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お母さんはNintendo Switchの代わりに、百人一首を買うことにした。

「夜になると、ときどき、胸のあたりがモヤモヤするんだけど、ぼく病気なのかな?」

ある晩、小学生の長男が涙ぐみながら相談してきた。驚いて話を聞くと、身体の具合が悪いわけではないらしい。春から生活が激変して、子どもなりにストレスが溜まっているようだった。

それは、そうだと思う。突然「あたらしい生活様式」を求められて、大人だって皆少なからずストレスを抱えている。

子どもと一緒に過ごす時間を、増やそうと思った。同じ空間で別々のことをするのではなく、向かい合って、会話をする時間を。できれば何か、家の中でも一緒に楽しめるものがあるといい。

最近のゲームは、家族で楽しんだり、身体を動かせるものも多いから、この機会に買おうかとも思ったのだが、皆考えることは同じらしく、ゲーム機が品薄でなかなか手に入らない。

トランプや人生ゲームもいいのだけど、4歳の次男にはまだ少し難しくて、一緒に楽しめない。どうしようかと考えあぐねているとき、お茶のお稽古で、競技かるたをやっていたという方の話を聞いた。

百人一首の中でも、「ふ」で始まる歌は「ふくからに あきのくさきの しをるれば・・・」の一首しかない。だから、「ふ」が音になる前の、唇から空気が抜ける気配で「むべやまかぜを あらしといふらむ」の札を取るのだという話を聞いて「これだ!」と思った。

暗記が好きな長男は、きっと百人一首にはまるだろうという予感があった。坊主めくりなら、次男も一緒に楽しめる。

最初から百枚のセットを買うと、一巡するのに時間がかかり、気軽にできなくなってしまう。そこで、歌人の天野慶さんが考案した「はじめての百人一首」を買うことにした。子ども用に30首を選び、取り札にもかわいい絵柄がついているので、文字が読めない子どもでも楽しめる。

数日後、届いたかるたの箱を開けると、ポケモンのアニメに夢中だった子どもたちが「なになに?」と集まってきた。

「これはね、百人一首だよ」

「ひゃくにんいっしゅ?」

「そう。昔の人が、そのときの気持ちを短い歌にしたんだよ」

「どうやって遊ぶの?」

まずは坊主めくりで、かるたと仲良くなる。絵柄が坊主か、男性か、女性かだけがわかればいいので、簡単だ。次男もゲラゲラ笑いながら楽しんでいる。

かるたに慣れたところで、取り札を散らし、歌を読み上げて取ってみる。現代の言葉とは違う、耳馴染みのない言い回しに、最初は聞き返したり、探すのに時間がかかっていた長男も、だんだん調子が出て目の色が変わってくる。

次男も、絵を見るだけでなく、「あ」とか「か」とか、自分が読める文字を聞き取って、一生けんめい札を探している。

途中で帰宅した夫も加わり、案外白熱した試合になった。思っていた以上に楽しい。家族がテレビ以外の、ひとつのものに集中して笑ったり悔しがったりしながら一緒に時間を過ごすなんて、考えてみると、とても久しぶりなんじゃないだろうか。

それ以来毎晩、「胸のあたりがモヤモヤ」し始めると「百人一首やろう!」と息子が言い出すようになった。夢中で遊ぶと、少しモヤモヤが晴れるそうだ。時には次男が「あれあれ、ぼうずのやつ、やりたい!」とリクエストすることもある。

たいてい私が読み札係なのだけれど、最初の句を口にすると、あとは札を見なくても、口から勝手に歌が出てくることにも驚いた。ふだん思い出さなくても、子どものころ覚えたことは、記憶の引き出しにちゃんと残っているのだろう。読んでいるうちに、昔実家にあった小倉百人一首の、緑のふちがついた取り札に描かれていた作者の肖像画まで記憶の底から浮かんできた。

子どもたちがあまりにも飽きずに毎日遊んでいるので「百人一首って、どこが面白いの?」と聞いてみた。

次男「ぼうずー!」

長男「あのさ、ゲームには、すぐに飽きるゲームと、毎日やっても全然飽きないゲームがあるんだよ。百人一首は、飽きないほうのゲームなの」

たしかに。複雑なゲームだから飽きないかというと必ずしもそういうわけではなく、単純なルールでも、何度やっても飽きない遊びというのがある。

飽きずに繰り返したくなる遊びの特徴は「気持ちよさ」と「ストレスの少なさ」だと思う。脳にあまり高い負荷をかけずにできて、達成感が味わえる。

百人一首は「札を読む」「耳で聴く」「札を取る」という究極にシンプルで、負荷がかからない遊びだ。脳内で言葉の記憶がつながって、札を取れれば快感が味わえる。

57577のリズムは、日本人にとって心地いいし、なんといっても名人たちの厳選された歌なので、言葉の配列が芸術的に美しい。聴いていて気持ちがいいに決まっている。だからこそ、貝合わせの時代から千年以上も続いてきたのだ。

1週間ほどで、最初の句を聞いて札を取れるようになった長男は、30枚の百人一首では飽き足らず、フルセット100枚の百人一首がやりたいと言い出した。望むところよ。受けて立ちましょうとも。

…息子はまだ知らない。本当は、わが家で一番百人一首で遊びたいと思っているのはお母さんだということを。そして、来年のお正月、遊び相手になってくれる好敵手を育成するために、母がひそかに策略を巡らせていることを。ふふふ…

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