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石原慎太郎さんのご逝去にあたって

二月に入ってすぐ、石原慎太郎さんがご逝去なさいました。

芥川賞をはじめ多くの文学賞を受賞し、亡くなられる直前までじつに数多く執筆を続けられた作家であり、長きに渡り国政、都政に従事して来られた政治家でもあります。

当然!? 一度もお目にかかったことのない方ではありますが、ご逝去のニュースを聞いたときには、何故か淋しい思いがありました。

物事の好き嫌い、良し悪しをハッキリ仰る性分とその物言いには常に賛否が分かれた方ではありましたが、どこかチャーミングで、口は悪くても育ちの良さを感じる人柄はとことん憎まれることのない魅力であったような気がします。

 失礼なことを言ってしまえば、まさに昭和の親父さん。


昭和七年のお生まれですもの。令和の時代に亡くなられても、石原さんの人生は昭和そのものだったように思います。戦争も政治も、文学も音楽も、すべてその中にあったのです。無責任な申し方かも知れませんが、色んな意味でスゴイ人だったと、亡くなられた今感じます。

昨年、たまたま、その石原慎太郎さんと曽野綾子さんの対談集「死という最後の未来」を読みました。


私は、曽野さんの穏やかながら痛快な表現、そして、そのあふれる探究心と鋭い考察力が織りなすエッセイが大好きでその本も購入したわけですが、同じ文学の世界で同じ時代を生きた二人の作家のこうも違う死生観。とても興味深いものでした。

 対談当時八十八歳の石原慎太郎さんと、八十九歳の曽野綾子さん。

死は最後の未来、と表現した表題ですが、「死は誰にでもあること。だから(死が何であるかなど)わからなくていい」と、悠然と死というものを捉えていらっしゃる曽野さんに対し、「死の本質を見分けたい。まだまだ死にたくない」と、どこまでも逞しい石原さん。

 「わからなくていい」と「とにかく知りたい」。


この根本的差異は、単に男と女の違いなのか、信仰の違いからくるものなのか、はたまた性格の違いと言ってしまっていいものなのか。

人間というものの面白さを見たような気がしました。

かく言う私は、死と言うものをどのように考えるのかしら。

まだ目の前に起こることではないけれど、決してそんな先の先の出来ごとでもないと言う歳になってきたことは否めません。


石原さんのように「まだ死にたくない」とも思わなければ、曽野さんのようにゆったり捕えることもまだ出来ないと言うのが正直なところです。お二方の年齢までもし私が元気に生存!? 出来たとしたら、その時自分が死をどう捉えているのか…。そこに興味があって、それまで自分が満足できる日々を探求していたいと願うのであります。


若き日の石原さんが大海原で、曽野さんがサハラの大砂漠で、互いに死を覚悟し命がけで満天の星空を眺め悠久の大宇宙を感じていらっしゃる経験は、両氏の人生観、生命観に大きな影響を与えているに違いないのですが、対極的であるにせよこのようなスケールと量感の両氏は、昭和という時代こそに創られた人物ではなかろうかと、つくづく思うのであります。


戦争もあった、目に見える差別も貧しさもあった、家族というカタチがあって、黒を白と言おうが、それに従う絶対的な父親という存在があったー。

そして、誰でも頑張れば夢を現実にすることが出来ると信じるエネルギーに溢れた時代であった。


ここ数年、多くの場面で「昭和、昭和」と皆が懐古的、ノスタルジックになっていることに対して「何だか一つ覚えのように」と、軽い反発を持っていた私でありますが、先日、石原慎太郎さんがご逝去なさったことで昭和という時代の良さをひしひしと感じることになりました。

神野美伽
 
2022年2月 MFC199号より 


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