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小説「15歳の傷痕」―29

― 南西部の伝説 ―

1

せっかく若本から有力な情報を教えてもらったというのに、俺が文化祭の準備で生徒会室に行く時に限って、森川さんはいない。
まあ2年生から、文化祭ではクラスの出し物を準備せねばならないし、もしかしたら文化系の部活に入っていて、忙しいのかもしれない。

と言っても、顔を合わせたら何を話して良いのやら分からないから、良いような、悪いような…。

しばらくは6月4日㈯に三原市まで行かねばならない、総文の広島県予選に専念しなくてはならないので、クラスのみんなにも生徒会役員のみんなにも、放課後は6月4日が終わるまで免除してもらっていた。

さて、今日も部活だ。ティンパニをもっと強弱付けて、目立ち過ぎないように叩かねば。

「ミエハル先輩、最近は部活によく出てくれて、嬉しいです♪」

と、アネゴこと宮田さんに言われた。

「ごめんね、クラスに生徒会も掛け持ちしとるけぇ…。って、生徒会ではあまり役に立っとらんのじゃけど」

「でも、吹奏楽部のステージも、ミエハル先輩はやるんでしょう?また先輩が倒れないか、心配になっちゃうよ…」

「ああ、2月には迷惑掛けたね、ごめんね。だけど、あの時は1月から体調が変じゃったんよ。今はファイト一発…チオビタだっけ?」

「リポビタンDですよ!やっぱりミエハル先輩、老化しとる〜」

「ワザとだって、ワザと…」

アネゴは何となく笑ってるような、本当に変なんじゃないか、そんな複雑な表情をしていた。

「さ、今日も通そうか!」

福崎先生が機嫌よく現れた。何か良いことがあったのだろうか。

「総文まで残り少ないけぇ、今日は本番を意識して演奏してくれよ」

「はい!」

俺はティンパニの位置に着く。先生の指揮棒が上がる。緊張の一瞬から、トランペットのファンファーレで合奏が始まった。ティンパニも直ぐに出番がある。全体的にティンパニに休みが少ないこの曲だが、そんなに難しくないのがラッキーだった。全国大会に推薦されるとは考えてなかったが、少しでも納得いく演奏をしたい、それに尽きる総文広島県予選への挑戦だった。


流石に総文前日は、出場を決めた3年生も全員か出席していたので、俺も気が楽だった。

広田さんは文化祭まで続けるとのことで、総文もシロフォンで出てくれる。
クラリネットからは、俺の失恋相手の2人はもう引退し、一人だけ太田美紀という女子がコンクールまで出ると言ってくれていて、今日は出席してくれていた。

少数の3年生は、何となく一塊になってミーティングに臨んでいた。

「今年はミエハルもストレス少ないんじゃない?」

と、太田さんが言ってくれた。これまであまり太田さんとは話したことが無かったが、3年生になってもコンクールまで出ると言ってくれてから、話すようになった。

「そうじゃね!去年の今頃は胃に穴が開きそうだったもんね」

「1年生は辞めるし、3年生もミエハルのこと、あまり良く言ってなかったもんね」

「え?太田さんまで知ってたの?」

「だって先輩達って、ミエハルに聞こえるか聞こえないように喋るから、逆にアタシの近くだとよく聞こえるんよ。ミエハル、一生懸命なのに可哀想って思ってたよ」

「本当に?一年越しだけど、何だか嬉しいよ。ありがとうね」

実は太田さんは吹奏楽部の同期の中では、一番のアイドルだった。中学時代の山神恵子さんのような感じだ。だから俺が喋るなんて失礼と思うほどで、男子からの告白も今でもしょっちゅうあるらしい。

だが実は同じ吹奏楽部の中で、山中と付き合っているのを、俺は知っていた。

だからたまに、
「お前、吹奏楽部じゃろ?太田さんと付き合いたいんじゃけど、どうすりゃええ?」
とか相談を受けたりすることもあったが、いつも俺の答えは
「無理無理、もう彼氏がおるから」
に決まっていて、しかも何回繰り返したことやら…であった。

「では今日のミーティング、終わります。今からトラックに楽器を積み込みますので、明日のバスで楽器を手持ちする方以外は、トラックに積んで下さい。忘れ物ないように!」

おお、なんて新村は部長らしくなったんだと、まるで子供を見る親のような気持ちで、ミーティングを見守っていた。

「さて、打楽器は沢山積むもんがあるけぇ、手伝ってよ」

と周りに声を掛ける。たった一曲、されど一曲のために、打楽器は民族大移動の如くトラックに楽器を積む。

「大きい楽器から、先に積み込んで下さい!」

新村部長の指示がテキパキしている。もう俺の相談役としての役割は終わったんじゃないかな?

実際去年の今頃は、須藤先輩はすっかり出て来なくなってたしなぁ。

あっという間にトラックへの楽器積み込みを終わり、後は明日の集合時間の確認だ。

「明日は7:30にバスで出発なので、間に合うように高校に来て下さい。以上です、解散!」

新村部長がテキパキと指示する。

じゃあまた明日、という声が聞こえる中、俺はたまにクラスの文化祭の準備はどんなものか、クラスに顔を出してみた。


3

教室に灯りは点いていたが、中には女子が1人しかいなかった。

「大谷さん、お疲れ様。1人?」

そこにいたのは、大谷香織というクラスメイトだった。

実はこの大谷さんは、ちょっと因縁があった。

大谷さんとは去年2年生に上がる時のクラス替えで初めて一緒になったのだか、その時に吹奏楽部の同期、まだその頃はそれほど喋る間柄ではなかった広田さんが、俺に教えてくれた話があった。4月下旬頃だったと思う。

「ミエハル、新しいクラスに大谷香織って女の子がいるでしょ?」

「オオタニさん?いや〜、まだ新しいクラスに馴染めてないんよね。だから女子は、一緒になった末田さん位しか顔と名前は一致しないよ」

「ミエハル、それは勿体無いよ。大谷さんは1年生の時にアタシと同じクラスで、結構親しく話せてたんだけど、この前久々に選択授業で一緒になって話したら、新しいクラスに気になる男子がいるって言ってたの」

「ふーん。その男子って、誰?」

「…ミエハルって、鈍感だね〜。アタシが今話してるのは誰?」

「えっ!?まさか、俺?」

「天然なのか鈍感なのか疲れてるのか分かんないけど、少なくともミエハルと同じクラスに、ミエハルの事を気に入ってくれてる女子がいるって事を覚えてて。今さ、ちょっとミエハルも大変だろうけど、機会があったら話し掛けてみなよ」

2年生になり、部長になったばかりで余裕がなく、一度だけクラスで名前と顔の確認をしただけで、それ以後は大谷さんから何かアクションがある訳でもなく、俺から

「君が、俺の事を気に入ってくれてる大谷さんかい?」

等と話し掛けれる訳もなく、広田さんからも後追い情報があるわけではなく、俺はその内、吹奏楽部の後輩、若本の事を好きになり、人間関係が滅茶苦茶になっていったのだった。

そんな1年以上前の話をふと思い出したが、もう大谷さんもそんな事は忘れているだろう。

「あ、上井君。遅いんだね、部活?」

確かに、もう夜7時を過ぎていた。

「うん、明日三原で吹奏楽の大会があるんよ。その準備でね。でも大谷さんも1人だけでこんな時間まで、文化祭の作業してたの?」

「そうなの。明日までに、クラス全員のエプロンを、女子で手分けして作ることになってたでしょ?で、アタシの割り当ては作ってたんだけど、今日持って来たら、アタシの作ったエプロン3つとも、紐という紐が全部短くってね。エヘヘ」

「で、家に帰らず、高校で紐を作り直してたの?」

「うん。家に持って帰ったら怠けちゃうし、明日忘れるかもしれないし」

「そうなんだ。でも手伝おうにも…何もして上げられない、かな、ごめんね」

「上井君のその気持ちだけで嬉しいな。ありがと」

大谷さんはそう言って、再びエプロンと格闘し始めた。

俺はしばらくその様子を眺めていたが、大谷さんが俺の方を見ずに、言った。

「上井君、今日は無理だけど、またいつかゆっくりお話ししようね。明日の大会、頑張ってね」

「あ、ありがとう、大谷さん」

「隣の中学校を卒業した仲だもん。使ってる駅だって一緒じゃん。上井君の頑張り、いつも心の中で応援してるよ」

その話し方は、普段クラスで見掛ける、女子軍団の中で話している姿とは全然別の姿だった。俺はキュンとしてしまった。

「じ、じゃあ先に帰るね。大谷さんも気を付けてね」

「うん。ありがと。バイバイ」

「…バイバイ」

俺はそう言って教室を後にしたが、心が温かくなるのを感じた。

生徒会では森川さん?
クラスメイトでは大谷さん?

まさかモテ期?

15歳の時に受けた傷痕が治癒する18歳となるのだろうか?

いや、いつも今度は大丈夫と思って挑戦しては惨敗してきたじゃないか。だから二度と女の子は好きにならない、仮に好きな子が出来ても告白しない、そう固く誓ったのは自分自身じゃないか。

女子と話せるだけで感謝しなきゃ…。


4

総文広島県予選が終わった。

三原市は遠かったが、俺は満足いくティンパニの演奏を出来た、それだけで納得出来ていた。

むしろこの先、一つ一つの演奏が、高校最後になっていく。その方が寂しかった。

出番が中盤だったため、その後に出場する高校の演奏を聴こうとしつつも、ちょっと1人になる時間が欲しくて館外のベンチに座り缶コーヒーを飲んでいたら、若本が通り掛かった。

「あれ、ミエハル先輩?てっきり男子軍団と一緒に中におられるのかと思いましたよ。どうしたんてす?」

「孤独を愛する男、上井ミエハル、18歳の一時、だよ」

「先輩、何かあったんでしょ?」

と若本はベンチの俺の隣に座りながら、推測してきた。

「あると言えばあるし、無いと言えば無いし。この後はさ、文化祭まで怒涛の2週間じゃん。色々過去を振り返ったり、吹奏楽生活ももう残り少ないし、頭の中が色んな事で落ち着かんのよね」

「なんか、寂しいな…。先輩、コンクール終わったら、本当に引退だもんね」

「まあ無理すりゃ、体育祭まで出れないことはないんじゃけど、体育祭に演奏で出た3年生なんて、今までおらんし」

「先輩、前例覆して出ちゃえばどう?」

「マズいって。アイツ、テントで楽したいから出てるって言われるのがオチだよ」

「そうか、そうかも…。じゃあ先輩と一緒に演奏できるのは、文化祭とコンクールの2つが残るのみ、なんだ…」

若本はしばらく考えていたが、驚くことを言った。

「ミエハル先輩、コンクールはバリサクで出ません?」

「はっ?いや、サックスは人員飽和状態じゃんか。末田も伊東も出るって言いよったし。そこに俺が里帰りしたら、サックスが喧しくなるだけじゃろ」

「でも先輩、打楽器も人員飽和状態じゃない?」

「まあ、確かにそうなんよ」

今年のコンクールに挑む課題曲と自由曲は、つい先日決まったところだ。

打楽器は俺を含めて7名いるため、なんと自由曲では出番がない部員が出るという、1年前には考えられない事態が起きていた。

一方サックスも、アルトには自分のアルトサックスを持つ出河に政本がいて、末田と1年生がいるからアルトだけで4人もいる。テナーも伊東の他、1年生がいる。更にバリサクである。多すぎるのだ。
だが、打楽器と違い出番がないことは無い。

「でも、俺がバリサクで出戻ったら、アネゴとの約束を破るし…、誰かサックスが余る事にならん?」

「そこでソプラノサックスの出番ですよ」

「え?あの、因縁の?」

去年の暮れのアンコンで、誰も吹きたがらず、仕方なく俺が出戻りで担当したソプラノサックスがあるという。

「でも、誰も吹きたがらんのじゃない?」

「実は、出河が興味を示してるの。今年の暮れのアンコンでは、ミエハル先輩がもういないし、パートリーダーとしてソプラノサックスを吹かなきゃ、って言ってるんだけど、丁度コンクールの課題曲と自由曲に、ソプラノサックスの譜面があるのよ、先輩!」

「…なるほどね」

「どう?先輩、バリサクに戻りたくなってきた?」

「うーん、アネゴとの約束をどうするか、がまず一つ。それと若本、バリサク吹きたくて入ったのに、他に回らなきゃいけなくなるじゃん。心境はどうなのさ」

「先輩が引退したら、また吹けるもん。一回だけ、他を担当してみるのも勉強だよ、先輩」

「出河がソプラノサックスを受けたら、そのアルトの枠に若本が入って、俺がバリサクに入る?そんなイメージ?」

「…うん」

「本当は辛いんじゃないか?無理しなくていいよ」

「無理じゃないよ。アタシね、ミエハル先輩に大迷惑掛けてきたから、先輩の引退ステージで、同じパートで出たいの。バリサクとかアルトとか、そんなのは小さな話。先輩と同じパートで、コンクールに出たい。先輩が去年、コンクール1か月前に突然打楽器へ移って味わった苦しさを考えたら、バリサクからアルトに移るなんて、大から小へ変わるだけだもん」

若本は神妙に、そう言った。

しばらく沈黙の時間が流れた。

いたたまれなくなったのか、若本は

「ミエハル先輩、前向きに検討してみてね!じゃあまた後でね!」

と言って、ベンチを立ち上がり、会場内にと戻って行った。

(…一番良いのは、バリサクと打楽器両方で出ることなんだけど、それは流石に却下だろうなぁ。どうしようか…)

若本の真剣な眼差しを思い出すと、断れる自信がなかった。しかし既にコンクール用に打楽器の担当を決めて少しずつ練習していた俺は、課題曲のティンパニをカッコ良く叩きたいという思いもあった。

(福崎先生の神の一声に頼るか!)

福崎先生と俺の、最後の真剣討議になるかもしれない。

(次回へ続く)
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※トップ画像は、実際に三原市へ遠征して演奏した際の写真です。私はティンパニを叩いています。
また下に貼った曲を、この時に演奏しました。


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