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大好きなパパ(父)70歳おめでとう

40過ぎても、父を 「パパ」と呼んでいる、頭の悪そうな私をお許しください。

大台70歳のパパの誕生日は、日本で一緒にお祝いする予定でした。
し、か、し、もちろん、コロナのせいで飛行機はキャンセルとなり、残念ながらスカイプを通してのお祝いとなりました。

昨年7月1日のパパの69歳の誕生日は、イギリスでお祝いできました。
「こんな風に、お祝いしてもらったの初めてかもしれない。」
と、嬉しくて泣いちゃった、かわいいパパです。

私は物心ついた時から、パパっ子です。
母とは遊んだ覚えは一切ありませんが、パパと遊んだ思い出はいっぱいあります。
小さい頃は、登山や山菜採り、海やキャンプに魚釣り、スキーにスケートと、姉と私に色々なことを経験させてくれました。
中学校の時は勉強を聞けば教えてくれるし、家の壊れたものは分解して「ハンダゴテ」を使って直しちゃう、頼りになるパパでした。

20歳くらいの時に、母の仲良しのお友達に、
「みえちゃん、結婚するならパパみたいな人と結婚しなさい。」
と、言われたのを鮮明に覚えています。
母のお友達の旦那さんは、会社を経営してたりお金持ちだったと思うけれど、ちょっと変わっていたので、お金は無くても確かにパパの方がいいな。って思っていた程度でした。

しかし、今自分が親になって思います。
うちのパパ、
めっちゃくちゃ子煩悩で優しい人だったのね。
昭和の時代にはめずらしいイクメン?!だったかも。

母曰く、姉と私が赤ちゃんの時は、毎日パパがお風呂に私達を入れていたそうです。
だから日本に帰省した際は、じぃじとなって、孫たちとのぼせるまでお風呂で遊んでくれます。
遊び方を知っているから、娘たちはじぃじとお風呂に入るのが大好きです。(今年はそれができなくて残念ね。)
また、いつも悪者になっていっぱい遊んでくれるし、じぃじ最高です!

そして、私が5歳の時には、叔父の家から突然飛び出してきた私の母方の祖母、パパにすれば義理母を受け入れ同居。
母の金銭問題で我が家が崩壊しそうになった時、この2人を家から追い出すことはできない。と、自分が出て行くと言っていたのも覚えています。

本当のところ、母とは離婚したかったと思います。
けれども私達が大人になるまで、、、祖母が亡くなるまで、、、と、自分のことより私達のことを考えて、離婚に踏み切れなかったのだと思います。
1番の理由は「母は1人では生きていけない」と分かっていたから、見捨てれなかったのかな。と私は思っています。

うわっ!なんか暗い話になっちゃった!
こんなつもりじゃなかった!誕生日よ。明るい話を!

家族崩壊は免れて、結局今に至るわけですが、先週から猫を飼ってとてもハッピーそうです。(無理やりw)
そして、何よりも孫たちからカードとプレゼントをもらえて、ニヤニヤしていました。(めでたし、めでたしw)

パパの誕生日をいつまでも祝えるように、タバコとお酒は控え目に、働きすぎには注意してもらいましょう。
来年のこの日は絶対日本にいるぞぉぉぉぉ!
おーーーーーっ!(なんの気合い?!)

大好きな大好きな大好きな世界一のパパ、お誕生日おめでとう!

孫からも↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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