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ADHDの息子が海外インター校で変わった話①親にとって天国だった

放課後の教室。
「お母さんも、おうちで言っていただいて…」
お決まりのセリフ。
私は「すみません」と頭を下げる。

小学校での、学期ごとの担任の先生との面談。

教室から出ていってしまう。
机をガタガタとゆらしてみんなの気が散る。
奇声を上げる。
物を投げる。
…勉強以前の問題です。
そう話す担任の先生。

「おうちでの様子はどうですか?」
これも、いつもの質問。

「家では、とても良い子なんです。妹にも優しくて。お手伝いもしてくれますし、とても真面目でどちらかというとおとなしい子だと思います」

そう答えると、ちょっと信じられない、という顔をした後に、
親切そうな心配そうな顔で
「お家で良い子なのは、お母さんかお父さんが厳し過ぎるのではありませんか?そのストレスを学校で発散しているのかもしれません」

喉をぎゅうっと掴まれるような感覚。

「…そうなのかもしれません。すみません…」

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私の16歳の息子はADHDです。
小学校2年生の時に診断されました。

彼はずっと学校で「問題児」でした。

私はひたすら謝罪していました。

そんな我が家の転機。

それは、夫の海外赴任。行き先はマレーシアでした。
彼が中学1年生の時のことでした。

共働きを前提とした生活設計。
私のキャリアへの未練。

ハードルはありましたが、夫婦二人とも殆ど迷いませんでした。

「家族皆で一緒に暮らしたい」
そして
「海外で暮らすことが、息子の何かのきっかけになれば」
そう思いました。

学校では、その変わった行動のせいで浮いている。
成績は公立校で最下位。
小学生の頃に受けていた特別支援学級への通級では、もっと支援が必要な子が優先され、息子はむしろ優等生となり支援を受けられない。

だから中学では先生と相談の上通級をやめたけれど、普通級で馴染めているわけではない。

…居場所がない。
なのに義務教育終了の日は刻々と近付いてくる…

焦りから、苦手な教科を自宅で宿題以上に勉強させ
高額な個別指導塾に通わせていました。

勉強が出来るようになって欲しいわけではない。
でも、せめて勉強が出来れば、居場所ができるんじゃないか。
クラスに馴染むことは勉強よりもハードルが高いようにしか思えない。

泣きながら
怒鳴りながら
頼むから
やれば出来るはずなんだから

そう言い聞かせる毎日。

お母さんが厳し過ぎる。
そうかもしれない。
……虐待かも。
きっとそうだ。
私じゃなければこの子は幸せになれるのに。

ずっと、そう思っていました。

海外は、何かのきっかけになるかもしれない。

藁をも掴む思いで、キャリアを積むことを諦め、収入が半分になることを覚悟し、3人の子どもたちを連れてマレーシアにやってきました。

そんな息子は、今マレーシアでインターナショナルスクールに通っています。

そしてマレーシアに来て3年後、夫に帰任の辞令が下ったとき、夫と私は「息子をこの地で過ごさせ続ける」為に、離れて暮らすことを決めました。

今、夫は日本に単身で帰っています。

「家族はいつも一緒に」
そう思っていたのに
なぜ、マレーシアに残ることに決めたのか。

それは息子の顔でした。

息子は日本に住んでいた頃は
「どうせ出来ないんだし」
そう思っていた、と話してくれました。
偏差値は35でした。
おどおどと、自信が無い様子に見えていました。

その息子がインターナショナル校に入学して最初の学年の終わり。

一つの教科で「成績優秀者」としてトロフィーを受け取りました。

成績は全ての教科で素晴らしいものでした。
あれだけ出来なかった英語すらも。

壇上で、自身に満ちた笑顔でトロフィーを高々と掲げる息子。

1年前からは想像もつかない姿でした。

彼の変化から見た「日本と海外 教育の違い」を書いていきたいと思います。

最初の変化は、「私自身」でした。

数ヶ月経った頃。

ふと、気付きました。

あれだけ苦しかったのに、息子と穏やかに過ごせている。

何故だろう。

学校での面談に行って先生方と話している時に気付きました。

私、一度もI'm sorryって言ってない。

それは何故か。

学校は、息子が何の問題もない、とは言っていませんでした。

落ち着きの無さも指摘されました。

入学すぐは慣れない環境でパニックを頻繁に起こしていました。

それらは学校から連絡をもらっていました。

それでも謝っていない。

「すみません」と言う言葉が謝罪の言葉であるだけでもなく潤滑油でもある日本と
そうではない外国、という違いはあるでしょう。

ですがそれよりも

「社会性を身につける」ことや宿題を含めた勉強を教えること、全てを「学校の役割」として接してくれたことが最大の理由だと感じます。

一度も「あなたも家で言い聞かせて」「家で○○をやらせて」と言われなかったのです。

「落ち着きが無いと判断したら気分転換に水を飲みに行くように指導しています」

そんな話をされました。

「家では何をさせたら良いですか?」

そう尋ねると

「勉強と社会性は学校で指導します。家ではリラックスさせてください」

学校からの連絡は、純粋に「現状報告」であって、クレームでは無いのです。

だから私は謝ることが無かったのです。

「ご自宅でも言い聞かせて頂いて」
「お母さんが厳しいから、その反動で」
そんなことは一度も言われませんでした。

むしろ、正反対。

「それを指導するのは学校です」。


天国だな。
そう思いました。
私はもう「外であったことで叱らなくていい」のです。

「私は子育ての専門家でも教育の専門家でもない。一人で抱え込まなくていい」
そう思えました。

そして、

謝るというのは「自分が悪い」ということ。
謝罪することで私自身の自尊感情をも少しずつ少しずつ損なっていたことに気付かされました。

そして、それを見ている息子にも
「自分が悪い」という意識を植え付けていたのだと思います。

息子のことで謝って謝って、謝ることが多過ぎて
気付かないうちに心底ヘトヘトになっていた私と、それを見ていた息子を
この「謝らない」環境は少しずつ癒やしてくれました。

これにより息子との関係は徐々に改善していきました。
学校が休みで家に帰って来たときも、彼はリラックスしていて、私が何か叱責してしまってもただ謝るのではなく、反論をしてくるようになり、自信をつけているようでした。


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