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大事やから今、一緒にいるんやん~正直と本音・我慢と犠牲~



つくづく思うのですが
わたしって・・・結局、我慢や犠牲が出来なくて
自由に生きる人なんだなと思っています。

自分が我慢や犠牲が出来ないものだから
わたしは、一緒にいてくれる主人が
こんな自由で勝手なわたしと一緒にいるのは
どこかで我慢や犠牲でやっているんじゃないか?と
思う時がありました。

正直に生きること
本音で生きることって
スピリチュアルでも大切にされているぐらいだし

わたし自身もそれは大事な事だと思ってきました。


だから、どこかで主人が
わたしが自分のやりたい事をやるために
何か我慢とかね、犠牲になったり
本音を言ってなかったりするんじゃないか?って
思ってたの。

だって、わたしがやりたい事を実現するために
主人は、わたしを支えるために仕事を辞めて
事務局になり


農家の長男なのに
実家から家を出て、
言い方は現実的にいうと、嫁さんの連れ子を
自分の子供のように育ててる。

子供の事は、主人がほぼやってくれていて
家事とかもやってくれていて。

じゃぁ、わたしが、主人がやりたい事があったら
反対するのか?というと
そうではなく、バリバリ応援はするんですが

ここまでのスタイルが
私を優先する形になっていました。
※最近は少し変わっています。

更には、義母は腰を痛めて
昔のように動けない。

だけど、わたしはある時から
一切、主人の実家にはいかなくなった。


なんで、この人(主人)
わたしといるんだろう???

元々、主人は義母のコントロールが強かったから
我慢や犠牲には慣れっこ。

やっぱり、
わたしといても我慢しているんじゃないか?
言いたい事、本当は言ってないんじゃないの?
とか思っていたこともあったんです。

主人とその話をすると
主人は、いつも
「愛してなかったら、今、ここに一緒にいない。
大事やから一緒にいる」って
いつも言うんです。


我慢や犠牲に慣れてるから
本当の本音が出てないんじゃないか?


いやいや、本当は言いたい事を
我慢してるんじゃない??なんて
疑り深いわたしは、主人に
”あなたはどうしたいの???本当の事言ってみてよ!!”と言ったりしていました。


星の流れでも
我慢や犠牲をやめて
自分に正直に、自分の本音に生きる流れだから
より二人が本音のところで
付き合っていけるようにって思って

わたしはわたしで主人が大切な人だから
そう思って伝えたりしていました。


そして、つい先日、わたしは
ある出来事を通して主人の立場を体験するんですね。


我慢しているんじゃないか?
本当は言いたい事を我慢していたり
わたしはどうしたいのか?を
言っていないんじゃないか?と
遠慮して合わせて、自分の本音を言っていないと
思われているな~っていう体験をしました。


その時・・・ようやく・・・
わたしは、なんて主人に失礼な事をしていたんだと
気が付きました。

わたしは、その体験で
自分の言いたい事を遠慮している
言いたい事を合わせて言っていないと思われていて
あなたはどうしたいの?あなたは意見は?と聞かれて


どこかで我慢や犠牲や
本音ではなく合わせて言っている
もしくは、合わせて本音を言っていない
合わせた中で【この場にいることを決めている】と
思われているであろうと感じたときに・・・


ものすごくショックだったわけです。


あぁ、犠牲とか我慢とか
どれだけ本音かどうかって所だけが
クローズアップされていて


【一緒にいる事を選んだこと】
【共にここにいると選んだこと】
【この場にいることを決めていること】が
どれだけ相手が私にとって大切だから
決めていることなのかが
伝わっていないのだなと思って愕然としました。



それと同時に
自分がすごく我慢できないタイプである事を
思い出したんですね。



我慢のように思っても
【共に一緒にいること】を選んでいる間は
やっぱり我慢ではないんですよね。


あぁ、無理だとどこかで我慢になる時は
共にいることは選ばないわけです。
※わたしはですよ。


一緒にいたい大切な人だからこそ
時に傍目から見れば我慢や犠牲に見えたり
自分の調子によってはそう感じる事もあったり
本音を言わず合わせているように見える事もあったりするけど



一緒にいたいぐらい大切な人だから
そんな事は我慢や犠牲でもないんですよね。



我慢より
そっちの方が大切なんですよ。


我慢なんかじゃないわけです。


本音を言っていないわけでもなく
本音は一緒にいたいが本音なわけです。



その事を自分が体験した時に
主人がどれほどに
わたしの事を大切だから【共にいる】と
決めたかの深さと重さをようやく知りました。


主人は、自分の母があまり体調が良くないわけです。
だけど、それでも、わたしと共にいるこの生活の時間、Styleを選んでる。


それがどれほど大きなことか・・・。


その事も分からずにいるわたしと
共にいるって
主人ってめっちゃすごいやん・・・と 涙。


【大事やから、今、一緒にいるんやん。】


それがどれほど大きな事なのか
深く深く心の奥から実感したんですね。


一緒にいることを選ぶことが
どれほど大きいことか。


それがどこかで女性って分かってるから
結婚したいとかあるんだろうなとも思います。


                               ◇◇◇◇◇◇


自分がね
主人の立場ならギャーギャー言っているわけです。
自分にはそれは出来ないから。


自分だったら、我慢になるから。
相手も我慢になっているんじゃないかと
思っていたんですね。


自分が自由にしていたから
相手が我慢しているのでは?とも思っていたんだなとも思って。


だからって
相手が我慢して自分といる事を選んでいると
思う事って
ものすごく失礼な事だったんだなって
すごく感じたんですね。



相手への敬意がなかったなって。



愛を我慢と
わたしが勝手に決めてしまっているわけだから。


それに、相手が我慢してるのではなくて
自分が勝手だったり、思いやりや敬意が
なさ過ぎてるから
そう感じちゃってたんだなとも思ったんです。


もちろんね、あとから
やっぱり我慢だったわって事もあるかもしれない。



でも、それでも
その時、自分の貴重な人生の時間をね
この人と共にいたいって決めて
一緒にいるって・・・
並大抵ではないよな~って思うんです。



他に抱えてるものがあればあるほど。


単なる優しさだけや
合わせたりだけじゃ出来ないわけですよ。


だから、それが我慢であろうが犠牲であろうが
今、ここで共にいる。
それだけでも十分素晴らしい事なんじゃないかと
わたしは、今、そう感じています。


もちろん、我慢や犠牲じゃなく
共にいるのが1番いいよ。
でも、それだけじゃないよねって。


ちょうど、こんな事を感じていたときに
他のお客様も

自分の弱さを認められていないんじゃない?
もっと弱さを受け止めていいんだよと言われて
自分はまだ自分の弱さを認められていないのかな?って思ったと言っておられたり

もっと自分に正直になっていいんだよって言われて
自分はまだ何か本音を言えていなかったり
本音を生きれていないのかなって思って
探ってみるけど、よく分からないと感じていたという方がおられて


私もね、これまでそういう事を書いてきたし
本音や正直に生きるという事は大切だと思っています。


だけど、いつかもっと奥の本音が
見つかることはあっても
もし、今、それが本音なら
それが本音なんですよね。



もっと奥に本当の本音が見つかる時が
後から出てきたからといって
じゃぁ、今のその気持ちは本音じゃないのか?
それは嘘なのか?というと
それもまた違うわけですよ。



我慢や犠牲だったわ~って
思う時がくるかもしれないよ。


でも、人って
本当のところでは
本当の意味で自分だけの事だけ考えてたら
我慢も犠牲も
そして、正直に本音を生きることも
どちらも出来ないのだと思うんですよ。



カタチは違うかもしれないけれど
どちらも、同じ・・・
何か大切なものがあるから
そうするんだと思うから。


人には理解できない事であっても。


だから、わたしって我慢してない?
この気持ち犠牲からなの?とかで
悩んでいるとしたら・・・

そこに悩まないで・・・

今、その気持ちに正直に生きることを
正直に本音で生きるって事だと思うから。


この気持ちが本当か真実か?ではなくてね。

今、そう思ってるってことが
大事なんだと
わたしは思うんだ。

作家の村田沙耶香さんが
あるトークイベントで
こんな事を仰っていたそうです。


人は汚いものを本物だと信じたがる。
たとえば悪口や悪態に対して「本音が出た」とよく言うけど、きれいごとが本音のこともあるよねというようなお話をされていたそうです。

                            ◇◇◇◇◇

まっさかぁー。って思うような
自分から見たら犠牲や我慢に思うことも
相手は、ピュアな本音でやってることもあるよね。


本音や正直にも囚われすぎて
本当に大切なものを見失わないでいたいなぁって
思った出来事でした♡


その事に気付いてから
主人になおさらベタ惚れしまくり中です 笑

I LOVE YOU.OK?

最近、ハマってる 笑


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