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国語がなぜ大切なのか、私なりの答え

「国語が好きな人は、どれくらいいますか?」高校教員をしていたとき、一番最初の授業で必ず生徒にこの質問していました。

すると、手を挙げる生徒はいつもごく少数。次に「国語が嫌いな人は?」と聞くと、たくさんの生徒が手を挙げる。その光景を見るたびに、国語嫌いの子どもたちは本当に多いんだなと、痛感していました。

しかし、国語科を担当していた私自身も「その気持ちもわかる」というのが本音です。私も学生時代は、国語に魅力を感じる瞬間は少なかったように思います。

読書や作文は好き。でも「問い」を伴うと、それは一気に制限された世界になってしまう。そもそも、読書をして、どう受け止めるかなんて人それぞれでいいじゃん。そうやって、どこか冷めた目で国語に向かっていました。

そんな私が「国語」に初めて魅力を感じたのは、高校3年生の頃。塾でとある現代文の先生に出会ったことがきっかけで、一気に国語の文章や問題に対する見方が変わり、問題が解けるようになったんです。

それまでの私は国語の問題を解くとき、漠然と文章を読み、漠然と問題を解いていました。しかし塾の恩師に出会ってから、国語という科目は「コミュニケーション能力を培う科目である」ことに気が付いたんです。

私たちは人とコミュニケーションをとるとき、無意識にいろんなことを考えています。相手の言いたいことは何か、どんな感情を伴っているか、それに対して自分はどう感じているのか、その考えを相手にどう伝えるべきなのか……

これは、国語の問題に取り組むときも同じです。筆者は、読者に伝えたいことがあるから、文章を書いています。

論文であれば自分の考えを、小説であれば物語に込められた筆者の思いを。それを受け止め、相手が何を伝えようとしているのかを考えること、そして自分の考えや意見をアウトプットすることが、国語では求められる。これはまさしく、筆者と読者のコミュニケーションと言えるのではないだろうか。

「国語はコミュニケーションと同じなんだ」そう思うと、文章と向き合うときの姿勢や心持ちは大きく変わりました。この具体例は何を伝えるためのものなんだろう、なぜここでこの話題や描写を入れたんだろう……そうやって
「相手を理解しよう」という姿勢で、文章を読むことができるようになったんです。

すると、国語で学ぶこと一つ一つに対する意義も明確になってきました。すべて、コミュニケーションにおいて大切なことに置き換えることができるのです。

  • 読解テクニックを学ぶこと:相手の言いたいことをすばやく、できるだけ正確に理解するためのもの

  • よく話題にされるテーマの知識を深めること:同じ土俵(テーマ)に立ち、相手の意見を受け止めるためのもの

  • 指定字数に合わせ、考えをまとめること:相手により端的に自分の意見を伝えるために必要なこと

コミュニケーションは「相手の伝えたいことや気持ちをうまく理解できない」「自分の考えをうまく伝えられない」ことが原因で、しばしば齟齬を生んでしまうものです。知らず知らずのうちにすれ違い、お互いに望まない方向へ進んでしまうリスクもあります。

しかし、国語という教科に取り組むことで、そんな齟齬を極力回避するために必要な「コミュニケーション能力」を身につけることにもつながる。そう気がついたとき、一気に「国語」の重要性に気がつくことができました。

そして何より、国語は「想像力」を養う教科です。筆者の伝えたいことを、頭の中に描くことで培われる想像力。私たちが社会の中で生きていく上で欠かせないものです。「人が傷つくようなことをしない・言わない」これも相手の気持ちを考える想像力さえあれば、実現できるのかもしれません。

私が教員時代に、これをどれだけ伝えられたかはわかりません。でも「国語が嫌い」「勉強する意味がない」そう思う学生たちに、国語の大切さを伝えたい。そして少しでも前向きな気持ちで、国語の学習に取り組んでみてほしいな、と思います。

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