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「ケツ」と「ヤツ」


私たちの仕事の打合わせや、音楽資料のやり取りといったもののスタイルも、時代とともに恐ろしく変わってきて、今やそのほとんどが郵送でも宅配便でも電話でもなく、PCのメールで済むようになった。

私などは決して得意ではないPCは持ち歩かず、代わりにスマホより少々大きめの、それでも片手にラクに乗っかるタブレットで歌番組の音資料を受け取り、ダウンロードしてあるキーボードのアプリで歌のキーを出し、メールで送信されてきたインタビュー用アンケートを記入返信し、ある時は、撮影した写真のチェックやCDジャケットのデザインまで、手のひらの中で行っている。
人と会わなくても、話さなくても、東京にいなくても、実際に歌うこと以外の仕事のほとんどは、これで充分に事が足りている次第である。
手のひらのタブレットに仕事のメールが送られてくるたびに、「スゴい時代になったもんだ」と、嘆じながら指先で仕事を済ませる。
 
先日、こんな文章のメールが私の事務所から送信されてきた。詳しく言うと、映像制作会社からレコード会社に送られてきたメールの転送である。
撮影の段取りなど、アレコレと書かれた最後に、
「ケツが、30分早くなりました」
 
「ケ、ケ、ケツ~!?」
何ですかぁ、コレは!
びっくりしたというか、唖然としたというか、ま、要するにムカッ腹が立った…というか。
たしかに、ゲーノー界では「終わり」のことをこのように「ケツ」と言ったりする。しかし、いい大人が仕事のオフィシャルメールで「ケツ」って書くかぁ!?
いやぁ、ショックだった。
書いた本人に、「どんなつもりで書いたのか」と聞いてみたいが、聞いてみてもおそらく、どんなつもりもこんなつもりもないのだろう。
メールというものがあまりにも日常的すぎて、「書く」「文字にする」という意味を含まなくなってしまっている。
明らかに違う「喋る」と「書く」ということが、同感覚化したのが現在の「メール」なのかもしれない。
メールの「ル」は、動詞としての「る」と化して、もう決して「お手紙」などという意味ではないのだ。
何とも、砂を噛むような思いではあるが、この「ケツ」メールで色々と考えさせられた。
メールではないが、この数年、買い物をしている際に非常に耳に障る言葉があることを思い出した。
「ヤツ」である。
綺麗な女性の店員さんが、「こちらのヤツは20%オフでございます」などと平気で言う。
洋服などの物なら、まだその耳障りな言葉をグッと堪えて聞き流しているが、食品売り場や飲食店で、「こちらのヤツは、とても美味しいですよ」などと言われた時には、いつもガックリ食欲も失せてしまう。
 
「ケツ」に「ヤツ」。
いったい全体、どうなっちまったんだい。

神野美伽 
2016年8月 ファンクラブ会報内エッセイ「心の中の旅」より

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