じつは私、糸井重里さんが取材するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」のファンである。 特に近年、政治やマスメディアの在り方に対して私も私なりの思いがありながら、でも、人間というものが創る社会の仕組みとしては致し方ないことなのかなぁ…ふぅーっ……などと考え始めたりもしている。 そんな中、糸井さんちの新聞は「新聞」というお名前なのに私達の暮らしのほんの少しだけ前を歩きながら、優しく読者に寄り添ってくれている、そんな漢字のメディアである。 その「ほぼ日」の中でとても気に入ってい
12月29日 みなさん こんにちは 本日、 15時30分から NHK BSで「演歌フェス」の放送があります。 4時間の長丁場放送です! 私は、 【ブギー】と【春夏秋冬屋形船】を歌います。 11月半ばにNHKホールで収録が終わっていますが、 番組全体のどの辺りに自分の歌がO.Aされるのか... 私も分かりません(笑) お家にいらっしゃる方、 是非、テレビをつけてみてくださいませね。 さて、 今日の写真は、 わが家の、 まったりハナコさんと、 ハナコさんの写真
私たちの仕事の打合わせや、音楽資料のやり取りといったもののスタイルも、時代とともに恐ろしく変わってきて、今やそのほとんどが郵送でも宅配便でも電話でもなく、PCのメールで済むようになった。 私などは決して得意ではないPCは持ち歩かず、代わりにスマホより少々大きめの、それでも片手にラクに乗っかるタブレットで歌番組の音資料を受け取り、ダウンロードしてあるキーボードのアプリで歌のキーを出し、メールで送信されてきたインタビュー用アンケートを記入返信し、ある時は、撮影した写真のチェック
今日、母の付添いで関東中央病院の整形外科へ行って来た。 足の痺れがひどくなっているために先日MRIを撮っていて、その結果と治療の方法などを聞くために私も同行したのだ。 予約の時間より更に一時間ほど待って診察室に通されたとき、医者はすでにパソコンに映し出された映像を見ながら「第二、第三頸椎の狭窄です。神経がこんな風に圧迫されています。その為に起こる足の痺れです」と、抑掦のない早口で言った。 医学知識に乏しい私が見ても分かる、要するに見たままのことを無表情で一気に説明
昨年の暮れの話になるのですが、ある方に「京都に熊食べに行こ」と誘っていただき、「ク、ク、クマ!?」と驚いてしまったのですが、よくよく聞くと、冬ならではの贅沢料理「熊鍋」のことで、もっとよーく聞いてみると、お連れ下さろうとしているのは、以前から「一度行ってみたい」と思っていた比叡山の奥の院「比良山荘」さんのことでした。 そちらは、夏の鮎料理や、秋の松茸料理も名高く、その美味しい噂をたびたび耳にしていたのに、残念ながら熊鍋のことは知らなかった私。 「熊を食すそのためにわざわざ
十代の頃より長年仕事をしてきた中で、自分なりに覚えたというか身に付いていた自論が一つありました。 「やりたいことをやる為には、そうではないことをその何倍もやらなければならない」 あまりにザックリとした言い方しか出来なくて、語弊があってもいけないのですが要するに、「やりたいことだけをやって生きて行くことは出来ないね〜」ということです。 様々なことに於いて当てはまると思っていましたし、例を一つ挙げてみると、今日も私は「カラダのために」とか何とか言って、ストレッチやら体
12月19日 みなさん こんにちは 一昨日 BS朝日 「人生、歌がある」の 元日5時間スペシャル特番の収録でした 午前中からスタジオに入り 23時まで 私たち総勢51組の出演も 体力勝負で大変一日でありましたが スタッフやバンドの皆さんは もっともっと大変 本当にお疲れさまでした でも 一年の終わりを象徴する 華やかで 活気溢れる現場は とても幸せでした 収録終了後に 来年 デビュー40周年を迎える 同期の 長山洋子ちゃん 荻野目洋子ちゃん と一緒に写真を撮りまし
七月にインスタグラムにもアップしたのですが、 初めて訪れた神宮前にあるメガネ屋さんでアナログ盤のビートルズが流れていて、それがとても素敵で「いいですね!アナログ盤」と言うと、 30代くらいの彼は 「嬉しいです。レコードは僕の私物なんです」 って、本当に嬉しそうに仰ったので、メガネそっちのけでスグに音楽の話に花が咲きました。 こう言った時の典型的な会話の入り口で、 「ジャンルは何が好き?」 「音楽、なんでも好きです。家には沢山レコードがありますよ」 「ヘェー、そうなんで
コロナ禍で二年中止になってしまった東京でのコンサート。 今年は開催することが出来ました。 コンサートの模様は、別頁でご紹介させて頂いています。 会報の〆切上、この原稿はコンサート事前に書いているのですが、スタジオでのリハーサルを済ませ、改めて今歌えることの喜びに浸っております。 この二年余り、コロナ禍によって私達の生活は大きく変わり、その中で私自身は入退院そしてリハビリを幾度か繰り返すことになり、このことは前号の会報で触れさせて頂きましたが、今こうしてそんな二年余りの出来
二月に入ってすぐ、石原慎太郎さんがご逝去なさいました。 芥川賞をはじめ多くの文学賞を受賞し、亡くなられる直前までじつに数多く執筆を続けられた作家であり、長きに渡り国政、都政に従事して来られた政治家でもあります。 当然!? 一度もお目にかかったことのない方ではありますが、ご逝去のニュースを聞いたときには、何故か淋しい思いがありました。 物事の好き嫌い、良し悪しをハッキリ仰る性分とその物言いには常に賛否が分かれた方ではありましたが、どこかチャーミングで、口は悪くても育ちの良
7月3日の夕方、都内のホールで仕事をしていたとき、友人の杉本彩さんからSOSのメールが入りました。 トリマーのボランティアさんたちが保健所を訪問して面倒を見ていた8才のオスのラブラドールの殺処分が、もう、時間の問題で執行されてしまうのだと。 私は、本番までまだ一時間ほどありましたので、何とかその犬の里親になってくれる人を探そうと友人、知人にメールを送信し電話をかけ続けました。 この写真は、そのとき彩ちゃんから送られてきた一枚です。 痩せてあばら骨が浮き上がり、
昼下がりの皮膚科の待合室に、突如、勇ましい声が響いた。 「よいしょ、よいしょ。」 なんと幼稚園のお帽子をかぶったお兄ちゃんが、小さな妹を負ぶって階段を上がって来たのである。 私の隣りに空いた席を見つけて、「あっ、ここ。ここに座っててね。」と言って、お兄ちゃんは背中からドスンと妹を下ろすと、安心したのか自分は床の上に座り込んだ。 妹は黙ってお兄ちゃんを見つめ、しばらくすると、お兄ちゃんのお帽子に小さな手を伸ばし、脱がせてあげた。 この兄妹はどこからやって来たのかしら。 汗
今年もコロナ禍の影響を受けて、公演、特に自分のライフワークとも言える演歌のコンサートは、決まっていた九割以上が中止もしくは日程未定の延期という散々な一年でありました。 昨年から続くこの状況下、コンサートが再開する日に備えコンディションを万全に整え、モチベーションを保つことは正直、とても難しいと痛感しています。 いくら自宅で声を出して練習を重ねても、とどの詰まり私たち歌手というものはお客様の前、舞台の上で初めて生かされ、成長できるものなのです。 ギアをニュートラルにしたまま
この数年、人間の心というものについて度々考えるようになりました。 心はどこにあるのかと問われると、大概の人は自分の胸のあたりを指します。何の根拠か、大概、そのようにするのです。そこにあるのは心臓という臓器であって、決して物事を感じ、考える心などではないと知っているのに。 ずーっと幼い頃の話ですが、女の子をからかって泣かせてしまったヤンチャな男の子が先生に、 「○○君、お前は悪いことをしたのかそうでないのか、自分で自分の心に手を当てて、よーく考えてみなさい」と、教室のいち
そう言えば、子供の頃から私は母と一緒にお風呂に入ってゴシゴシからだを洗ってもらったとか、あったかいお布団の中でムギュッと抱きしめてもらったとか「お帰り」って頬ずりしてもらったとか……そんな記憶がまったくない。 母の肌の感触というものがないのだ。 この年になって何故そんな記憶の糸を手繰っているのか、おかしな話だが私は、私という人間の根っこの深いところにある穴のような、塊のような、この違和感が何なのか……ずっとずっと知りたかった。 一番古い記憶の違和感は、五、六才の頃だっ
私の歌の師匠・市川昭介先生が亡くなられてこの秋、早いもので15年になります。 年に一度行っている東京でのコンサートの3日前に訃報が届いたので、その時のショックは「心」というより、一瞬にして「脳」に穴が空いたような衝撃でした。 誰からの電話でその知らせを受けたのかを思い出すことが出来ないのに、その時私が部屋のどこに立って、重たい夜の空を見ながら何を思ったのか、ハッキリと憶えています。 師匠が亡くなったのは平成になって18年が経っていましたが、私の中でその時、昭和という時代