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ひいばあちゃんとラーメン

ちょっと子供の頃を思い出してみてください。みなさんは、初めて食べた物のことどのぐらい覚えていますか?カレーを初めてたべたのは?ラーメンを初めてたべたのは?じゃあお寿司は? 多くの人は、そんな当たり前にある料理を初めて食べた時のことなんて覚えてないと思います。 

戦時中から戦後、食べ物が手に入らない時代から70年以上経て、いまやボタンひとつで玄関前まで本格中華やイタリアン、タピオカやドーナツまで届くようになり、フードロスという新しい言葉も生まれるぐらい食べ物が有り余る時代になりました。飽食過ぎるこの時代に生きていると、ふと福島のど田舎に住んでいた子ども時代の食事を思い出します。

さて、私は初めてラーメンを食べたのはたしか5歳の頃です。実家は福島の海沿いで、街にスーパーはひとつだけ。品揃えも十分ではなく、外食できるようなファミレスやファーストフードもない小さな小さな町で育ちました。毎日の食卓は、地元でとれた魚や貝、畑で育てた野菜、田んぼの米が中心です。ラーメンはテレビでみていて知っていても、たべたことはなく、味の想像もつかないけどとにかく美味しそうだなとは、子どもながらに思っていました。

わが家には、大正3年生まれのひいばあちゃんがいて、お昼ご飯の米が足りなくなった時や、お客さんが来た時に、町で唯一のラーメンの出前を頼むことがありました。お店の名前は「ハの字」はのじ。とよみます。メニューは、ラーメンのみ。福島なので喜多方ラーメンのようなしょうゆベースの中華そばです。

その日はたしか、土曜日。ひいばあちゃんの、「ラーメンでもとっぺ〜」の一言で、母が出前の電話をして人数分と1つ大盛りのラーメンを頼むと、30分ぐらいでハの字のおじさんがバイクで届けてくれました。道の向こうからオカモチを下げてバイクが来るとうれしくてうれしくて、玄関先で一杯ずつゴトンと並べられていくラーメンの光景は忘れられません。

ラップと輪ゴムで封をされ、はしっこにコショウの小さな袋。器用にそれを外す母の仕草、立ち上がるしょうゆの香りの湯気、子ども用茶碗に分けられるラーメン。その時食べたラーメンは、すごくおいしくてこんな食べ物があるんだ!?と驚いて母のラーメンをほとんど食べてしまったような気がします。ハの字のラーメンを食べている時の、ひいばあちゃんは嬉しそうで「やっぱりハの字のラーメンはうめなぁ〜」と言っていました。

なんてことのない出来事だけど、こんなにハッキリ思い出せるぐらい私にとっては、初めてラーメンを食べた時のことは、記憶にのこっていて。ラーメン記憶というよりは、ラーメンに付随した家族での幸せな時間の記憶が色濃く残っているわけです。

思い返すと、ハの字のラーメンを食べたのはいつも父や祖父がいない時で、母や祖母が家事を楽したい時にひいばあちゃんがお金を払って出前をとってくれていたのだと思います。だから父や祖父とラーメンを食べた記憶はなく、私の中にあるのは、穏やかな土曜日の昼、NHKを見ながらひいばあちゃんとすすったラーメンの記憶。何にも変えられない家族の時間のこと。

それから、中学生になった頃に、ひいばあちゃんは入院して、「何か食べたいものある?」と聞くと、「ハの字のラーメンがくいてなぁ」と漏らしていました。それから少しして、ひいばあちゃんは亡くなり、ハの字も店をたたみました。

最後にハの字のラーメンを食べたのはいつだったか、そこまでは思い出せないけれど。大人になった今でも、ラーメンを食べる時、立ち上がる湯気を見ると、あの時の光景を思い出しどこか、あの初めて食べたラーメンの味を探してしまう自分がいます。

みなさんにも、そんな忘れられない記憶があるはず。幸せは日常と共にあることを。


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