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夏のはじまりとダンス白州

 毎年、「あ、今日、夏が始まったな」と思う瞬間があるのだが、今年はそれが長雨のせいで例年より遅かった。やっとそうと思えたのは八月の上旬。遠距離恋愛の果てに失恋しそうという友人からのSOSを受け、待ち合わせ場所である都内某所の屋上庭園にたどり着いた午後四時過ぎだった。彼女との話は恋愛相談のみならず多岐に渡り、相談に乗っている私のほうが気付かされることも多い、実り多い時間だったのだが、恋愛やら仕事や将来について、理論立てて考えをまとめ意見を交換するのに大きな助けになったのが、相談場所に選んだこの線路沿いの屋上庭園だった。夏の庭の緑のあざやかさと空の広さ、そこに吹く一陣の風に、どれほど救われたかわからない。
 こういうことがあるたび、自然ってスゴイなあ。と、心の底から思ってしまう。
「もう人生終わりだ」「どうせ誰からも愛されないんだ」というような気分のとき。もう、どうしようもなく、そうとしか思えないとき。誰しもに分け隔てなく吹く夕暮れの風の現実感に、これまで何度ハッとさせられて来ただろう。自然は人間の情緒なんかおかいましにやってきて、人を焦がしたり冷やしたりしながら無言で過ぎ去る。季節というやつに私はいつも翻弄され、挑発され、時に癒され、絶句し、ばかみたいに救われたりする。

 夏の始まりというものを人生で初めて、そして一番クリアに感じたのは夏の白州でだったと思う。

 山梨県北杜市白州町。私の大学四年間のたいていの夏をそこで過ごした。

 きっかけは大学一年の時の夏季講習。恩師の木幡和枝先生に連れられて行ったのが最初だった。白州では舞踊家の田中泯さんらが主体となり、白州市で舞踏と農業を両立させながら暮らす、身体気象農場という機関を発足していて、年に一度のイベントとして「ダンス白州」というアートイベントが開催されていた。

 夏季講習はダンス白州が始まる直前に行われ、私たちは森の中にテントを張りながら、舞台の背景になる土壁や、汲み取り式のトイレなどを作りつつ、その合間に泯さんから身体表現のワークショップを受けた。
 いろいろなことをした。山の中を裸足で歩く。それどころか、地面に大きな穴を堀り、全裸になって首だけ出して土に埋まったり。目隠しをしたまま野に放たれ、森の音をじっくり聴いたり。農場で飼っているヤギを一日中観察して、ヤギの模倣を発表しあったり。川に出かけ「右半分だけ浸かって、左半分は外に出してみよう」と泯さんが提案したときには、「あの、コンタクトが流れてしまうので……」と言いにくそうに手を挙げた生徒に対して、泯さんは不機嫌になるどころか「ああそっかぁ、コンタクトかぁ」などとはにかんで笑っていた。

 泯さんは毎日の農作業で色濃く日焼けした、筋肉のしっかりついた長い手足がきれいで、禁煙パイプを挟んで両切りのピースを吸っていた。言葉をひとつひとつ選びながら、おだやかに、でもはっきりと物申すあの静かな喋り方。初年度、夏季講習を終えて白州を去る時、生徒たちの見送りにバス停まで来てくれた泯さんに恐れ多くも「泯さん……!抱きしめて、いいですか!」と聞いた私に「しょうがねぇな〜」と言いながらOKしてくれた泯さん。両手をハーフパンツのポッケに入れたままの理由を聞くと「両手が開いてたら抱きしめ返しちゃうじゃん」と照れながら言われ、うっかりしんでしまいそうなほどのオトコマエぶりにくらくらした。

 泯さんにとっては私など、都会から夏の度にやってくる世間知らずの大学生に過ぎなかったかもしれないけど、私にとって泯さんは今も昔も、ずっと「特別なおとな」だ。好きだとか尊敬しているだとか、そういう言葉ではなんとも言い表せない。でも、泯さんから教えてもらったことがなければ、今の私は存在しないと確信を持って言うことができる、そういう人だ。

 恩師の木幡先生も、白州ではいつにも増してパワフルだった。
「冷房がないところで寝るなんて絶対にイヤ。虫もいるし」などと言い張り、夜中にタクシーを呼びつけると一人だけキャンプを逃れペンションに泊まったりするくせに、イベント中はやたらと張り切って、白いシェフ帽をちょこんと頭に乗せて、会場でスープ屋さんを開いたりしていた。(今思うと、あのクソ暑い中でなぜスープ屋をやろうと思ったのか謎である)
 料理上手だった木幡先生の作った、ニンニクの利いた世界各国の熱いスープの味を、私は今でもはっきりと思い出すことができる。木幡先生は泯さんのプロデューサーという立場だったけれど、もうじゅうぶん大人だったふたりの、はつらつと言っていいほどの快活な姿を思い出すと、なんだか仕事仲間というより仲の良い兄妹のようにも見えた。ささいなことで子どものような大喧嘩もしていたが、翌日はまじめな泯さんが謝ってすぐ仲直りをしていた。家族でもなく、夫婦でもないふしぎな関係に、ハタチなりたてくらいの私は「こういう人間関係もあるのか〜」などと感心したりしていた。

 ダンス白州が始まると、会場の森一帯はまるで異世界だった。むせ返るような暑さと鬱蒼と色濃く茂る緑の中で、世界中のどこからか集まってきたダンサー、ミュージシャン、俳優、絵描き、彫刻家、写真家、映像作家、新聞記者、TVマン、その家族、赤ん坊から仙人じみたガリガリの老人までが同じ空間に集い、飯を炊き野菜をかじり、朝まで酒を呑み、りんりんとした勇気と好奇心でカオスそのものを共有していた。ああいう唯一無二の祭りの時間を、私はおとなになったら作ることができるのかとハタチの頃から自分に問い続けているが、その度にまだまだだと思う。今はもうダンス白州も無く、泯さんに会うこともないし、木幡先生は死んでしまったけれど、私が思う「最上の空間」のひとつは確かにあの夏の白州であり、あの場所を知ってる人がまだこの世に散らばって存在していることは、私のこころをいつでも少しだけ強くしてくれる。

 それから何年も経ち、こうして失恋しそうな友達と話している線路沿いの屋上庭園は、全然白州とは違う。あそこの緑はこんな風に整備されていないし、足元はコンクリじゃなく土だし、見えるのは山ばかりでビル群も線路だって見えない。けれど私は、二千二十年の八月に、東京の屋上庭園で、なぜだか白州にいるような気分になっていた。暑さと仕方なさと限界まで肉体を酷使したあとの泥のような疲労の中で、日差しの角度や雲の色合いの移ろいや無遠慮な太陽光をただただ怠惰に平等に、バカ暑い中浴び続けて、私は今年も夏が始まったことを知る。

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