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私の本音で生きる

こんにちは。Mielです。

実は、いろいろ悩んでいました。
そして、もう嘘はつかないと決めました。
今回は、私の本音だけを書こうと思います。

フランスから撤退します。

ふーさんには、「無期限の別居」ということを提案した。
二人で海を見るつもりの時間が、別れ話をすることになり、二人で泣きながら自分たちの思いを話したけれど、でもやっぱり伝わらないこともあって、もどかしさを感じながらも、日本語とフランス語でなんとか伝えあった。

泣きながら絞り出した声は、波の音が優しくかき消してくれた。

「あなたが日本に帰る理由が正しく理解できないけれど、今はそれを受け入れる」と静かに彼は言ってくれた。

自分の思いを正しくフランス人の彼に伝えることは、とても難しい。
日本語だとどうしても比喩が多くなって、本音を言っているのに違う意味にもなってしまって。違う言葉を探そうとすればするほど無口になっていく。そしてだんだん言えなくなる。彼はそれを見てイライラしだして、すると私はますます言えなくなる。言うのが怖くなる。一度目の結婚でDVされた過去があるからなおさら、大声で何かを言われるとビクッとなって固まってしまう。でも彼と過ごす中で、彼が大声を出すときは気持ちが不安な時が多いことがわかるから、最近はだいぶ慣れてきたはずだったけど。
「お願いだから大きな声を出さないで。私はそれが怖いの」
静かに自分の気持を言いたいのに、だんだん話がそれていって、それがまた彼のイライラを助長する。彼は自分の思いを大声で私にぶちまける。私はそのフランス語の意味もわからず、ただ泣きながら黙って海を見ているだけ。


あのね、もうなんか疲れちゃったんだ。
フランス語がわからなくても初めは楽しかった。彼がいることで私は生活の不安がなかったから。一人で外に出ることも少しずつ慣れた。買い物だって、言葉がわからなくてもお金を払えば問題なかった。
フランスに来たばかりのときは彼の家に住んだけど、そこは彼が元妻と結婚して建てた家だった。だからあるご近所さんは私のことを完全無視したけど、それ以外の方たちは友好的に接してくれた。なぜ彼女は私を無視するのか考えたら、彼女は元妻のツテで今の仕事をみつけたからその恩義があるんだろうと勝手に解釈して納得させた。でもフランスでは、離婚後もつきあいを続ける事が多いと聞いていた。ましてや、彼の離婚は私と知り合う前のことなのに、それでも元妻を味方して敵の?私を無視する人間がフランスにもいるってことに、なんか日本ぽいな〜と思うようにして私を慰めた。もちろん、初めは怖くて泣いたよ。やばい、これからどうやって近所つきあいすればいいの?って不安になった。こうやって、フランスにはマイナス気分から始まった。彼は、自分の問題じゃないから全然気にしていなかった。だって彼女は彼にはいつもいい顔を見せていたから。それも私にとっては不満だったけど、私だけが我慢すればいいと自分に言い聞かせていた。

結局近所には友達できなかったからつまんなくて、水彩画教室に通ったけど、私よりずっと年上の方ばかりだったし、運良く同じタイミングで教室に入った女性と少し仲良くさせてもらったけれど、彼女は病気持ちでなんだかいつも疲れていたからなんか遠慮して付き合えなかった。周りの方たちは、良く言えば上品な感じ、悪く言えばお高くとまっている感じがしていた。この辺は退職された方が多く移住してくる地域だし、フランスは退職後の保証が充実しているからその恩恵を受けているんだろうなと思った。私のことを、日本人だか中国人だかしらんけど、みたいに話しているのを聞いてなんだかがっかりしてそれきり行かなくなった。
フランス語の教室を探して参加したけど、あまり上達しなかった。先生も生徒もなんとなく馴染めなかった。ここに来る人たちはなんとなく私より下の世界にいるような感じがしてしまって、居心地がよくなかった。

せっかくフランスに来たんだからフランス社会と繋がりたかった。日本との違いやフランスのいいところ、悪いところを身をもって経験したかった。友達ができないなら、そのための方法として仕事をするしかないと思うようになった。日本では死ぬほど仕事に追われていたからもうあんな仕事の仕方はしたくなかったけど、やっぱり時間を持て余してしまったし、仕事の中で得られた人脈や優しいつながりをここでも感じたくなった。彼との生活が一年過ぎたところでPACSしたけど、ここではPACSをしても配偶者ビザが発行されず仕事はできなかった。私は一度目の結婚で結構キツイ経験をしたので、もう二度と結婚なんてしないと思っていた。彼も離婚のためにかなりのお金を使ったらしいので再婚はしないと言っていた。なのに、いつからか、結婚するための資料を集めだしたりしてその方向に向かっていた。仕事をするために結婚するしか方法がなかったし、それしかないと思いこんでいた。だから結婚した。それなのに、やっぱり、できないことが続いた。私の履歴書には看護師の経歴だけ並んだけど、フランスで看護師をするには更に学校に行って単位をとる必要があった。私はそれをする語学力も時間もお金も足りなかった。学校を卒業するともう退職する年齢でもあったから、彼は看護師をすることに反対した。私はそれも経験だからやってみたかったけど、もうあきらめるしかなかった。
ここで生活するということは、彼の意見に従うしかないから。
だから、もう、何もかもやる気がなくなってしまったんだ。

彼の息子のことも、私をずっと悩ませた。
私、やっぱり子供が好きじゃない。
自分の子供の教育もうまくできなかったのに、人の子供、それも文化が違うフランスでの子育てなんて分かるわけない。フランスの子育てってどんなものかを知らないけれど、あの息子を見ていると全く理解できないから、たぶんそうなんだろう。あの子の性格も嫌いだけど、彼の行動自体も目障り。
そうやって育てた親のしつけにも問題があると思うけど、もうそれは私の問題ではなくて彼らの問題だから。
でも、私がもっとフランス語ができたなら、あの子に諭すことができただろうけど、それができないから結局黙って我慢するしかなかった。子供に何か言われて、「それが何?」とか返事するだけで、彼が子供をかばって私に反論してきた。彼に子供の行動について私の意見を話してもわかってもらえなかった。彼は、自分が離婚したことで子供に寂しい思いをさせたという気持ちがあるから子供を特別扱いしてて、腫れ物に触るように子供を扱っている。
そして私が何かを言うと、私自身も子育てがうまく行かなかったことを持ち出してきた。あなたに言われたくない、あなたのしつけはどうだったの?みたいな。だから、結局、我慢するしかなかった。

今までずっとずっと我慢してきたんだ。
だから、もう、疲れちゃったんだ。

「今はまだあなたを愛している」と言って、彼は泣く。
私の横で眠る彼の背中を見ていると、自然と涙が流れてくるから、私もまだ彼を愛しているんだろう。
この状態で離れる選択は、私達にとって最善のことなのか今はわからない。
でも、もうこれ以上我慢したくないんだ。
自由じゃないんだ。
私は、もっと自由になりたいんだ。
もう、私の本音を隠して生きていけないんだ。
私達は離れることで、冷静に今後を考えたり、違う景色をみてみよう。
距離をおいて、愛がなくなったら、それはそれまでだよ。
それはそれで仕方ない。それが人生だよ。

日本に帰ったら、したいこと山ほどあるんだ。
noteで知った場所に行ってみたい。例えば、屋久島。
noteで知った方に会ってみたい。その方は、人の人生壊せるらしい。
せっかくだから、この機会に私の人生壊してもらって、すっきりしたい。
もっともっと日本を楽しみたい。今まで気づかなかった私の国を。
これからする仕事は、看護師さんを応援することをしたい。
アパート作って、カウンセリングとか始めて、コミュニティ作りたい。
留学生とかも受け入れてみたい。フランスから来た学生さんを応援したい。
ここでできなかった分、日本で私のパワーを爆発させたい。

一気に書いたら、スッキリした。
ありがとう。
来週、帰ります。
では、またね。















































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