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苦しかったときの話をしようか~珍獣Ver~

※予定を変更して、こちらをお送りしています。
最近、四苦八苦している話ばかりだったというのと、ちょうど5月なので新入社員の方もいるだろうということで、同様の特性を持つ方に、やり続けていれば希望があることもあるよ、という話をしておきたく・・・

「苦しかったときの話をしようか」といえば、株式会社 刀の代表 森岡毅さんの代表作である。
特に、20代の若者たちには一度読んでほしい、本当に仕事に心血を注いでいて、最前線で世の中を形作っている人の視界や戦場を覗き見ることができる名著であると筆者は思う。
もちろん、誰しもがあんなふうに闘えるなんて毛頭思っていないが、もう少しやってみるか、と思わせてくれる本である。

筆者は、皆さん承知の通り、ハードワーカーである。
そして、こっそり、こう思っている。
令和の時代には大きな声では言えないが、ハードワーカーこそ人間の真の姿である、と。

人間の根源的欲求は、「知的好奇心」と「自己の表現」である。

美味しいものを食べたいのも、行ったことのない国に行きたいのも、高級ブランドがほしいのも、好きなアーティストのライブに行きたいのも、すべて、「自分が知らない瞬間を知りたい」という「知的好奇心」に集約されると思っているし、こうしてSNSによる発信が一大産業に成長したもの、人間の「自分を知ってほしい、自分を表現したい」という「自己表現」の欲求によるものだと思っている。

人間として生活する対価を得ながら、知的好奇心を最も刺激でき、自己の実現ができるもの、それが”仕事”であると筆者は思っている。
そして、その二大欲求をどん欲に追及しているのは、ハードワーカーであると思っているのだ。

最近のキャリア観を見ていて、キャリアを”タイパ”という物差しで測ろうとする傾向に違和感がある。
確かに、自分がなりたいものになるためのルートが明確化している前提では、周囲にいいように使役されて時間を浪費し、最短時間でルートを歩めないことは、”タイパが悪い”と間違いなく言えると思う。

ただ、仕事というものは、熱い風呂に似ていると思っている。

読者の諸君は幼少期、親世代が入っている風呂に熱くて入れなかったのではなかろうか。小学生くらいになると、最初はあまりの熱さに皮膚がヒリヒリして湯から飛び出したくなるが、じっとこらえていれば湯に浸かっていられないこともない、中学生以降になると、熱い湯が心地よくなってきたりする、そんな経験はないだろうか。

何が言いたいのかというと、じっくり何回も時間をかけて湯に浸かっていると湯の熱さに慣れ、熱い湯が楽しくなるように、最初は、客先の入館証なくすくらい絶望的な状況でも、時間対効果を度外視して、アホみたいに仕事を反復し続けると、仕事が手に馴染んでくるという、予想だにしない未来もありえるよ、ということだ。

筆者の場合、仕事の最初の湯は、とんでもない熱湯だった。
休職までしているので、お察しいただけるかと思うが、本当に真剣に、どうやったら死ねるかまで考えた。
当時の自分を積み上げ続けた延長上に、社会適合している姿が全く描けなかったからである。誰の役にも立てない自分が殺したいほど憎かった。

一方で、筆者は学生時代は、アジアでフェアトレードの事業を運営したり、政策学部に在籍していたのであるが、政策立案の全国大会で部門賞を獲ったりしていたので、何かしらの自分の勝ちパターンがあって、その要素を突き止めてハマる仕事をしなければ、と直観していた。

そうして爆誕したのが、以下の要素である。

筆者は一社目に入って休職して、この要素を生み出したのだが、就活生諸君はぜひ、就活中にできる限り、自分の”ゾーンに入れる要素”を言語化してみてほしい。

さて、今回は、時間対効果を度外視して、アホみたいに仕事で1000本ノックすると、仕事という湯に浸かる際に、どういう心境の変化、ブレイクスルーがあったのかを書きたい。
今は苦しくても、今の自分には想像できなくても、予想だにしないところで突破口が開いて、人生が楽になる、そんなことだってあるのだと伝えたい。

仕事という熱い湯に耐えられるようになったのはいつだったか?

筆者が仕事という熱い湯に耐えられるようになったのは、上記のフロー状態に入れる要素を言語化後、JTCから転職した大手人材企業の2年目の頃だった。

当時、筆者は大手顧客30社を相手に、新卒採用のコンサルティング営業に従事していた。
1年目は、20社の契約の継続と、10社の新規開拓をこなしながら、前年度売り上げに対し、今年度実績を失注せずにイーブンにするだけでもほとんどメンタルになりかけていた。

来る日も来る日も各社の新卒採用の成果分析と報告と翌年度の提案に追われる日々で、でかい失敗もいくつかやらかした。

ここで、若者諸君が未来に希望を持てる小話を一つしておく。

筆者は転職後1年目のときに、都内の大手生命保険会社本社で人事部長とアポイント取得にこぎつけた。そして、その当日、生命保険会社の担当者から携帯に電話がかかってきたが、その電話に応対したまさにその時、筆者は大阪で研修の納品を行っていた。
何が起こったのかというと、シンプルにダブルブッキングしていたのだった。

はい、みんな、ここメモしておくように。ADHD社会人のダブルブッキングは、お母さんがジャンプとサンデー間違えて買ってくるくらいには当たり前によくある話です、気に病まない程度に気をつけるように。

その後上司を連れて土下座するような勢いで部長あての謝罪アポを行ったが、本当にひと思いに殺してくれ、と思った。

そんな私でも、失業することもなく、鬱になることもなく、なんとか社会適応しているので、失敗を過度に捉えすぎて、必要以上に自分を責めなくても、将来に絶望しなくても大丈夫だ。辛いかもしれないが、いずれなんとかなるものである。

こんな珍道中をやっていたわけだが、明確に”湯に慣れた”と思うきっかけがある。

前提として、2年目で業務に手馴染みができたのは、物量をこなして採用施策の全体像が理解できてきているということはあるが、個人的には、自分が顧客に対しどういうスタンスを取るべきか、が明確になったことが大きい。

2年目になっても、事務作業やロジ周りの仕事が不得手で、連想ゲームのように脳内で着想が暴走してしまい、なかなか成果が出ない筆者に、採用コンサルティングの業務に対して、2つの非常に切れ味の良い哲学的な示唆を投げかけてくれた先輩が2人いた。

その示唆とは以下の2つであった。

1つ目は、「採用を理解することは、企業が何で儲けているのか、その構造を理解することに等しい」という示唆。

2つ目は、「我々は何屋なのかを明確にすべきである」という示唆。

この2つによって、筆者は採用コンサルティングという仕事は社会的にどういう役割を果たすべきなのか、を構造的に理解することができた。
つまり、対象物のからくりが分かったので、攻略方法がわかったのである。

前もお伝えしているが、ADHDは作業というレイヤーで業務を捉えることに適していない。
何を考えるべきなのか、や対象物の構造を伝えないと関心が引けず、すぐ興味を失って注意力散漫になるからである。

裏を返すと、作業ではなく対象物の構造が何かを理解するように業務を観察すると、注意散漫もやや抑えられ、まだモチベーションを維持することができるのではと思っているので、そうした視点で業務を見てみてほしい。

そしてやはり、構造的に捉えるということが許されやすい商材は無形商材かと思う。

さて、話を戻すと、筆者が仕事という湯に耐えられるようになったのは、採用コンサルティングが社会的にどういう役割を果たすべきか、が明確になったから、である。

採用というと、母集団を集めて、選考して、動機づけして、入社させる、というフローを想起するが、それだけでは、実は、施策としての機能の3割程度しか果たしていない。
その真髄は、採用した人間に5年後、10年後に何を担わせたいか、を定義することにある。

何のために採用を行うのかというと、事業を今よりさらに推進して企業利益を出すためであり、採用の最も重要なミッションは、5年後、10年後の事業推進に必要な人材のスキルセットと人数を明確化、将来から逆算して、採用時に見極めたいスキルセットと人数を定義し、採用施策に落とし込むこと、である。

そして、事業推進に必要な人材のスキルセットを定義するには、事業そのものの構造、収益メカニズム、そして、何によって競合に勝ち、今まで事業として生き残ってきたのかという、その企業の事業や風土の固有な特異性を理解しなければならない。

ゆえに、「採用を理解することは、企業が何で儲けているのか、その構造を理解することに等しい」のである。

そして、採用の真髄が、将来的な事業をドライブする人材のスキルセットと人数を定義し、バックキャストで採用に割り戻すことなら、自ずと、活躍と採用の狭間にある育成のプロセスも、ある程度は明らかにしておかなければ、という話になる。

ここで、「我々は何屋なのかの定義」が必要になってくるのである。

つまり、採用を語るには事業を語り、次世代の経営人材の定義を語り、その育成施策を語り、最後に採用施策が語られるべきなのであり、採用活動の真価を発揮させるなら、我々は採用支援屋と顧客に認識されてはならず、人事戦略についてディスカッションできるパートナーである、と認知される必要があるのである。

その第一歩は、そもそも我々自身が、自分たちをただの採用支援屋だと認識してはならない、ということなのである。

ゆえに、「我々は何屋なのかを明確にすべきである」ということなのだ。

このような経緯で、自分が何を求められているのか、を筆者は理解することができ、業務においての自分なりのスタンスが取れるようになった。

もちろん、資料の見せ方や営業トークの言い回しといった仕事のテクニックの獲得も当然あるが、自分に求められている役割を理解し、顧客に提供するソリューションに対するスタンスが取れるようになったこと、が仕事で立ち回れるようになった1番のファクターだと思っている。

この気付きから、当たり前かもしれないが、顧客の採用方針や戦略を読み込むのではなく、顧客の中期経営計画や事業戦略から読み込み、また、創業から現在に至るまで、どの事業で競争優位性を維持してきたか、を一番に理解するように努めた。

そのうえで、事業のAsis/Tobeを踏まえたうえで、どんなスキルセットを持つ人材が必要で、不足する人材をどうするか、の仮説構築を行うようにした。

こうした仕込みを行うと、何が良いのかというと、顧客と採用の目標・目的の本質的なすり合わせをすることができ、顧客と立場を超えて、ワンチームになることができるのである。

この仕込みによって、筆者は顧客と近い距離で議論することができるようになったし、顧客の上位役職者のアポイントメントも獲得しやすくなり、成果にも繋がるようになった。

不思議なもので、成果が出始めると、ドーパミンが出るのか、社内の事務手続きやロジ周りも集中して取り組めるようになりミスも減るようになった。

このような仕込み活動は、無形商材を扱う営業・コンサルタントであれば、汎用性のあるのではないかと思っている。

ぜひ、目の前の業務をつまらない作業だと捉えずに、自分は顧客にどういう価値を提供すべき存在で、そのために顧客に何を進言すべきなのか、を考え、仕事のスタンスを取れるようになること、をおすすめしたい。
















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