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他人に言えないことが多すぎる問題

※あくまでも個人の経験談になります。こんな人間もいるんだな、と皆様の明日の活力になれば幸いです。

筆者は、丸の内、六本木、溜池山王界隈に生息し、情け容赦ない資本主義の蔓延る魔都で、ジャンガリアンハムスターのように日夜滑車を回し、人の心を失ってしまった魔王たちと、ドラクエでいう、こん棒と布の服だけという心もとない装備で戦っているのだが、以下のフラストレーションが溜まりに溜まっている!!

発達障害・アダルトチルドレン、歳取るほどに言いたいことが言えなくなる問題

”歳を取ると、いろんなことに諦めがついて生きるのが楽になるわよ”という言説があるが、誰だよ、そんなこと言い始めたやつ、もう一億総中流は終わったんだよ!!!とアイアンクローをかましたくなる。

資本主義は、全体化・合理化を追求することによって利益を最大化する構造をしている。そうなると、何が起こるかというと、全体主義で割り切れない、異分子を排斥する結末を迎える。

つまり、現代人の異分子の最たる”発達障害”、アダルトチルドレンは、周囲から決して悪気なく見えない排斥を受けるため、多数派の定型発達に言えないことが増えていき、心底・超絶ストレスを感じる。

言えなくなってくることとは?

【言えなくなってくること①】結婚していない理由

筆者はアラサーの独身女性である。
だが、パートナーもいなければ、婚活もしていない。
魑魅魍魎たちの無理難題を叶えるべく、あくせくと働き一日が終わっていく。
働いていると身に染みて思うが、既婚であるということの社会的信用は計り知れない。自分の村を築き、運営できていることへの信頼感は抜群なようで、実際、筆者が勤務している外資系コンサルティングファームのワーママたちのマルチタスクっぷりには同僚として脱帽する。

つまり、家庭というコミュニティと職場というコミュニティ双方に属し、適切に運営できている時点で、シンプルに能力・人格ともに成熟していると見做せるのである。
(もちろん、家庭の内情までは計り知れないので、あくまでの職場コミュニティから見た評価にすぎないが)

こうなると自分の村を持たない独身者は肩身が狭い。

アラサーよりもアラフォーに近づいて行っている筆者には、もはや「なぜ結婚しないの?」という投げかけが、職場コミュニティを一瞬で凍り付かせる破滅の呪文となることは共通認識となっているからか、近しい同僚しかしてこないが、なぜ?と問われると、対外的に話せる理由はほとんどなく、回答に窮するので、適当にお茶を濁している。

ここではあえて、本当の理由を吐露する。

その理由は、
自分のADHD特性という暴れ馬をコントロールすることにつきっきりであり、そのうえ、機能不全家庭出身ゆえに、そこそこ男性不信であり、かつ女性性的な役割定義への不信感も持っており、とにかく、内に抱えるものが多すぎて、誰かの人生を預かる余裕などないからだ。

超人にならない限り、間違いなく、パートナーやわが子を己のような不憫さに追いやってしまうことが、心の底から怖いから、である。

20代の頃にカウンセラーにかかって認知療法等を受けてはいたが、アダルトチルドレンで、男性不信で、しかもADHDって、対象テーマが多すぎて、時間も手間もかかり、全テーマに認知療法を行うだけでワイの一生終わるやん・・・・と絶望した。
仕事と生活を両立させながらは、とてもカウンセリングにかかることができず、断念した。

ここで言いたいのは、私って不幸でしょ?ってことではなく、こんな異質な理由を定型発達のエリート様たちに聴かせて、職場を凍りつかせるわけにはいかないので、超絶ストレス、ということである。

話した瞬間に、「そ、そうなんだ…大変だね、まあでも人それぞれだからね…」と気を遣わせたのち、お通夜のように静まり返るに決まっているのである。

なので適当に、仕事に集中したいんで、とか興味ないんで、とかお茶を濁している。

社会構造的にこういう人も生まれるもんだよね、こういう人もいるよね、という市民権が得にくくてしんどい、ということである。

早く本当のことを吐いて、さっさと楽になっちまいたい!!!!のである。

【言えなくなってくること②】親との関係性・生育環境

この界隈ではよくある話だが、筆者の両親もおそらく発達障害&アダルトチルドレンである。
なので、なるべくして機能不全家庭になっているわけである。

筆者は高齢の両親から生まれているが、筆者の父親は、なぜか生家との折り合いが悪く、一人で蔵で生活していたらしいし、筆者の母親は、幼少期に両親を亡くし、兄妹で支えあって生きてきたらしい。

その境遇には同情するが、発達障害に起因する幼少期から思春期の筆者の情緒不安定さ、能力の凸凹に何一つ興味を示さず、日常的に勝手に口論し、事あるごとに筆者を怒鳴りつけてきた両親を未熟な大人であると思っている。

おそらく、二人ともに精神的に自立していないがために、自分の感情や機嫌をとるのに精いっぱいで、筆者が何を感じて凸凹に苦しんでいるのか、といった関心も向かなければ、観察して見抜けるほどの力量もなかったのだろうと思っている。

そうした者どもに筆者が何をしていたかというと、成果で報いて機嫌を取っていた。中高時代の模試の偏差値や部活動などで筆者の評判はそこそこよかったし、大学時代はフェアトレードの事業運営をしていたので、”良い意味での外れ値”が生まれてさぞ、満足したことだろう。彼らの人生の帳尻を合わせ、家庭を家庭足らしめていたのは、筆者の成果であった。

しかも、筆者の生家はあまり裕福ではなかったので、学習塾も中学・高校まで5教科すべて通ったことはない。数学と英語のみだったし、センター試験の対策は、参考書を買い漁るではなく、過去問7年分をいきなり解いて、全方位対策するという荒業で乗り切っていた。
参考書7科目分買うより、過去問を買ったほうが安かったのである。

制服も周囲より安価な衣服店から購入していて、周囲と比べて落ち込んだりして、金銭的なストレスもなかなかにあった。百貨店に入っている衣服店から購入すると価格が跳ね上がるが、商店街の中の学校指定の衣服店であれば安かったりするのである。

筆者の生育環境は、金銭的にも愛育環境的にも褒められたものではないため、筆者の周囲の、生まれも育ちも東京、当たり前のように中高一貫、有名私大か東・京・阪大出身のシティーボーイたち・ガールたちに聞かせるわけにはいかないのである。

話した瞬間に、「そ、そうなんだ…大変だね、(以下略)

誰かに己の不幸を言い募りたいわけではない。
あんたらは相当社会から恩恵を受けて、見えない高下駄を履かせてもらって、今の職・職位についているんやで、もっと自分たちの資産形成だけに躍起になるのではなくて、社会のために視座高く仕事せえよ・・・、ノブレスオブリージュって知ってる?と貧乏田舎育ちの筆者は言いたくなってしまうのである。

(もちろん彼らは何も悪くないし、シティボーイ、シティガールに該当する皆様すみません、社会の不平等さに対しての憤りでしかないです)

(ノブレスオブリージュって意味あってるよね?とググったら、検索最上位に同名のエロゲが出てきて、日本人の変態性に圧倒されました。言わずもがな、そちらの意味ではないので悪しからず)

【言えなくなってくること③】怠惰な人間に厳しい理由

「miikiiiさん(筆者)って、できない人に厳しいよね」
上記は、筆者が職場の上位者からよく評されるコメントである。

また、別の回で述べようと思うが、コンサルティング業界の人材の質は、大量の中途採用の反動で、著しく下がっている。
能力云々より、顧客のためにプロフェッショナルとして必ず仕事をやり抜く、という気概のある人材がほとんど採れなくなってきている。

ゆえに、戦闘バカの筆者のもとに尻拭いとして仕事が回ってくることが多く、冒頭の上位者の発言につながっているわけだ。

筆者も、闇雲に全方位に厳しいサイコパス野郎ではないので、もう少し補足すると、”社会年次の割に、努力の方向性が見えているのに、手を動かさず、権利の上に胡座をかく怠惰な人間”を蛇蝎の如く嫌っている。

(誤解のないように、補足すると、もちろん発達障害やうつ病、身体不調のある方、自分より年若いひとたち、努力してもうまくいかずに苦しんでいるひとたちは全力でサポートする)

筆者は、マイルド貧困家庭に育ち、大学に入るまで満足にインターネットを活用したこともなかった。携帯は持っていたが、通信費用を気にして情報検索にあまり活用できない中高生時代を過ごした。
大学生になって初めて大学で、情報の海から自分の欲しい情報を掴み取るということを学んだ。

社会人になると、己のADHD特性に直面し、20代は社会適応することにすべての時間を捧げた。本当にきつかった。

何が言いたいのかというと、早くに自分の理想に向かっていくのなら、自由自在に情報を獲得できること、何より自分のコントロールが効くこと、が絶対条件である。

情報が手に入らず活路を見いだせない、そして身体も思い通りに動かせない不自由さ、理不尽さ、悔しさ、毎夜泣いても朝には困難な日常に立ち向かう生活の苦しさも、そうした世界をきっと知らないだろうに、手間を惜しむ人間が心底理解できないのである。

一般的な理屈でいうと、これは”生存者バイアス”である。
筆者の過去がどうであれ、他人に生き方に口出しできる権利を筆者は持たない。
つまり、先述したプロの気概を持たぬ者たちに、気概云々を説くこと自体が、形骸化したハラスメント是正意識や、個人の尊重を謳う令和の時代ではタブー視されている。

けれど、定型発達に標準化された社会の常識外に、我々のように不条理と闘う人間がいると認識されていないことだって、定型発達側の生存者バイアスではないのか?その劣勢に立たされていながら、優位者に噛みついてはいけないというのも、立派なバイアスではないのか?と日々思っている。

けれど、これもまた、言えない話なのである。

【言えなくなってくること④】キャリア形成に固執する理由

筆者の業界・職場は、プロモーションと呼ばれる昇進活動が盛んである。
かくいう筆者も昇進に非常に意欲的である。

「miikiiiさん(筆者)がプロモーションしたいっていう気持ちはよくわかっているから」と職場の上位者たちによく苦笑されている。
一応、また昇進させてやろうという計らいは各所から感じるので、隠れADHD持ちにも居場所をもらえて、頭が下がるばかりである。

だが、筆者が昇進したい理由は、おそらく誰も正確には理解していない。

これは、定型発達社会へのジャイアント・キリングなのである。

外資系コンサルティングファームといえば、一応労働市場で言えば、定型発達社会のピラミッドでいうと、上位層である。
(筆者は、ビジネスという領域での最高峰は起業家だと思っている)

この上位層の中で、貧困田舎家庭育ち・ADHD・アダルトチルドレンの筆者が、階層構造の構築自体に影響を与えられる側(管理層の上位)まで昇進すると、一種のジャイアント・キリングになると思っている。
そして、規定ルールの中に、定型発達の常識外の要素を埋め込みたいと考えている。

だから、上に行くことに固執している。

そして、社会構造に最も影響を与える経営・事業開発領域で、”ADHDの着想”がどこまで通用するのか、検証したい。
これもまた、発達障害のジャイアント・キリングである。

そして、これもまた、言えない話なのである。



次回は、お母さんヒス構文と日本の貧しさの関係性について、書きたいと思う。






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