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肯定的な気持ちで学ぶこと

一度重たくなってしまった耳や目や口は、なかなか開かない。

昨日の記事に、否定的な考えを持った状態で臨んでも、得られる学びは薄いというような趣旨を書いた。今日は、本当にその通りだなと思う瞬間があったので書き残しておきたい。

教育学部のとある履修科目のことである。
必修科目なので履修せざるを得ないのだが、教科名とシラバスからあまり魅力的な印象を持てず、しばらく寝かせてあった。私は、興味のある分野のテキストは真面目に読み込む。読み込んで、自分なりにレポート形式でノートに纏める、というのが自分のスタイルである。しかし、興味のない分野については、これきりの縁とばかりに、かなり雑な対応をしている。

「こんな形式的な科目、やってもやらなくても同じでしょ」

この科目も後者に分類してやっつけで済ませようとしていた。そんな否定的な気持ちで臨もうとしていた矢先、昨日自分が書いた記事を思い出して手を止めた。

昨日の記事で、否定した気持ちで何かに取り組むことは学びを阻害すると言っているにもかかわらず、私はそれに真っ向から矛盾することをしようとしているということに気づいたのだ。

傾聴においても「相手に興味を持つ」ことが大切だと散々言われた。そうでなければ、相手に寄り添うことは出来ない。テキストを傾聴するだなんておかしな表現だが、相対する時の心の持ち方は同じなのだと思う。

そして心を入れ替えて「これはどんな科目なんだろう?」と興味を持ちながらテキストを読み進めたら、なるほど、今まで寝かせていたのが馬鹿らしくなるくらい捗るわけです。

心の持ちようでこんなにも変わるのか。

自分の行為を反省し、一つ一つのことを肯定的に受容することに、より一層の意識を向けようと心を引き締めた一日でした。


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