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この時代に本を買う意味

”読書の秋”と言われる季節が近づいてきたことなので、読書についてポストする。
冒頭の「本を買う意味がタヒさんの本にはすごくあって」という文章が個人的に気になりそれから考えてみたことを、あと最果氏の最新作について少しだけふれてみる。

なんで本を買って読書するんだろう

私は海外旅行に行く時、たいてい10冊近く本を持参する。ヨーロッパまでの飛行機の中、私は映画を見ることなく12時間ただ本を読んで過ごしている。荷物検査の重量オーバーで先日引っかかった。もしも紙媒体の書籍でなく電子書籍を持っていけばこんなこともないのに。
正直本は重くてかさばる。特に月に何冊も本を買って読む人たちは圧倒的に電子書籍の方が向いている。それでも本を手元に置いておきたくなる心理ってなんだろう。

「本を買う意味がタヒさんの本にはすごくあって」という本屋に掲げられた謳い文句。
文章だけじゃないそれ以上の何かがあって、例えばタヒさんの書籍は文章だけじゃないということなのだろう。デザイン含めて1つの作品として成立している。本書を買うまで知らなかったが、手触りやカバーを外した時のこだわりとか、そういうのってたぶん電子版では伝わってこない。
私が本を読む理由って、新聞を読むこととはぜんぜん違う意味を持っている。情報を得たいのではなく文章をただ楽しみたいのでもなく、なんでしょうね。近くに置いておきたい。画面を通して話すより直接会って話したい。そんな感じのような少し違うような。
ふいにあの本と会いたいと思った時、本棚からそれをとって再読した時の私はまた同じページで立ち止まっていることを思い知らされるし、本棚で同じ本を数冊見た時少し笑える。
なんだかそれっぽい理由があるようでただ単に紙は数千年も前からあるがゆえ私達にとって馴染み深くDNAが受け入れているだけかもしれないのだけど。CDもレコードもVHSビデオも姿を見なくなったけど、紙は数千年の時を越えて今日もある。紙の価値はおそらく重要で普遍的要素を持つものと解釈している。
PCと毎日向き合っているわりに結局大事な書類は紙にするし、買い物のために街に出ることなんてほとんどないのに本屋に足を運ぶ。しかも本屋がなくなってほしくはないからなるべく小さな書店で買うくらいには本屋存続活動を地味なこだわりをもって行っている。

まあ結論はでないのだけど、本に囲まれた生活で潤いたい。笑
花を部屋にかざったりインテリアで部屋を装飾するように、本ないし積読は私にとって花を買って飾っているのと同じような感覚。実は視覚的効果って大きいんじゃないかって思う。なので私は今日も本を買いに行く。思わぬ出会いを本屋でするためにも。きっと。

天国と、とてつもない暇

最果氏の作品を読みはじめたきっかけは忘れた。ただ無性に惹かれ、1作品目からすべて私の本棚にはそろっている。
詩という、世俗性を欠くあまりに遠い分野に私は意味もわからずハマったのだ。作品の質を見極めて買うことをしない作家が数人私にはいるがその一人である。新刊が出れば中身を一読もせずに本を買う、そういう信頼関係を築いてくれた作者が数人いるのはとても読者としてはありがたい。

私は正直、書かれていることのほとんどを理解できていない気がするし、意味不明で何を言いたいのかわからないこともあるのだけど、間違いなく心を射止める言葉に出会う。その信頼感が「中身を一読もせずに本を買う」ということにつながった。

生きていれば幸福より優しさがほしくなる、この指で与えられるものがひとつずつ、ふえていく、
散りゆく世界、積もる白、私の人生、私の、私への、果てのない、果てのない優しさ。

ちょうど知人が結婚すると聞かされた時、相手の旦那さんに何を求めるだろうって考えていた時だった。もはやこれが答えのような気がした。
「彼女を幸せにします」の言葉はあまりに嘘くさかった。だから、「幸せに…なんて意気込んでも生き続けていたらそんなことありえないし、幸せにしてやろうなんていらない。幸福より優しさを、果てしない優しさを両親や私達の代わりにずっと送ってあげてください」と、そういう言葉になった。

あと

甘いと眠いは感覚として似ているね。好きという言葉で人の理性は眠っていくから。

こういう言葉を見たときに独特の表現と妙な納得感に感心する。

本作、これまでの作品の中で個人的には一番ふむふむと唸った作品だった。秋の夜長にぜひしっとり読んでみてほしい。
詩は遠くもなくハードルも実はそんなに高くない。言葉なのだから。


私が本や芸術、あらゆる感性に触れたいと思うのは自分が知らない何かがちゃんとこの世界に存在することを思い知るから。世界は自分が思っているより広く深いという真理に近づくたびに何故か安心する。私は年をとって他人の感性に無性に興味を示すようになった。たぶん自分の想像力の乏しさをしっかり理解したからなんだと思う。
最果氏の作品にハマったのは私には理解できないとかそんな感情知らなかったってことを教えてくれるからということが一番大きい。そして何より言葉が美しいと感じること。
ただ正直に言うと最果タヒは一般化しつつあると思う。歌詞を書き、デパートのクリスマスイベントに詩を添える。
彼女がこれからどういう作風や方向に進むのかわからないのだけど、不器用な人がそれでも紡ぐ言葉の欠片、個人的にはとても好きです。これからも信頼関係が壊れないことを願っている。

さて、太田市美術館に行って参ります。
それでは。

#読書 #book #最果タヒ #読書の秋

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