サラリーマンから専業主婦へ
以前にも書いたが、わたしはOL生活を10年した後、出産を機に退職。
専業主婦となった。
子どもと向き合いたくて、自分の手で育てる気持ちが強くて、あっさりキッパリ退職したが、
中々ハードな試練が待ち受けていた。
まずは、1人きりでの出産。
もちろんマタニティクリニックのドクターが取り上げてくれたが、夫は海外出張中。
家族は1人も間に合わず、早朝に一人きりでの出産となった。
次に、1人での退院。
子どもは38週の早産だったため、一緒に退院出来ず。
わたしは、一足先に退院。
搾乳して一日に何度も母乳を届ける役目。
これが、かなり辛かった。
子どもの退院まで、何度病院に足を運んだことか。
ストーカーのように、我が子に会いに行った。
そして、いよいよ我が家に連れて帰ってきた日。
病院から家までは、夫の付き添いがあった。
でも、その日から会社に行っちゃったよ。
はい。ワンオペ育児スタート。
とはいえ、新生児にできることは限られている。
授乳、オムツ替え、沐浴、だっこ、話しかける。
初めはそのくらいしかしてあげられない。
モノの本を読むと、TVの音もよくない。
クラシックや童謡を流す。
目をみて話しかけてあげよう。
ながら育児はせず、向き合おう。
良いこと書いてある✨✨
変なところでマジメなわたし、実践しました。
育児日記もつけました。
2時間おきの授乳とか。
おしっこ、うんちの回数。
全部記録。
こうやって書いてるだけで、息苦しい生活だったんじゃない?と聞かれそう。
今ならやらない。
でも、当時は見本なんてなくて。
仲間の中では出産が早かったため、お手本になる友人も居なくて。
変なところで几帳面な性格が影響しましたよ。
仕事のようにそれをこなしてしまった。
もし、この時気付いていたら。
これをやらなかったら、この後の涙の日々?!はなかったかもしれない。
授乳は2歳のお誕生日過ぎまで。
わたし、ガリガリに痩せました。
さすがに、風邪も治らないし、食べても痩せちゃうし、眠りも浅いし、体力が落ちてきた…
当時通っていた母乳教室の先生に断乳を勧められて、自分の胸にマジックでアンパンマンとバイキンマンの顔を描いて(本気で描いたよ!)おっぱいにばいばいしました。
泣く我が子を見て、号泣する私。
でも、無事に卒乳。
事件はこの後少ししてからでした。
きっと、ホルモンバランスが一気に変わったから。
わたしの体調の変化。
気分の変化。
胸騒ぎ、動悸。
朝、夫を送り出すときに、一度だけ行かないでと頼んでみた。(覚えてないだろうけど)
帰ってきた返事は
"ちゃんとして"
この、ちゃんとしてって言葉、何度言われたか分からない。
大人になれとか、頑張れみたいなことなんだろうけど、すでに疲れ切っていたわたしはパンク。
ある日、デパートで母と一緒にランチをしていたとき、わたしは何故か椅子に座っていたら息苦しさを感じて、店を出てはしばらくして戻るということを繰り返した。
母に"病院にいったら?"と言われ驚いた。
わたし、倒れそうなくらい真っ青な顔をしていたらしい。
"自律神経みてもらいなさい"と。
自分が疲れてるのは分かっていたけれど、その時まで、自分がおかしいとは思っていなかった。
後から思い返せば、15分で行ける場所に30分以上かかったり、階段が登れなかったり、準備が思うように捗らなかったり、色々なサインが出ていたけど。
当時はこの状態がメジャーではなかったんだ。
翌日、生まれて初めて安定剤なるものを内科で処方してもらった。
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