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本当は言いたくない「いつまでも元気で、長生きしてね」

「こればっかりは順番だからねぇ」と、祖母の体調が悪くなる度に、母がよくつぶやいていた。私はことあるごとに、祖母に向かって「長生きしてね」や「元気に過ごしてね」と話し、神社やお寺に行けば母の好きな鈴のお守りと、祖母のために健康長寿のお守りを買っていった。もう何年も前の話だ。


先週、母の還暦祝いを兼ねて安曇野の穂高養生園へ旅行に出かけた。一緒に旅行するのは10年ぶり。大人になると何年経っても変わらないように思えるけれど、10年は人を変化させるのに十分な時間。皺も増えれば体力も落ちるし、肌のハリだってなくなる。それは私だけではなく、母も一緒だ。

混雑した電車に乗り込むと、椅子に座っていた高校生くらいの少年が荷物の多い母を気遣い、「どうぞ」と席を譲ってくれた。そうか、母はもう席を譲ってもらえる年齢に見えるんだ。そんなことに気を取られていたら、その少年に「ありがとうございます」を言えず終わってしまった。


旅行の前日は、母に手紙を書いた。今回買ったプレゼントのこと、退職後のこと、つらつら書いていたけれど、最後になって手が止まり、最近の母を思い返した。

仕事へ行く前の化粧姿、帰ってきた時の「ただいま」を言う表情。離れて暮らしていると思い出すのは40前後の頃の母が多い。そのせいなのか、時々出かけたり、外でご飯を食べたりすると、頭の中に描いていた母よりも一回り小さく見えるようになった。その度に、これがいつも言っていた「順番」なのかなぁと思う。

「順番」が来た祖母は姿形が見えなくなり、母の言葉の通りで行くと、次が回ってきている。

「順番」を守れること自体、本当はとても幸せなことだと思う。思いもよらないタイミングで事故に遭ったり、病気になってしまった人がぽつりぽつりと身近に現れるようになった。寿命まで生きていられることは、当たり前なんかじゃないことも理解している。けれどだんだん小さくなる母を見ると、自然の流れだよなぁという諦めと、まだ早いんじゃないかという焦りがこみあげてくる。


手紙の最後に書きたい言葉を、書きたくなくて少し迷った。「いつまでも元気で、長生きしてね」なんて、まるでおばあちゃんみたい。お母さんに言うなんて、考えたこともなかった。私はこれから、綺麗な音の出る鈴のお守りじゃなくて、健康長寿のお守りを母に買うようになるのだろうか。そしていつか「こればっかりは、順番だからね」と、自分を納得させる日がくるのだろうか。


整理しきれない思いをわからないようにしたくて、「誕生日おめでとう」の影に隠すように、「ちょっと寂しいけど、元気で長生きしてね」を付け足した。


去年の毎日note




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