心は静かに固めるものだから
12年ほど前、いきものがかりの『YELL』をラジオで聴いて居た父が「応援歌なのにこんなに暗いのは初めて聴いた」と言っていたのを、つい1時間前にふと思い出しました。唐突だな。
当時は、「確かに、応援歌っていうと明るい曲っていうイメージがあるよな」と思っていました。でも父の言葉には賛同しきれなかったんですよね。その時の理由は、『YELL』の曲調が明るいとまでは言わずとも、そこまで暗いとは思わなかったから。カップリングのジョイフルと比較したら、そりゃまぁ暗いとも思うかもしれませんけど。暗いというよりは、重みや強さのある曲だなと思っていました。確かに応援歌にしてはテンション低めですけどね。
当時の応援歌(?)だと、嵐の『ハピネス』とか、ちょっと古いけどウルフルズの『ガッツだぜ』とか、洋楽ならQueenの”We Will Rock You”みたいなのが定番だった気がします。ちょっとズレるかもだけど、”You Raise Me Up”も穏やかだけれど背中をそっと押してくれる曲ですよね。
それらを考慮すると、たしかに『YELL』は一線を画す(?)、毛色の異なった存在だったように思います。明るさや活発さはないけれど、聴き終えたときには、自分の中で何か心が固まるような感覚がありました。
思ってみれば、応援って元気に手をたたいて大声を張ってするものだけとは限らないですよね。そういう、試合の時にだけ派手になされるものも勿論良いけれど、一方で、悩み迷うときに肯定されること、あるいは否定も肯定もせずにその状態も過程や結果として受け入れられること、そういうのもまた応援の在り方の一つだと思います。
なぜならば、応援が必要な時、本当に誰かの支えが必要なときって、必ずしも自分で自分を鼓舞して明るく前向きであるとは限らないから。むしろ、何か目指したい方向がありながら、腹の底では覚悟のようなものを固めながら、恐怖心や切なさ、寂しさや悲しさ、そして不安があって、今までの自分とは違う方を向くことができすにいるから。ひとつ向きを変えて踏み出せば、今ある大切なものを失って、そのわりにはそれ以上のものを得られないのではないか、いや、得られるとか得られないとかはどうでもよくて、手放すことができずにいるから。絶対に離れて行ってしまうとも限らないのに、そんな風に感じてしまって恐れてしまっている。意外と、試合よりも転向するときの方がエネルギーを使うのかもしれません(私の場合は)。今までの自分の在り方を変えていくということは、ただ自分が変わるのみならず、それまでの人間関係も大きく変化する可能性を持ちます。過去の自分も今の自分も、この先の変わってしまった自分も、全部とまでは言わずともある程度は受容してくれる存在が、そういう時に必要なのではないでしょうか。肯定や賛同、共感ではなくていいから、そういうのもあるんだな、と容認されれば安心して次に向かうことができると私は思っています。
そのように考えた時、『YELL』はたしかに、これもひとつの応援のあり方であるように思えました。ただ一方的に「がんばれ!」と叫び追い立てるのではなくて、「お互い、満足できる人生を歩もうな。」と、一瞬視線を交わして、あとはもう自分の道を進むだけだ、というこの感じ。振り返ったときに、それぞれが紆余曲折ありながら何かしらの方向へ向かって進んだり、あるいは立ち止まっていたりとか、そういうのが目に入って、みんなそれぞれ生きてるんだよなって思って安心する。「君ならできる!」と望まぬ努力を強要されているのではなくて、ただ常に心の避難所として胸の奥にある。この曲の歌詞はそういう関係を描いているのではないかと思いました。
自分を変えていく、そういう決心は、部活動の決起集会みたいな声を荒げて叫んでやるものではなくて、ただひたすらぐるぐると同じようなことを回り回って考え続けて、「やっぱり、これ以外に道はないんだ。」とあきらめのようなものを目にして、そうしてするものだと私は思っています。決意の仕方はフリースタイルなので、人それぞれいろいろなスタイルがあると思いますが、私の場合は迷走の果てに深く沈めた思考と情緒の中で、深呼吸をするように静かに決意を固めますね。決意固めた後は工事現場レベルにうるさいけど。
そんな感じで、自分的に重大な決断は静かに下すタイプなので、たしかに元気が必要であるとはいえ、某ヒーローみたいな、「元気出せよ!」、「元気があればなんでもできる!」、「君ならできる!」、「熱い心を持て!」みたいな応援をされると、自分自身とのテンションの落差であてられちゃいます。だから『YELL』は、静かな決断を下す際のテンションのまま、元気とか生命力っていうよりは「自分の選択は間違っていない。仮に間違っていたとしても、それはそれでいいんだ。」と信じるための自信を得るための曲なのではないかと思います。応援されるとき、欲しいのは元気でもテンションの高さでも高揚感でも明るさでもなくて、自分の選択への自信や確信、「きっとなんとかなる」という根拠のない将来への展望ではないでしょうか。
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