


当たり前だけど、私とは違う。

似たような方向性でやってきていて、そうそう!と思える人もいれば、そう考えるのかぁって人もいる。

それは長年やってくれば、自分のスタンスができてくるから、そういうことって多々ある。

私がやりたいことやアプローチ方法はこっちなんだよなぁ…この方にはきっとこっちのアプローチの方が効果がある気がするんだけど…と勝手に湧き上がってくる想い。

(それは正しい正しくないっていうよりも、人によって合う合わない、効果が出る出ない、の差に過ぎなくて、仕事としてはどちらも間違いではない)

今はね、それにブレーキをかけて、仕事としてやるべき内容をこなすの、淡々と言われた通りにね。

それがこんなにも大変なことだと思わなかった。

というか、言葉にしたら言われたことを言われた通りにこなすってさ、社会人として当たり前の考えで、当たり前の感覚なはずなのに、私、今までそうやって仕事をしてこなかったことに改めて気づいたの。

そう、私の仕事って基本的には個人プレイ。

専門職の良さってここにあるのよね。

だから今までこんなふうに自分のやり方を押し殺すこととか、言われたままやるとか、そういう機会ってなかった。


実は昨日の試練はそれだった。

1日言われた通りにこなすこと。

もう17年も自分のやり方でやってきて、自分のスタンスが出来上がってる状態だからね、自分のスタンスよりも他の人のやり方を優先してやるっていう、脳内スイッチをしっかり押して、モードチェンジが必要なの。

今までやったことなくてさ。

治療目標は共有しても、やり方までは強要されたことなかったからね。


人のやり方でやってみて、今までの私の想いややり方って、人との距離がなんて近いんだろうって実感できた。

想いが強い。

人のために考えすぎる。

人のために動きすぎる。

そういうことに気づいたかな。

いい悪いのジャッジじゃなくて、私ってそういうスタンスだったんだって、客観視できた。


いい学びだと思ったよね。

今までやったことのないことを体験してみるって。

今まで自分が経験してこなかったこととか、私だったら絶対にやらないと強く考えてたこととかね。

それをやらざるを得ない状況。

すごい経験よね。

きっとそういうタイミングなんだろうなぁ、私の。


以前だったら強く反発してしまったり、どこかでボロが出ちゃったり、上司に相談したり、我慢できずに転職を考えてたかもしれない。

それだけ私は自分の想いにいつでも忠実に動いてきたんだよね。

それはそれで、専門職としては悪くなかったから今まで続けられたんだと思うけど。


だけど、気づいちゃったよ。

子どもたちに社会性が!とか言っておいて、私こそ自分の想いと社会人としての振る舞いのバランスが取れてなかったってこと。

私がそんな背中を見せてるから、子どもたちも社会に反発しちゃうの?

それとも遺伝子がそうさせてる?

どっちにしても、私は私で成長しなくっちゃ。

なんか、今はそんな気持ち。


母親が社会に出ているメリットって、社会性が学べることかもしれないね。

社会性と自分らしさのバランスをどう取りながら生きていくのかの背中を見せてあげられることって、悪くないよね。

これからは男の子だってもっと家庭的になっていく部分が増えるだろうし、うちにはいないけど、女の子は社会で活躍する機会が増えると思う。

仕事と家庭のバランス、ワークライフバランスって本当に大事だよね。

そういう学びって大事だね。

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仕事に没頭したい欲求から卒業する

仕事に逃げてたのかな。

自分の想いと治療をよく思ってくれる患者さんや利用者さんがいたから。

私が頑張れば頑張るほど、喜んでくれる人がいたから。

そうすることが仕事でもあったし、悪いことをしてるわけじゃないし。


だけど、なんだろうな。

上手くいく世界に逃げてたのかもね。

上手くいかない部分は直視できなくて。

上手くいかない部分っていうのは、きっと自分の思うようにはならないことで、自分の考えや視野、価値観の外にある世界なんだろうな。

それは子育てだったり、仕事の一部だったり、夫との関係だったりね。

私の中にないものってわからないし、不安だし、怖いし、イヤだし、それよりもわかってる自分のやり方とか、経験の中から安心できるものを選びたくなっちゃって。

それを横に置いて、今、目の前にあるよくわからないこと、経験したことのないこと、自分の考えとは違うこと、自分にとってはあり得ないことをそのまま見て、聞いて、できないならできないなりに受けとめるってこと、したことなかったかもしれない。

怖くて。

それよりは自分のやり方を認めてほしいとか、そのやり方でやった方が上手くいくんじゃないかなとか、固執しちゃってたな。


きっと私は今まで、私とは違う考えがあるってこと、頭ではわかっていても、心では受け入れられてなかったんだ。

自分の中に受け入れられるような余裕もなかったと思う。


だけどもう認めよう。

自分にできないことはたくさんあるんだ。

違う考え方だっていっぱいあるし、それは一概に正しいとか正しくないとかで線は引けない。

そもそも全部ちゃんとやろうとしなくてもいいんだし。

今の私が今できること、今やりたいこと、今の優先順位を大切にしていいのよね。

自分を満たしてくれるものは、仕事だけじゃないよ。

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仕事以外のことで自分満たそう

ADHDって飢餓感強くない?

私だけかなぁ。

人よりも欲が強い、飢餓感がある、ちょこっとだと満たされない。

それは人よりも失敗や怒られることが多かったことによる「満たされなさ」からくるのかもしれないね。

その満たされなさを何で満たすか、なんだけど、ついわかりやすい「他人からの評価」「数字やお金などの成績」「他人からの感謝の言葉」「関わる人の笑顔」に影響されすぎちゃったんだよね。

刺激に反応しやすいADHDさんには、あるあるなことかもしれない。


このADHD当事者さんの言葉、私にも当てはまるよ。

私もいろんな経験を経て、こういう考え方に落ち着いてきたと思ってるもの。


自分で自分を満たす、社会の「こうあるべき」に振り回され過ぎない、私は私でいいのよね。

そしてみんなにわかってもらえなくていいし、わかる人には伝わるし、必要以上に頑張り過ぎなくていい。


だから私は、仕事で自分を満たそうとすることから卒業しようと思う。

仕事に期待し過ぎない、仕事で満たそうと思い過ぎない、仕事で役に立つことが自分の価値だと思い込み過ぎない。

私は自分で何に力を入れて、何をサボって、何を楽しんで、どんなふうに生活するかっていうことを、ひとつひとつ自分で選択していいの。

人の目が気になったら、そのときにまたそのさじ加減を考えたらいい。

そうやって少しずつ、自分の気持ちを聞いてあげるといいのかもしれない。


仕事でさ、私はこれまでたくさん経験してきたのに、今は役に立てない、必要とされないことに対して、ものすごく寂しさがあるんだと思う。

もっと頼られたい、多くの経験をスゴイと思われたい、みたいな。

でも実際は私が聞かなきゃいけない立場で、だけどトラブルは起こせない、みたいな、なんか勝手に自分で窮屈に感じてて。


今はそうなんだね、私!でいい。

その理解を職場に求めないで、自分で自分のことを深く感じてあげるのが先。

成果に依存し過ぎてた自分を自覚しよう。


一度心を真っさらな状態にして、今、自分に大切なことをもう一度考えてみようと思う。

片付けでもやるでしょ、全部出し。

それと同じよね、心も。

全部出して、取捨選択して、必要なものや大切なものだけ自分に戻す。


私にとっての仕事さん、今までやりがいをたくさん感じされてくれてありがとう。

たくさん満たしてくれてありがとう。

また、そこに突き進んでいい日まで、さようならだね!

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