Miharu / 美晴

みはるのあれこれ。日々思うことをそのままつらつら。もっと優しく対話ができる世界を作りた…

Miharu / 美晴

みはるのあれこれ。日々思うことをそのままつらつら。もっと優しく対話ができる世界を作りたくて、グラフィックレコーディングやってます。

マガジン

  • EMSi Fellow Community Magazine

    • 330本

    EMSi(Essential Management Science institute)Fellow Communityの皆さんの記事を集めました。 EMSi Fellowとは、EMS(Essential Management School)本質行動学基礎原理コースなどの修了生のCommunityです。 多様な人、多様な考え、多様な日々、多様なビジネス、多様なアートが雑多に、ごった煮していく、本質追求マガジンです。

最近の記事

おばあちゃんともう一回話がしたい。

おばあちゃんが食べるのを拒むようになった時、生きるのを諦めてしまったように見えた。 おばあちゃんがおばあちゃんじゃなくなるような気がした。 「おばあちゃんであることは変わらないよ」と私の母は言った。 変化しないことなんてこの世の中にないのに。 今は変化することが怖くて怖くてどうしようもない。 自分の変えられないものに対して悲しむことやめられないかな。 私がよく笑うのは、おばあちゃんゆずり。 ちょっと天然なところもおばあちゃんゆずり。 お花が好きなのもおばあちゃんと一

    • 主戦場を見て 

      ずっと見てみたかった「主戦場」をやっと見た。まだ言葉にはならない部分もありつつ、感想を書いていこうと思う。 証言に一貫性がないという主張右派の人たちがよく言う「元慰安婦の人たちの証言に一貫性がない」と言う主張。その主張を通してなされる議論は「だから慰安婦は性奴隷でもなんでもない」「問題ではない」というものである。 そもそも問いたいのは”証言に一貫性など存在するのか”ということである。証言者は人間であり、さらに何年も前の経験を遡って話している以上、新しい情報が出たり、数字が

      • 今年の目標を少し。

        一週間を振り返ってみる。 ちょっとずつ自分を取り戻してきている。以前の自分がちょっとずつ顔を出している。 いつも頑張っているひと、うまくいってるように見える人の裏には涙も、挫折も負のものがあるんだって気づいたからかもしれない。 辛いのは私だけではない。 うまくいかない、問題にぶつかった時にどう対応するか。 自分の成長度合いが試されるんだと思う。 ということで今年の目標が定まった。 ①早めの行動 ②準備120%する ③何事も2回確認する ④3手先を考える ⑤意思決定をす

        • 眉毛サロンに行ったら、ちょっぴり自信がついた話

          先日久しぶりに眉毛サロンに行ってみた。 大学3年の時に少しだけ通っていたけど、たかが眉毛に3000円かけるなんてなんだか馬鹿らしくなって途中で行くのをやめてしまった。「眉毛が変われば顔が変わる!」という期待と裏腹に、あまり変わらなかった失望感もあったような気がする。 それからはナチュラル眉毛という名の特に何もしない眉毛で過ごしてきた。 ”飾り気のないナチュラルさ”と言えば聞こえがいいけど、単にケアしてないだけである。 卒業式を迎えるし、ちゃんとしなくちゃなぁと思ったの

        おばあちゃんともう一回話がしたい。

        マガジン

        • EMSi Fellow Community Magazine
          330本

        記事

          先輩の話

          午前5時ごろ。 「もう朝日見れますね~」と明るくなりそうな商店街を先輩と二人で歩く。 本当だったら自転車で帰っているはずだった。 しかし、先輩が自転車をとめていた場所のシャッターが下ろされてしまって私は自転車を持っていたけれど、結局二人で歩くことになったのだった。 その日はバイト先の最後の飲み会だった。卒業前の私たちをねぎらって職員さんが開いてくれたものだった。お世話になった方との食事ほど楽しいものはない。 そして日付が変わって1時。 職員さんたちとはお別れをした。 そ

          変わらないという意味

          沖縄の米軍基地問題。 深入りすればするほど自分がいかに浅はかで、他人で、無力かということをつきつけられる。私はこの問題にどうやって向き合ったらいいのか。答えなんてないのかもしれない。でも考えるのを辞めたくない。それが最低限、私にできることなのかもしれないと思うから。 出会い 東京のホステル。22時頃。 ゴロゴロと大きなキャリーバックを持った女の人がやってきた。 てっきり今から帰るのかと思い、「お帰りですか?」と声をかけると、 「いまきたの!沖縄から!」と。 初めて

          変わらないという意味

          人生とは何ぞや

          最近意識していることがある。 それは「人生には正解はない。正解よりも納得感があるかどうかだ。」である。 気が付けば他人や社会を基軸に生きてしまう世の中で確固たる自分を持って生きることはなかなかにタフな気がする。 でも私はなんとなく最近それができるようになった気がしている。 自分は自分。人は人。 他人や社会と自分を一緒くたにするのではなく、きちんと切り離す。 そしてその上で全く違う第三者的視点で自分と他者や社会との関係を観察する。 時には社会の潮流に乗っかりながら。で

          人生とは何ぞや

          議員面会プロジェクトを通して私が伝えたいこと

          愛媛での議員面会プロジェクトはどうだったのか 愛媛でやってきた議員面会プロジェクト。 議員に対して面会の申し込みの手紙を出す。 単純だが、直接的なアプローチ。私たち、国民の代表である国会議員は核政策について何を考え、何を思っているのか。それをメディアやネットといったフィルターを通したものではなく、ちゃんと生で聞く。 私にとって初めての取り組みで、プロジェクトが進むにつれて社会に働きかけるということの大切さを肌で感じた。 でも正直ずっと不安だった。 被爆地ではない地域で

          議員面会プロジェクトを通して私が伝えたいこと

          「挑戦しないことが一番の失敗だ」とか言ってみる

          私はこれまでいろんな活動をしてきたつもりだった。海外にもそれなりに行ったし、人よりは経験を積んでいる方だと思っている。 この間「今までの活動の経歴を教えてください。」と言われたのがきっかけで「今まで何してきたっけ?」と振り返ることができた。 で、振り返ってみて思った。 「私作ってきてないな。」 と。 自分では結構クリエイティブな方だと思っていた。でも今までやってきた活動は決して自分から作ったものではなくて、誰かほかの人が作ってくれた土台の上でやっている。そんなものだっ

          「挑戦しないことが一番の失敗だ」とか言ってみる

          いい子ちゃんぶってるは嘘じゃなくて本当だった。

          昔から言われてきた言葉「いい子ちゃんぶってる」「純粋」 幼い時によく「いい子ちゃんぶってる」と言われていた。 全然そんなつもりなくて拍子抜けした覚えがある。 私の何をみて「いい子ちゃん」ぶってるって言ってるんだろう。 私自身は”いい子ちゃん”のつもりは全くなかった。 ちょっと成長すると言われる言葉が少しだけ変化した。 「美晴ちゃんは純粋よね~」 「ピュアすぎ(笑)」 純粋とかピュアとよく言われるようになった。 これもこれで自分はまったく身に覚えのないことだから焦った。

          いい子ちゃんぶってるは嘘じゃなくて本当だった。

          やさしいせかいでいきていきたい

          これまで20年間生きてきて、いろんな人にいろんな言葉をもらってきた。 その言葉に救われ、奮起させられ、時に喜び、驚き、そして悲しんだり、傷つけられたりもした。 言葉は私を救いもするし、時に傷つけもする。 それは誰にとってもおなじだと思う。 どんな言葉がその人を救うかわからないように、どんな言葉がその人を傷つけてしまうかわからない。 だから言葉はすごい。そして怖い。 私が発した言葉で誰かに深く傷跡をつけるのかもしれないと思うと話すのが怖くなる。 相手がいまどんな状況な

          やさしいせかいでいきていきたい

          何事も相手がいて初めてできること。

          たしか私の誕生日ぐらいだったと思う。 ふと、友達がいることって当たり前じゃないんだな。と思った。 多分それは誕生日を祝ってくれるだろうと思っていた友達が当日に祝ってくれなかった時に感じたことだと思う。 いつも一緒にいる子たちだからきっと祝ってくれるだろうと思っていた。 コロナで難しいけど、たぶん。 でも結局その子たちではない別の子がサプライズをしてくれた。 予想もしてなかったのですごくうれしかったし、めちゃくちゃ喜んだ。 でもどこかですごく寂しかった。 ああ、私っ

          何事も相手がいて初めてできること。

          ナチスの服を着るということ パート2

          「ナチスの服を着ること」について話し合ってみた ナチスの軍服を着た人に出会った話をnoteに書いてSNSでシェアした結果、いろんな方からリアクションをいただいた。 そして先日そのことにについて掘り下げて考える機会があった。 私のスタンスは「ナチスは絶対に許さない」だ。 それは未来にナチスを許容する隙を与えないためである。 世の中に絶対はないけど、ナチスに関してはあると思っていたし、それは必要だと思っていた。 でも対話の中では反対の考えにぶつかった。 ナチスの服を着

          ナチスの服を着るということ パート2

          ナチスの軍服を着るということ

          「これはナチスドイツの軍服です」 そう言われたらあなただったらどんな反応をするだろうか。 反応は主に三つあるだろう。 興味ないから「へー」と聞き流す 興味津々になって「格好いい」やもっと話を聞きたいと思う 着ていることに驚きと嫌悪を感じる 私は三つ目だった。 正直に言ってしまえば、衝撃だった。 恐怖心さえ覚えた。 この人が公の場でなんでもないかのようにナチスの軍服をコスチュームとして着ていることも それがナチスの軍服であることを言っていることも それを着ているひとが

          ナチスの軍服を着るということ

          おばあちゃんのお土産袋

           私が愛媛から広島に帰省して、また愛媛に戻る時、私のおばあちゃんは私に絶対にお土産をくれる。 その名も”お土産袋”。 中身はというと、お菓子やビタミン剤、即席スープや即席めん、青汁、もち、米など様々なものが詰め合わせで入っている。  お菓子が多い時もあれば、即席スープやめんが多い時もある。もらうたびに今回の中身はなんだろうとわくわくする。 おばあちゃんがお土産袋を作ってくれるようになったのは、私が愛媛大学に通うようになってからだと思うから結構前だ。 そもそもなんで作って

          おばあちゃんのお土産袋