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小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んで

こんにちは。kazです。今回は、小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読んだので、感想を書いていこうと思います。

著者フィリップ・K・ディックはアメリカのSF作家です。ブレードランナーやマイノリティリポート、トータルリコールなどの著名なSF映画の原作となった小説の多くを彼が書き綴られたそうです。

この小説の舞台は第三次世界大戦終焉後の地球、その大半が放射能別名<死の灰>に汚れた世界(サンフランシスコ)を舞台にしています。ストーリーは、火星から逃れてきた8人の<奴隷>アンドロイドたちの首にかけられた莫大な懸賞金を狙い、主人公である警察所属の賞金稼ぎリック・デッカードが、決死の賞金首狩りをする物語です。

1968年刊行の小説であり多少古臭さもありはしますが、この小説が主張しているテーマの普遍性や彼自身の考える現代社会への深い洞察、また鋭敏な問題意識が、現在においても読み継がれ、名作たらしめしている所以だと考えます。

この小説は「人間とは何か?」という人間の自性を題目としています。この物語の内容はバラエティに富んでおり、多様な要素それぞれが固有の意味有し、それら全てが渾然一体となり、一層の深い理解へと誘惑している様子が感じられたと解釈しています。

全てにおいて無駄だがなく、読めば読むほどこの作品を理解する視点は変化していく思います。一読だけでは全てを理解することは困難を極めることと思います。

あまりにも深すぎるため、一読しただけの私に多くを語ることはできませんが、私がいつも小説を読むにあたり重要としている小説のテーマが持つ意味を考察して終わりたいと思います。

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。奇を衒ったタイトル。夢に着目すると、人は夢を見ますし、そこには怪奇的現象が広がります。その日に見たものを脳が整理するために、それら記憶という写真をごちゃ混ぜに繋げているものを夢として見ていると聞いたことがあります。

その夢の中に羊が出てくることもあるでしょう。ちなみに僕はありません。人は羊が夢に出てきます。この物語に登場するアンドロイドは、精巧に作られており、あたかも人間であるかのように見た目も中身も作られています。

そんな人間と大差ないアンドロイドは人間と同じように羊を夢で見るのか。この作品のテーマである「人間とは何か?」に焦点を当てていることを意味していると私は解釈しました。

作中、人間とアンドロイドを見分ける方法として、感情が大きく関わっています。人間は感情がある。アンドロイドは感情を持たない。感情を持たないアンドロイドは、人間なら臆することも躊躇うことがありません。

ただ、事実に基づく言葉を羅列するだけ。それに色はなく、無機で、乾いている。しかし、そんなアンドロイドも作後半では、一種の感情に近い行動を起こすアンドロイドも出てきます。

もし、アンドロイドが感情を持つことができれば、それは人間とアンドロイドの区別が不可能になることでしょう。

ここから話は変わりますが、現在情報技術の過渡期であり、その台頭にAIがあると思います。人工知能は自己学習し、教師なしでも膨大なデータを処理し、目に見えない速度で成長しています。

フィリップが描いた空想の世界ではありますが、この先感情を持ちうるアンドロイドが人間の生活上にあたかも人間のように私たちと同じ生活を送るようになる日が来るかもしれません。心躍ることではありますが、反面恐ろしいとも思います。

そのような世界があるならば、死後の世界から眺めて見てみたいものですね。これで終わりたいと思います。いいねやコメントしていただけると嬉しいです。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。  

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