大きな受賞の影に「3回落ちた経験」あり、という、とてもリアルなお話。
上手く行かないことがあっても、絶望しないでほしい。
これで終わりだとは、絶対に思わないでほしい。
というのが今日の話題です。
もうすぐ4月。第一希望の学校や就職先に意気揚々と向かう方もいるだろうけれど、第二希望以下で、実はしょんぼり…って方も多い時期かなと思って。
でもね、ほんとに。これで終わりなんて人生にはないのよ。私も今回大きな賞を頂く前に3回、落ちているのですよ、同じ賞に。
わたしはね、人生に一番大事なのって才能じゃないと思うんですよ。失敗しても何度も挑戦できる「過去の失敗スルー力」や、失敗したやりかたを捨てて、別の戦略を立てる「別のやり方お試し力」のほうが、大事だって思うの。
そんな話を今日はします。
NYにはすべての音楽の「殿堂」があり、そこで生き残るには戦略が必要なのじゃ
NY時間28日の朝9時、熱があるのに"もそもそ"とベッドを抜け出し、SNSに投稿をした私。KYMN(カイム)のオンラインコンサート後すぐ出た熱が下がらず、ずっと臥せっていたのに起き出した理由は
大きな賞を頂き、その発表が朝9時にされたから。
同日、副田整歩が投稿してくれたこの文章、分かりやすい!
彼が引用している私の元のツイートは熱で支離滅裂で意味が分からないから読まなくていいです笑。
そう。NYには数え切れないほど助成金があるけれど、それらはすべて、超狭き門で。
この街にはありとあらゆる音楽の「殿堂」があって、その殿堂を目指して世界中の天才音楽家がやってくるこの街では、天才のライバルがうじゃうじゃいるわけで。
こんな場所に、以下のようなキャリアのアタクシが飛び込んで、普通にやっていても生き残れるわけがなくて笑。
「4ない」の私がNYで生き残れたのは助成金文化のおかげ
私はNYではないないづくしの「4ない」なのです。「音大卒の学歴ない」「コネない」「英語ネイティブじゃない」「市民権ない(移民で就職が難しい)」。どや!笑
そんな私が生き残れた理由は、NYに助成金の文化があって、実力さえあれば4ないでも生き残れる道が残されていたから。
ある時にバイオリニストで作曲家のMeg Okuraちゃんが「グラント(助成金)に応募してる?応募したらいいよ」と教えてくれて。(詳しくはこの投稿で)
これは朗報だった。リクルートで鍛えた「理詰め力」でグラントやアワードを取りまくるしか、私にはない!と直感で理解した。
学歴の代わりに「この人こんなに受賞しててすごい」と受賞歴を見せるしかない!と生き残り戦略を決めたのが確か2016年くらい。渡米して4-5年経ったころだったかと。
助成金と音楽の賞を探す旅
そこから私のジャーニーが始まった。
まず賞や助成金を探した。でも、圧倒的に「ジャズ」ジャンルで応募できる「賞」がない。
仕方ないから、見つけた数少ない賞については全部、過去の優勝者を調べ、私もでも行けると思ったものを選び出し「行けそう度順」を付け、その順に1つずつ、全部に応募していった。
結果、ほぼ全部の賞をいただいた。後に審査員を担当した賞もある。
傾向と対策をきちんと練ってから応募させていただいたからだし、あまりにも数が少なかったからほぼ全ていただけたんだろう。
でも世界的にあまりに数が少ないし、日本には全く賞がないようなので「ジャズ作曲の賞を作る」のが私の夢のひとつになった。(これはまた別の機会にじっくり話したい。)
次に助成金を探した。こちらはまだ望みがあった。「目的と手段と予算を明確にロジカルに説明できるアーティストは、高く評価いただける文化」が私の助けになった。
NYには芸術家を支援するNPO団体がたくさんあり、彼らにも助けられた。無料もしくは格安で良質な勉強会があって「助成金応募書類の書き方」とか「アーティストとしてのプロフィールの作り方」とか、教えてくださる。
私は、この団体助けてくれそう!情報持ってそう!と思う団体を見つけるとメーリングリストに即登録して、届いたメールは全部読み、人数が限られているワークショップにもどんどん行った。特にNew York Foundation for Arts (NYFA)の勉強会には本当に助けられたな…。
実践編のワークショップで、英語力が低くて付いていけない時などは、泣きそうだった。でもね、段々それを恥ずかしいと思わなくなっていった。余りにも悲しいのが続いて、慣れてしまって、英語ネイティブじゃないのに頑張ってるだけ偉いじゃん!って開き直れたから。
「私はネイティブではないので、今書き直しがすぐに出来ないのですが、助けていただけますか」と手を上げて言えるようになったとき、自分が誇らしかった。
受賞するまでに3回落ちて、3回目になんか変だぞ!と思い。
今回受賞したCafe Royalの賞は英語ネイティブの友達に「こんなのあるよ」と教えてもらったものだ。
Miggy Augmented Orchestraにいる作曲家でサックス奏者で仲良しのQuinsin Nachoffと、同じく作曲家・サックス奏者・ビッグバンドリーダーでこれまた仲良しのRemy Le Boeufが連絡をくれて。
で、3回応募したが、毎回なぜか落ちてしまう。音源のクオリティも良いはずだし、主旨もきちんと伝わるよう、プロの目を通してもらって仕上げているのに変だ…。
それで基本に戻って傾向と対策を練り直すことにした。
過去の受賞者を調べ
どんな音楽ジャンルで応募しているかを調べ
そうしたら、すぐに分かった。big bandで応募しないほうが良さそうだ、と。なんで3回落ちるまでここに気づかなかったのか、とても後悔したけれど、後悔の念に浸っていても仕方ない。
切り替えて、「じゃあどのジャンルの音楽で応募しようか…」そう思い初めて、ほどなくして、副田整歩とのサックス四重奏プロジェクトが始まったのだ。
これが、運命だったのかな、と。
なおむと日本の仲間たちと一緒に録音した音源は、戦略を切り替えた段階で、すでに手元にあった。名演だった。お陰で私は良いクオリティのサンプル音源を提出することができた。
結局は、ご縁があったということ。
蓋をあけてみたら、これが大正解だったらしい。
Cafe Royalは近年ビッグバンドに賞を出したことがあって、今回は別の形態の作品を選んだほうがバランスが良かったらしい。それで「出来たらビッグバンドじゃないほうがいいんだけどな〜」という気持ちが心の奥に少しあったのだそうだ。
彼らは伝統のジャズ表現だけでなく、個性的な曲を自由自在に書ける作曲家が好きだそうで(これは過去の受賞者を見て分かっていた)、そういう基準でサンプル音源を次々聴いていたら、過去にビッグバンドの形式で応募した「ビッグバンドの作曲家なはず」のミギワが少人数編成で書いた今回のサンプル曲に驚き、それが審査員の耳を惹きつけたらしい。
日本出身で和モダンなフレーズも書くのに、基本はジャズで、クラシック音楽の素養やソウルミュージックの影響も受けている … ちょうど彼らが欲しかったものを、私は応募作品に選んでいた。私の戦略も勿論当たっていたのだけれども、何より、ご縁が合ったのだ思う。
応募に使用した音源の多くをこのビデオで聴けるので楽しんでいただけたら嬉しい。整歩のリーダーとしての真剣な表情が光るいいビデオ。
ここまで考えて冷静に思うのだけど、やっぱり、結局ご縁が合ったのだと思う。もちろん私がのんびりダラダラしていて作曲の腕を磨いていなければ、今回の受賞はなかっただろうけれど。腕が合れば通るってもんでもないのだ。
あちらが欲しいものと、こちらが思うものがガシッと合う不思議なご縁ってものが、時々あるわけだよ。
三回落ちたからこそ、じーんと涙な体験になる
ここまでNYで苦労して苦労してキャリアを積んできたからこそ言えることなのだけれど、ご縁というのは本当に不思議で。
求めても常に与えられるものではなく、でも求めなければ絶対に来ない。
いつも懸命に求めつつ、でもご縁がないときはさっぱり忘れるのが良い、そんな感じのものが「ご縁」だという気がする。
最後に、朋友副田整歩が書いてくれたこのツイートを貼っておきたいと思う。私はこのツイートを読んでダバーと泣いてしまったのだけれども、もしNYに移民としてやってきた当初からこの賞をらくらく受賞していたら、このツイートでそんなに感動して泣いたりしただろうか?しなかったんじゃないかな。
人生、何がよくて何がよくないか、って本当に分からない。過去に三回落ちたからこそ滲みてくるものがあるし、だからこそ書ける音がある気がする。
私はどんどん努力して、どんどん失敗して、どんどん自分を深めていって、そしてもっと良い音楽が書けるようになって皆さんに喜んでいただいて、出来ることなら過去の辛いことから旅立ったり人生が深まって幸せになったりするそのお手伝いがしたい。
それを願って今日も努力するだけ。改めて、この受賞に関してお世話になったみなさま、応援してくださっているみなさま、ありがとう。いつも、みんなのことが、大好きです。
このビデオに参加してくれてるみんなのクレジットはこちら!