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七輪コーディネーターはじめました

今、サッポロ黒ラベルを飲みながらウルフルズをYouTubeで聞いて、小学生時代を思い出しながら感傷的な気持ちでnoteを書いています。

小学校6年生の時にウルフルズを好きな友達を見つけ、小学校や中学校の校内放送でウルフルズの曲を学校中に流し、その友達と一緒に笑っていた思い出があります。当時、流行りのAKBとか嵐が人気の中ウルフルズに興味を示してくれる人がいるなんて思っていなかったので、とても嬉しかったんです。
中学校以来会っていない友達、今も元気にしてるかな。


さて今回は、七輪コーディネーターをはじめた経緯について記します。

七輪コーディネーターとは、地元の炭を使って地元の食材を焼き、七輪を囲む人が楽しめる場を提供する人です。私が勝手につくりました(笑)

①なぜ、七輪なのか
②七輪を通してつくりたいもの

①なぜ七輪なのか

はじまりは、私の大好きなおっちゃん、西川正さんがやっていたこと。

埼玉県を中心に多様な場づくりを展開していて、一度、生でプレゼンを聞いたことがありますが、めっちゃ引き込まれた。それから西川さんの書籍やネット記事を読むにつれて一気に好きになりました。ユーモアあふれる発想が大好きです。西川さんは日本七輪党党首を名乗っています(笑)


西川さんのように七輪を用いて自分のプロジェクトをやろうと思うことも一時期ありましたがその熱は冷めてきて、別の方法で自分のプロジェクトやろうと考えていました。
そんな時、さとのば大学で共に学んでいる別地域の協力隊の先輩にこんなことを言われました。

「七輪を手放すのは少しもったいないと思う。にっしゃん(西山)って何をしている人なのかっていうことがわかりづらいし、七輪でパーソナルブランディングするのも面白いんじゃないか」

その時、ちょうど自分自身も人からどんなふうにみられているのかを丁寧に考えることができるようになりたいなぁと考えていた時期だったので、ブランディングという言葉は響きました。

パーソナルブランディングと兼ねてできるのであれば、とりあえずやってみるか。。

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庭で七輪をやり始めると近所の人から「何やってんだ」と声をかけられ、とうもろこしをいただく。火を起こしていると子供が木を持ってやってくる。七輪でご飯を食べたことを今のおじいちゃん、おばあちゃん世代に話をすると、昔は七輪で煮物をやったなんて昔話が生まれることもたくさんあります。七輪は想像以上に人を寄せ付ける力がありました。

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そして、私が感じている七輪のいいところはお腹いっぱいになれないということ。このサイズ感なので、腹一杯になることはありません。食事をすることよりも、その周りで楽しむことが求められます。


②七輪を通してつくりたいもの

それは、誰にも縛られない緩やかな空間。


最近、自分の過去を振り返る機会が多くあります。私の行動は大体、自分ではない誰かの評価軸を探し、その評価軸の中で動いていました。

小・中学校の中で、誰かに褒められなければいけないから手をあげた方がいいという空気感に圧迫されていた。けど、うまく適応しようとしていた。
テストの点数で、親にも友達にも先生にも色々言われるのがどうも納得できなかった。けど、私なりに勉強をした。

自分の中でずっと感じていた違和感。それは息苦しいものでした。


自分は周りと流行を合わせないといけないと思っていたからウルフルズが好きだということを小学校の時にアピールすることはできませんでした。しかし、ウルフルズが好きだという友達と出会えた時はテンション爆上がりでした。その時に、自分らしくいれたことが何よりも嬉しかった。

私は毎日サウナに通っていますが、サウナが大好きです。サウナは、ヒシヒシと自分の体に流れる汗を感じるもよし、隣に座っているおっちゃんと他愛もない世間話をするもよし、流れているテレビを見るもよし、自由な選択肢で溢れています。しかも、同じ温度・湿度を誰かと共有している安心感があります。

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私は誰にも縛られない緩やかな空間を大切にしたい。

七輪の周りにいる人と喋ってもいいし、真っ赤になっている炭を見ていてもいい。

七輪はそんな場所にしたい。


私のいる群馬県高山村は、炭焼きで栄えた村でした。民有林がこれだけ多い村も珍しいそうです。高山村の炭を使い、高山村の野菜を焼き、七輪を囲む人がそのままの自分でいられる環境をつくります。

七輪で火をおこし、地域もおこす!

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七輪の周りに遊びにきた子が撮ってくれた月

誰にも縛られない緩やかな空間をつくる七輪コーディネーターはじめました。


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