いじわるな姉と天使な妹のこと

私には妹が一人いる。子供の頃はいじわるで最低な姉だった。大人になるにつれて意地悪な私は消えて普通の姉になっていったと思う。でも子供のころの自分に戻って全てをリセットしたいと願うくらいひどい姉だった。それにもかかわらず妹はいつも神対応だった。

離婚の最悪な経験を家族は全力でサポートしてくれたけど妹のヘルプは特別にありがたかった。彼女は一番近くにいて支えてくれた。

離婚のどん底にいたときは、なぜ自分の状況がこんなことになってしまったかを一生懸命理解しようとしていた。何か理由があるのに違いないのだ。

こんなことになったのは小さい頃いじわるで嫌な姉だったからだ。罰が当たったのよ。本当にごめんね。

とそばで支えてくれている妹に真剣にあやまった。

宗教はフォローしてないけどカルマを信じている私にとって、自分に降りかかる災難はいままで自分がやってきたことの代償なのだと受け止めている。今までやってきてしまったことは仕方ないけれど、これからはカルマを作らないように人が嫌がることはしないよう、できる限り嘘はつかないことを心掛けている。

別居した後、これまで元夫と暮らしていた神楽坂のマンションに妹が住み込んでくれた。最初の数か月はたんたんと機械的に毎日を繰り返すだけだったが、私がどん底から回復していくうちに、シングル姉妹の楽しいけどしょうもない東京生活になっていった。

週末の朝は昼ごろ起きてきて、まずは一服。もう20年以上吸ってないけど朝のたばこはうまかった。当時競馬にはまっていた妹は駅へ行って競馬新聞を買い場外馬券売り場で馬券を手に入れた。そして2人でテレビの競馬中継を見るのが週末のルーティンになった。

私が仕事帰りに立ち寄るようになったパブにやってきて2人で朝まで深酒したこともある。都心のどこからでも数メーターでタクシーで帰れる神楽坂はとても便利なところだ。このまま東京で妹と暮らしていくのもいいなと思う、怠惰で気楽な生活だった。

でも100%立ち直るには、場所を変えて再出発しなくちゃだめだ。ふとした瞬間に悲しさが襲ってくる。頻度はへってはいたけれど。東京に残ってほしがった妹を残して日本をたつことになった。

出発前に、妹が一緒に暮らしている間書き留めた日記を手渡してくれた。離陸直前の飛行機の中で日記を読みながら思いっきり泣いた。私への思いがつづってあった。本当に天使みたいな妹だ。

こうして私はアメリカへ旅立っていった。1995年の8月だった。






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