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【苦手なこと】人の好意を受け流すこと

私は人の好意をサラッと受け流すことが苦手です。

私を少しでも想ってしてくれたことに対して、流すとか、罪悪感ハンパない。


実は、私の仕事の失敗は、大抵そこがベースになってます。

人の好意も受け取っていいものと、良くないものがあるんですよね。

考えたことがなかったのだけど、それは前の職場の最後の最後に上司がメールでサラッと教えてくださいました。

私はそのメールでめちゃくちゃ泣いたのですけど。


受け取ってはいけない好意

人の好意はサラッと流せない人は、人情に厚いというか、人の気持ちを大切にしたいと思っている人だったりしますよね。

受け取ってしまったあとも、その好意をテキトーに流せず、なんとなく気にかけるようになってしまう。

別に特別視する必要はないはずなのに、なんとなく心に残るんですよね。


で、そういう特別視を狙っているような好意だとしたら、受け取るとトラブルに発展しやすいんですよね。

物でもお金でも気持ちでも。


夫や長男は、ママは騙されやすいから気をつけて、と言います。

そんなの、ないない。

だって話していればその人がどんな人で、下心があるかないかくらいわかるもの。

だけど、人の好意の扱い方は難しいです。

どんな理由であっても、受け取らないことに罪悪感があるからですね。

そこをつかれたら、きっと騙されるというよりは断れない、という形でトラブルが起こる可能性はないとは言えない…と思ってしまいました。

それくらい、人の気持ちを適度に扱うって苦手です。

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強い想いは注意が必要

なんでこんな話をいきなり言葉にするのかというと、昨日書いたこの記事ですね。

実は何度も読み直して、自分の気持ちを落ち着けていました。

自分がほしいような言葉をうまく使えて、まとまった記事だなって、客観的に読んでもそう思って。

そういう記事は「スキ」の反応も良くて、なんだか背中を押された感じでした。


でもね、自分にとって強い想いは、時に牙を剥くんです。

ものすごい短所が実はものすごい才能だったり、長所に変わるっていうのは良くあることだけど、自分が長所とか自分のいいところと自覚してるところって、実はそれがトラブルの元になってたりするっていう。

一見、良さげな「丁寧に人と関わる」という想いも、一直線はリスクも伴うと考える必要があるって気付きました。

そしたら、ハッとしたんですよ。

それが冒頭の通り。

あ、私の失敗の多くが、この想いがベースにあるかもって、わかりました。


自分の中の強い想いとは、うまく付き合う必要がありそうです。

確かに、前の職場では想いを全開で仕事をしたために、うまくバランスが取れなくなったわけですしね。

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好意を一括りにせず、判断して選択する

私、仕事で人の役に立ちたいと思って一生懸命考えるし、実践しているので、その結果喜んでくれたことの好意は尚更受け取らないってできないんですね。

嬉しいことだから。

で、上司はメールで、その好意は受け取ってもいいのだと教えてくださいました。

その言葉にホッとして。

なんだか悪いことをしているような気持ちになっていました。


でもね、私がそういう姿勢でいるから、好意をお渡ししなくてはと思う方が出てきちゃうのかもしれない…現に前の職場では、最後にお気持ちを渡してくださる方が多くて。

子どもと一緒に食べられるお菓子、日常使いのタオルや文房具など。

お手紙も一緒にくださる方もいたり。


そういうつもりでやっているわけじゃないけど、やっぱり嬉しく思ってしまう。

で、嬉しいと同時に、想いが強すぎる自分をめんどくさいと常々感じてました。


想いの強さは大事。

だって原動力だもの。

ADHDにとって、行動の原動力となる気持ちってとっても大切なこと。

でもやり過ぎはトラブルの元なのよね。


最近、トラブルになる好意を理解したので、もう受け取っていい好意を受け取ることさえ罪悪感でいっぱいになってしまいました。

百ゼロ思考、厄介です。

白か黒かしか、受け取れない脳みそなんですよね。

その時々でどちらか判断して、決めたらいいことなのに。

脳みそはどっちのモードでいたらいいのさ?と白黒ハッキリつけたがります。

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価値観を見直す

私は人からの好意が嬉しくて、頑張ってきたことが報われるような気がしていたのだけど、そこの認識を変える必要があるって気付きました。

必要以上にそこに固執する必要はないんだ、と。

結果、人のためになれば、それは良かったなと思う程度でいいのかもしれない。

私は私に課された仕事なり、役割を丁寧にこなすだけで十分なんですよね。

人の役に立ちたくて仕事をするのはオッケーだけど、役に立てなかったらバツではない、と。


私は仕事ではお金をもらってやっていることなのだから、ちゃんと結果も一緒にお渡しできなきゃダメだって思っていました。

100%の結果を渡すのは、どんなことであれ難しいはずなのだけど、日本ではお金を出せばそれなりの対価がもらえるもの、という認識がいつの間にか根付いている気がします。

そうなるのが当たり前で、そうならなかったらクレームもの、みたいな。


神さまじゃないんだから、できないものはできないのですよね。

ミスやトラブルをゼロに近くすることはできても、ゼロにはならないです。

だからこそ、そうなったときの対応があるし、もっと被害を広げないような対策が必要なんですよね。


そういうさじ加減全般がものすごく苦手です。

シンプルに、クールに、感情を交えずに考えるとか、感情を横に置いておくとか、そういうのがとことん苦手です。

そこにつけ込まれて、子育てがしんどくなることも多々ありました。

子どもはどんなことをすれば自分の要求が通るか、本能的にわかっているので、そこをつかれちゃうわけですね。

それやられると、私、ボロボロ。


そんな自分を脱したくて、もっと感情を切り離して考えられるようになりたくて、noteで客観視するようにしてます。

自分を楽にしてあげられるのは、きっと自分だけ。

「こうでなければダメ」

と、いつの間にか決めて、そうじゃない自分をつい排除しようとしがちな自分を、もっともっと自分らしくていいって認めてあげたいです。


今、毎日苦しい。

時間はできたし、ホッとできたし、余裕があるって大事だけれど、一度自分責めモードになると、フラットな自分に戻るまでの時間の長いこと。

特に仕事をしているときより、家にいるときの方がフラットに戻すのは難しいです。


それでも立て直さなくちゃ、私、母親だし妻だもの。

今はそれが自分を支えてるんでしょうね。

じゃなかったらきっと、私ずっと自分を苦しめてたんだろうなって思います。


まぁ、いつかは何とかなると思ってます。

1年1年が大きく違うもの。

だから、ポヤーっとしてたって、試行錯誤してたって、きっと1年後の自分ってそんなに変わらないはず。

自分の努力なんてそれくらいで、それ以外のチカラも結構大きいものですよね。

だから、自分はどんなふうに過ごしたいと思っているかが大事なんでしょうね。

結果じゃなくて、自分がどんなふうに過ごしたいか。

やっぱり私は穏やかに暮らしたいです。

どんなときでも、自分の選択を肯定して過ごしたいです。


うん、自分でひとつひとつ意識して選択していこう。

その積み重ねが未来の自分を作っていきますよね。

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