幸せな時/幸せでない時
人生を幸せな時と幸せでない時で分けると、
今は間違いなく「幸せでない時」だ。
人生をその二つだけで分けてしまうこと自体にオイオイと思われる方もいるだろうが、
自分に「いま私は幸せか?」と問いかける時、二択どちらかに決めるということを自分のルールにしている。
極端といえばそうかもしれない。
ではこの二択の答えを決める要素は一体何か。
やっぱり恋愛なのである。
恋愛ひとつで自分の幸不幸が左右されるなんてばかばかしいとも思うけれど、
好きな人がいるだけで幸せと感じ、
何もないときは幸せでないなあと感じる。
私にとって幸せのベクトルは単純すぎる。
そしていま「幸せでない時」を過ごす私が向かっているところ。
それは食だ。
今日の夜ご飯からの流れをあげてみる。
22時 エビマヨ、卵の炒め物を作りごはん1杯と一緒に食べる。
その後なんだか物足りなくてアイス。
23時 なんとなく口寂しくポテチ一袋(!)
23時半 本を読みながら居眠り
25時半 起床
とてつもないカロリー摂取をしているうえ、食べた後に速攻眠っている。
恐ろしい。
これでは正月太りの前にクリスマス太りを迎えてしまう。
悲しいことに幸せじゃないほうの太り方だ。
大きな声では言えないが最近こんな日々が続いており、ふと浮かんできたのは、「生きるために食べる」という言葉。
今日のわたしは果たして自分が生きるために食べたのだろうか。
正直食料に飢えているわけでもないし、仕事で重労働をしてヘトヘトすぎるわけでもない。
だから「生きるために食べる」という言葉は全くしっくりこない。
食と生きるという言葉が結びつくのは、自給自足の生活のようなものを体験しないと実感できないのかもしれない。
それではいったい何のために人は食べているのか。
いろいろ考えてみるが、最終着地地点はやっぱり「生きるため?」となるのだ。こんなに実感がないのに。
不思議なものだ。
普段当たり前のようにわたしたちのそばにあるのものの、
根本的な意味を考え直してみること。
それもいろんな角度から見つめること。
それが言葉探しのキーになるのかもしれない。
「幸せでない時」だからこそ
自分と向き合って、こういうことを考える時間が持てたりする。
そこから新しい歌詞が生まれたりもする。
一方こういう時間を噛み締めながら、
やっぱり「幸せな時」を過ごしたいと願う乙女なわたしもいる。
幸せか幸せでないかの判断要素が、恋愛ではなく食になってしまわないよう願うばかりだ。
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