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「やってみること」は「確かめること」

昨年8月に引退を表明された、ランナーの大迫傑選手。およそ半年後の今年2月に現役復帰を表明されたことで、再度注目を浴びました。

でもこの復帰宣言をどう感じるかは、人それぞれのよう。さまざまな意見を目にしましたが、私自身はすごく応援したくなりました。

私は昔から好奇心旺盛で「やってみたいこと」が常にたくさんある人間です。だけどそれを積極的にやってこれたかというと、そうではありません。

いざ、やってみたいことを始めようとすると「本当にうまくいくか」「長く続けられるか」みたいな懸念が湧いてきます。そうして踏み切れないまま、時間だけが過ぎていくこともある。

数年前までの自分は「やりたいこと」がいろいろありつつ、その気持ちの波が過ぎ去るのを待っていることが多かったです。それが「現実を受け入れて生きるってことだ」みたいな、よくわからない解釈をしていました。

だけど「やりたい」「やってみたい」その気持ちの波は、一度やり過ごしても必ず何度も心の中にやってくる。やらない限り何度もそうやって、葛藤を繰り返してしまうものなんだと最近わかりました。

それに「やりたいこと」に対する自分の熱量は、結局やってみないとわかりません。長年思いを募らせていたことでも、やってみたら意外とはまらなかったり、逆に予想以上に熱量が増したりすることもある。

もしもやってみた結果、続かなかったとしても「自分の熱量はそんなもんだった」と確かめられたと思えば、そこには大きな意味があると思うんです。

だから「やってみること」の本当の価値は「できるかできないか」ではなく、自分の熱量を確かめて、自分自身をより理解することの方にあるんじゃないか。最近は、そんな風に考えています。

こんな考え方なので、大迫選手も現役引退を「やってみた」ことで改めて、ランナーとしての自分の熱量を確かめることができたってことなのかな、なんて勝手に思ってしまいました。

そんなことを考えながら読んだ、こちらのインタビュー。この中でも「やってみないとわからないじゃないですか」という言葉があったのが印象的でした。

私もまだまだ、やってみたいことはたくさんあります。なりふり構わず挑戦できるわけではないけれど、これからの人生の中でできるだけ消化していきたい。大迫選手の復帰宣言を見て、そんな風に改めて思いました。

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