見出し画像

リスペクト

コロナ禍で二年中止になってしまった東京でのコンサート。
今年は開催することが出来ました。
コンサートの模様は、別頁でご紹介させて頂いています。

会報の〆切上、この原稿はコンサート事前に書いているのですが、スタジオでのリハーサルを済ませ、改めて今歌えることの喜びに浸っております。

この二年余り、コロナ禍によって私達の生活は大きく変わり、その中で私自身は入退院そしてリハビリを幾度か繰り返すことになり、このことは前号の会報で触れさせて頂きましたが、今こうしてそんな二年余りの出来事をすでにひとごとのように振り返る心境でいられることが我ながら驚きであります。

歌うことを自分の人生から排除せず今このようにいられたのは、演歌のスタンダードなコンサートが殆ど中止、延期となる中で、ジャズやラテンなど、違ったジャンルの方々からそこで歌うことを誘って頂けたからだと思っています。

違う環境で演歌以外の楽曲を歌うことは、当然それ相応の学習が必要ですし大きなプレッシャーもあります。しかし、それ以上の魅力があったからそこに身を置くことが出来たのだと思いますし、私にとって必要で必然な、通るべくして通る道だったのです。

それらの経験が今回の中野サンプラザコンサートの前半部分につながり、新曲の「旅立つ朝」へ導かれてもいるのだと思うと、目に見えないこの世の中の不思議、面白さを感じずにはいられません。

 「旅立つ朝」は、今から51年前、アメリカLAで当時の錚々たるミュージシャン達と江利チエミさんがレコーディングをし発売した楽曲です。

江利チエミさんは私にとって様々な意味で心から尊敬するアーティストです。

15才でデビューする以前から進駐軍キャンプでジャズを歌い、その後もジャズに留まることなくラテンや今で言うところのワールドミュージックまで自在に歌い、日本の映画やミュージカルの世界にまで大きな功績を残しています。

原語で歌うその語学力の素晴らしさは言うまでもありませんが、ジャズやラテンのテイストを日本の民謡・端唄小唄に至る俗曲にまで取り入れて江利さん独自の世界を創り上げたその感性の素晴らしさは称賛、賛美の言葉がもうないほどです。

 

今回コンサートで選曲したミュージカル「マイフェアレディ」の
「I COULD HAVE DANCED ALL NIGHT」の江利さんの英語部分の歌唱を繰り返し聴いていると素晴らしく、そしてそれは限りなくエラ・フィッツジェラルドに似ています。

ネガティブな意味に聞こえるといけないのですが、それは相手がエラだけに、素晴らしい江利さんのエラに対するリスペクトだと感じるのです。他のジャズ楽曲を歌っても江利さんのスキャットはまるでエラそのもののように感じます。

江利さんのファンであり、エラのファンでもある私などにしてみたらそれは嬉しくて仕方のないことで、何かの本で見たエラやサッチモと楽しげにカメラに収まっている若き日の江利さんの姿が脳裏に甦りました。

江利チエミさんの歌のベースにはそんな人たちがいるのです。

奇しくも「旅立つ朝」の作曲者、村井邦彦さんが自身のエッセイの中で「過去を学ばずして創作はありえず」と書かれていたことを思い出しました。

「過去の作家への尊敬の念がある限り、引用は盗作ではない」と。

江利チエミさんの歌の中に存在するエラ・フィッツジェラルドも、私の中にある江利チエミさんも、正にそう言うことではないかと思うのです。

2022年6月 MFC201号より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?