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「猫を棄てる」私は父に"おはよう"すら言えない

とても静かな作品でした。とくべつにわくわくするわけでもなく、涙がこぼれるわけでもなく。ご本人が意図した通り、メッセージとしてではなく、ただ単に「ああ、村上春樹も人間の子どもで、戦争の被害者であるお父様を持っていたんだなあ」と、大ファンである村上春樹氏の当たり前(だけどこれまでは忘れていたよう)な事実を再確認し、受け取りました。

わたしは猫を飼ったこともなく、当然棄てたこともなく、棄てた猫が戻ってくるという経験もありません。この、アルバムの表題曲ともいえそうな素敵なエピソードに、ささやかな温かみと幸福を感じました。わたしは元アトピー持ちで、アレルギー体質なので、毛のある動物が飼えません。猫のことは大好きなのに。だから余計に、猫に囲まれて暮らす日常はどんななのだろうと、村上作品を読むたびに思うのです。

さて、わたしも親、とりわけ父親とは、おそらく20年近くはまともに目を合わせて話していません。…すこし大袈裟になりましたが、高校受験の勉強(主に数学を。父は理系でわりと頭が良いです)を手伝ってもらったり、マイカーを購入したときに一度練習に付き合ってもらったり、自動車保険について相談したり、婚約の話がでたときに諸々の準備について話したり(結局、いろんな事情でこの婚約はなくなってしまった)、そんなことは節々でありました。

さらに小さい頃、むしろ私は生粋のお父さんっ子でした。旅行に連れて行ってくれたり、工作が上手でいろいろなものを作ってくれたり、抜けてはいるが優しい性格のお父さんが好きでした。お母さんの方が何故か懐けなかったくらいです。

でも、小学4年生の頃、はっきりと父を軽蔑し始めました。それはお母さんに対する言葉や態度が、愛の欠けたものだと気づいてしまったからです。決定的な事件があったけれど、それはまだこういった場には書けそうにありません。けれど、初めて血の気が引く、というのを体験し、お父さんは怖い生き物だと思ったのです。

その後、時は流れて大学生のときのことです。わたしの実家は愛知県ですが、京都の大学に進学しました。上に記したように、小学生の頃から家族というものに居心地の悪さを感じるようになっていたからです。それは父のこともあるし、アトピーがひどかったので基本的に迷惑をかけているという自責の念もあったし、中学生くらいからは兄ともどう付き合えばいいから分からなくなり、高校になると勉強や部活や進路のことで母とも喧嘩が絶えなくなっていたからです。だからずっと家から出て自立したいと考えていて、どうせ家を出るなら県外に、日本史が好きだったので多くの史跡が残る京都へ行こうと思いました。わたしがそう親に伝えると、「あなたが決めたことなら」と、快く送り出してくれました。私立の女子大だったのでお金がかかって苦労をかけただろうと、今になっては思いますが、当時のわたしはそれほど感謝していなかったような気がします。

父のことが嫌いになったエピソードの2つ目が、大学2年生のときのことでした。当時のわたしは、高校のときに一瞬だけ付き合っていた人とひょんなことから再会し、また付き合い始めていました。遠距離恋愛でしたがほとんど相手が京都まで来てくれていたので、わたしの一人暮らしのアパートでおうちデートを楽しんだり、観光地巡りをしたりしていました。

クリスマスの時期だったかと思いますが、ディズニーランドで遊んだ帰り、お互いにそのまま実家に帰ろうかという話になり、わたしはディズニーに行くことを親に話していなかったので急遽帰省すると連絡を入れました。「急だったね〜どこか出かけてたの?」と母に聞かれ、そのとき初めて彼氏がいること、その人と昨日までディズニーに行っていたことを話しました。すると横にいた父が低い声で「いつからだ」「そいつが京都に来る時はアパートに泊めてやってるのか」と聞いてきました。「当たり前じゃん」というと、「だめだ!金ならやるから、これからはそいつはホテルに泊めさせろ」と言ったのです。

彼のこと、なにも知らないくせに!と思いました。会ったことも話したこともない、だけどわたしが選んだ大切な人のことを、よくもそいつ呼ばわりしたな、汚らわしいものみたいに扱ってくれたなと、怒りが大爆発しました。これからも父に正直に話せば、楽しい思い出や幸せなことをこうやってねじ曲げられてしまうと思ったのです。だからもう、今日あったこと大事なこと、なにも話さないと心に誓いました。こんなありがちな親子の喧嘩も、わたしには大事件のように思えてなりませんでした。お父さんも娘に彼氏がいることがショックだったに違いないのですが(喜んでくれよ…)、父の立場にたって考える気持ちの余裕はなく、それ以来、実家に戻って就職してからも、「おはよう」すら言えなくなりました。わたしも心が弱かったのです。

長くなってしまいましたが、これが私と父の話で、この父(家族)との関係はわたしのトラウマであり、実家を離れた今でも心のどこかにあり(実家にいるときよりは気持ちは落ち着くのですが)、死ぬまで引きずっていくんだと思います。仲良くなって過去のことはキレイさっぱり忘れたいと思ったことは何度もあるけれど、そんなことは不可能でした。嫌な夢もよく見ました。

親子だからって仲良くないといけないのか?これはずっと自分に問い続けている永遠に答えの出ない問題です。仲がいいに越したことはないし、家族なら助け合っていくべきだとも思います。でも、「少しだけ似てる世代の違う人間が強制的に同居している」ということを考える(親からしたら手塩にかけて育てた子ども、でも残念ながら大切にされているとひしと感じたことはない)と、わたしにとって家族とは、適度な距離を保って、たまに連絡するぐらいがちょうどいい関係なんだと思うようになりました。

「猫を棄てる」の帯には、「時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある」とあります。まさしくわたしにとって、今この本を手にし、今日読んだことが、「自分が、自分の父親について語るとしたらどうなるだろう?」と考えるきっかけとなりました。思い出したくないことが多くて仕舞い込んでいた過去に少し目を向け、恥ずかしい過去を細かく書き連ね、忘れていたことに気づき、いま父や家族に対し新たな感情を抱いています。

当たり前のことだけれど、親がいなければ私はこの世に存在せず、大好きな音楽も聴けず、恋人と会うこともなく、村上春樹の本を読むことも出来なかった。そして、わたしはやはり、少し身勝手で親の気持ちをわずかばかりも汲めない、不完全な子どもだった。

この本は、当たり前の事実に隠されたたくさんの奇跡的な出来事に気づかせてくれます。とても静かに。生きることと死ぬこと。当たり前だけど分かってないことが多いから、わたしは一気にこの本を読んでしまったのだと思います。そしてそれはわたしだけじゃないはずです。

「一滴の雨水にも歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある」ーー私のこの小さな歴史を、誰に受け継いでいけばいいのか今は分かりません。ここに書いたように、家族にいい思い出のないわたしは、子どもをつくりたいという気持ちが希薄です。でも、誰かの記憶に残るような生き方をしなければ、と思います。

それよりもまずは、次に父に会ったとき、わたしが無視し続けても決して言うのをやめなかった父の「おはよう」に、きちんと「おはよう」と答えたいです。

#猫を棄てる感想文


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