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それでも生きる

二月五日の夜、我が家に三匹目の犬がやって来た。
 
私のブログのトップページに貼りつけてある「いつでも…里親募集中」(*1)
これは、一日に約1000頭の犬や猫がガス室でもがき苦しみながら殺処分されているという、ニッポンのペット事情の中、ボランティアの方々が全国の保健所から引き出し、或いは、劣悪な繁殖場から救命した犬猫たちを家族として迎えてくれる人の元へ命をつなぐサイトである。
このサイトをご覧いただけると分かるが、今、この瞬間も里親との出会いを待つ犬猫たちが約6000頭、いる。
生まれたばかりの元気な子。足の悪い子、目の見えない子。人間に声帯を取られた子、年老いた子。
みんな、みんなゴミ同然に捨てられた。
何が先進国だ、どこが豊かな国だ。
この現実が何を物語り、やがてどこへ向かってしまうのかを考えなければ私たちの国は取り返しのつかないことになってしまうのではないだろうか。
 
ガス室で理由もわからずもがき苦しみ死んでゆく動物たちの鳴き声が、人間が腐ってゆく狂気の音に聞こえるのは私だけだろうか。
この現状をまず知ってもらいたい。考えてもらいたい。そして心ある方に、私たち人間がこのような目に遭わせた犬猫たちの命を、もう一度、温めてもらえる縁をつなげたいと思い、自分のブログにこのサイトへのリンクを貼りつけた。
正直、私自信、サイトを見るのは辛い。心が痛む。
しかし、時々。ハソコンを広げて映し出される犬描たちの顔を見ながら、この子たちの幸せを心から願わずにはいられない。それは何故か。「生きている」からだ。
「ああ、この間までいたあのダックスの女の子の写真が消えている。
里親さんに巡り会えたのね」と、嬉しくなることがある一方、
「この子は、もう一年近く写真が貼られたまま……」
 切ない思いでサイトを閉じることがほとんどだ。
 そんな6000頭の中に、やはり一年近く登録されたままの、何故かとても気になるチワワがいた。
愛媛県の繋殖場からレスキューされた、小さくて今にも折れそうな推定3才のその犬は「ふらつき」と「脳障害が否めません」と添付されてあった。
ボランティアの方に仮につけてもらった名前は「よっち」。なんでも、よちよち歩くからだとか。


 
一月の寒い最後の土曜日。
「よっち」を預かっているボランティアの方たちが開く自由が丘での犬の譲渡会に初めて出掛けて行った。
心の中で、「もし今日、よっちというチワワがその中にいたら、私が里親になろう」と決めていた。
広場に組まれた大きな柵の中には、ボランティアの各家で一時保護されている犬たちが三、四十匹放たれてにぎやかに鳴いている。
その隅っこで、寒さに震えてうずくまっていたのが「よっち」 だった。
抱き上げてすぐ、
「一緒に帰ろう!」
私は言った。
 
二週間のトライアル期間を経て、「よっち」改め「ウメコ」は、晴れて我が家の一員となった。
病院の検査によると、手足の硬直や麻痺は脳障害というよりは、むしろ首の骨の損傷によるもの。
下あごの骨は骨折のため、ずれたままの状態。歯は犬歯4本と、ぐらぐらの奥歯が上下にチョロッとあるだけ。
何故、首の骨やあごの骨が折れるに至ったのか、知るすべは無い。
でも、それでもウメコは生きてきた。
 ウメコは生きるために生きてきたのだ。
 「それでも、生きる」
 ウメコは、人間に大事なことを気づかせてくれる。

2013年6月 MFC146掲載 心の中の旅より

(*1)現在はブログを移転したため掲載されておりません


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