最低最悪の真っ最中に「グレない」こと - 結論をすこし、待とうぜ
最近人生について学んだことが2つある。
今やっているサックス四重奏プロジェクトが、この2つを私に教えてくれている。
始まりは「大変すぎたコロナ禍」
この
副田整歩と「サックス四重奏でレコーディングするぞ!プロジェクト」
は2020年からやっている。
これまでに2回レコーディングしていて、この春、もう一度追加の楽曲をレコーディングすることにした。
過去2回のレコーディングでとても良い音が録れたので、それらをサンプルに使ってNYの助成金に応募してみたら、なんと、超絶狭き門を通していただけて、晴れて受賞となった。助成金団体のプレジデントとの面接になり、聞かれたのがこれ。
それでやっと思い出した!
始まりは、コロナ禍で全ての仕事を失ったこと、だった。
消えそうだった私の「作曲家としてのアイデンティティ」に火をともす
NYのコロナ禍って、甚だしくキツかった。
あの時期、落ち込みすぎて作曲ができなくなった。人生で初めての体験だった。メンタルが回復しても作曲の仕事はなく。
そんななか副田整歩(なおむ)が私のサックス四重奏楽曲を吹いてみたい!と言ってくれて、多重録音で"Exploring Discovering"という私の曲を録ってくれた。コロナ禍で消えかかっていた私の作曲家としてのアイデンティティに、火が灯った。
私は、ああ、私って作曲が出来る人間だったんだな、と少しずつ、少しずつ、思い出して、そのときはじめて「私ってサックス四重奏の楽曲を作る才能があるみたいだ」と、気づいた。今まで16-17人の大規模アンサンブル曲を書いてきた私にとって、これは大きな発見だった。
少人数アンサンブルって面白い!
わたしってこの編成の曲、書けるんだ!
ということを、初めて理解したのだ。
大人数が書ける人は少人数も書けることがおおいので、よく考えれば当たり前なのだけど、人って自分のこととなると冷静に考えられないものだしね。
最低最悪の真っ最中に「グレない」ことの大切さ
面談で質問をされるうちに、どんな順番で今に至ったのかを、だんだんに思い出し始めた・・・以下のような、流れだった。
最初はただの愚痴だったのに2020-2023の4年の間に「腹落ち」にまで至っている。今になって「さらなる発展」にまで至っているわけで。
コレを見て、我ながら最低最悪の真っ最中に「グレない」ことがどれだけ大事かに気付かされた。
最低最悪な体験の扱い方って難しい。
真っ最中にいると、自分が可愛そうであることを分かってほしいがために、心も脳の中も全部すねて、グレて、可愛そうな自分の浸るのが「悦」になってしまって、そこから出てこない。
他人に何を言われても、可愛そうな自分をもっとわかってほしいから、可愛そうな自分でいる時間をできる限り伸ばす。それによって、「どれだけ可愛そうなのか」をアピールしようとする。
私はこのころほんとうに辛かったから、グレていてもおかしくなかった。せっかくの「吹いてみたい」に対して「私の曲なんて価値がないよ」「やってみるだけ損だよ」などとネガ返答してもおかしくないくらい、傷ついて、悲しくなっていたのだけど。
でもさ、本当に幸せになるためには、そういうアピールの仕方はworkしない(機能しない)んだよねえ。
辛い自分の気持ちはきちんと受け止める。しっかり受け止める。必要なら泣いたり、愚痴ったり、聴いてもらったり、色々する。それを繰り返し繰り返しやりつつ、辛さを少しずつ和らげておいて、思わぬ展開が来た時に、それを見逃さず、受け止められるこころのスペースを持っておきたいものだと思う。
自分を本当に幸せにできる対応って「その体験の意味を、そのときには結論付けないこと。意味付けをするのを延期すること。」じゃないかな、と最近すごく思う。
うまく行かない時もあるけど、このサックス四重奏のときには、うまくいったんだよな。うまくいったミラクルに、感謝しかない。
情熱が道を拓く
この件には嬉しいおまけがある。今ガツガツと春のレコーディング準備を進めている間に
やっぱり、道を開くのは情熱なんだ!
と気付かされる出来事がたくさんあった。これは近いうち、別ブログで書きたいのだけれど、一つだけ紹介。
ずっと大好きで、でも大御所過ぎて「私の曲を吹いてください!」とお願いしたことがないジャズ界の巨匠サックスプレイヤーが私の身近にいる。出逢ったとき、彼はまだ50代で、でもふと気づいたらもう70代になっていた。
彼に今回、どうしても吹いて欲しい、とお願いしたのだ。
メールも電話番号も15年くらい知っている間だけれど、対面で会うために、何度も彼が出ているライブ会場に通って、3分くらい時間が取れるときを見計らって、顔を見て、腕を掴んで本当のことを言った。
私は今年、自分を変える決意をした。
もう謙遜をやめて、尊敬する方には正直に、一緒に仕事をさせてくれ!と言うことにした。
それを言い出す勇気が出ず、NYに10年居たのに、あなたに一度も仕事をしたいと言わなかった過去の自分にはもう飽き飽きしている。
私の曲は吹き込む必要がある曲ばかりで、取り組むのはとても面倒だと思う。
だけど、聴くだけ聴いてみて、判断してもらえないだろうか。
ずっと10年、一緒にお仕事したいと言えなかったけれど、ずっとお仕事を一緒にやりたかったら。
一番最初は、とても喜んでくれて、ハートマークなんかが付いたメッセージを返してくれた彼だったが、私の曲を聴いたら態度が変わってしまった。
「実はその時期ものすごく忙しくて、ここまで素晴らしく作り込まれた曲を自分のスケジュールで出来るかどうか…別の時期だったら大丈夫なのだけれど…」と仰った。
わたしは「1曲だけでも2曲だけでもいい」と、諦めずに頼み込んだ。彼はまだ、激務の中にこのレコーディングを差し込むことをためらっていた。
こんなやり取りを、去年12月から今年3月まで繰り返し、その間4回対面で会いに行き、電話での相談もして、メール等も複数送り、ついに昨日、こんなメッセージが来た。
なぜNYへ引っ越して来たのかを思い出す時が来たんだな、って思ったよ。大学の仕事で忙殺されがちだけど、思い出さなきゃ。
この曲に一番会うソプラノサックスを探しておくし、マウスピースも替えておくね。
みぎーの心のなかに聴こえている音色をきちんと出したいんだよ。それがかなうための努力を全部しておく。すごくたくさん練習するし、いい演奏をする約束をするよ。
長いあいだ返事を待ってくれて、ありがとう。
このセリフを書いているだけでもう、涙がとめどなく出て、何度も止まってしまう。これはいったい、何のご褒美なんだろうな。なんでこんな素晴らしいことを突然言ってくれるのか全然わからないんだけれど、ギリギリ分かるのは、やはり、情熱が道を拓くということ。そして、最低最悪の渦中にいる時も、判断を、すこし待ったほうがいいということ。
人生って、凄いなと思う。あと2ヶ月もすれば、もっと細かいことがシェアできるから、その時が来るのが楽しみ。作曲のpodcastやKYMNのオンライン・コンサートの準備も進めていて、はやく、皆さんに色々お話したい!
では、またね!Keep swinging!!
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