慈悲とは何か〜僧侶の先生に聞いてみた。
慈悲という愛は「博愛」であり【愛欲】ではない。
慈しみ(いつくしみ)。悲しむ(かなしむ)。と書く。
簡単に説明をすると
悲しみがあって、そこに慈しみがあるということ。これが本当の愛であり博愛なのだということを表している言葉になります。
隣にいる人の悲しみにも向きう「愛」をあなたは持ってますか??
さらに、どんな人でも平等に慈しみをもって寄り添う愛があなたにはありますか?
あなたが誰かに「愛してる」と思っている気持ちは実は自分の煩悩だったりしませんか?
私がこんなに「愛してる」んだから「愛されたい」と願う気持ちは「慈悲」ではないのです。
仏教で「仏様のお気持ち」を考えた時に本当の慈悲が分かる
誰であっても全ての人間を包んでくれる仏様の愛のことを「慈悲」という。
そう。仏教用語からきている言葉です。
仏様は「好き」「嫌い」など言わず、すべての人間を平等に慈しみ。そして救ってくださる存在です。
私達が神様や仏様に祈りをするとき「救ってください」「助けてください」とお願いしている人がほとんどですよね?
そのお願いを仏様は聞いて、なんて人間は哀れなんだと。私が救ってあげるしかないという広い心で受け入れてくれます。
「あの人は悪いことしてるから救わない」とか
「あの人は嫌いだから救わない」とかそんなことは一切言いません。
だからこそ皆さんお願いして縋りつきたくなるのです。
全ての人を救うのが仏様です。悪い人ことをしてきた人でも受け入れてくれるのです。地獄に落とすのは神様や仏様ではありません。
自分自身が見えていない状況で、欲にあがき、苦しみバタバタしている様子が地獄なんです。人間は欲という地獄に常に落ちているワケです。
それを仏様は私がなんとかしなきゃと、ダメな人間達を見てとても「悲しい」と自分のことのように泣いています。
これを悲泣(ひきゅう)と言うそうです。
↓もっと詳しい話が聞きたい人は和尚さんとのラジオにて
人を救ってあげたいと思うとき、その人に寄り添うことになりますよね。
慈しむ=その愛には悲しみと、泣く痛みが付いてくる
ことになるのです。
だから。愛には「慈しみと。悲しみ。」がセットで「慈悲」なのです。
この事に気がつくと
私も慈悲のような博愛の世界を作れるのだろうか
そう思いませんか。
慈悲は温かな光のような包まれる感覚を与えてくれるものだと思います。
私の身近な存在で言うと母の愛のようなイメージです。
実際に「親様」と仏様のこと言ったりすることがあるように「親のような愛」を、より多くの人に平等に向けれる自分になりたいと心では思います。
しかし。どうしても
悲しきかな 私たちは
愛という欲望の広い海におぼれて
偉くなりたいとか、そんな名誉欲にまどいにまどってる。
そんな心があることを常に
恥づべし、傷むべし。
ということで猫和尚さんはTシャツも作ってしまいました↓
常に自分が、欲に溺れてしまっている事を忘れずに生きること。
そして、困っている人に慈悲の心を持って寄り添うこと。
この事を意識すると、少し仏様や神様に近づけるのではないかと思います。
この世界がどうか。暖かい世界に包まれますように。
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