幸せに絵を描き続けるためのひとつの方法〜「自分の法則」を探し当てながら幾多のアハ体験(死語)を経て進化する絵師さん
「自分の法則」を探し当てながら幾多のアハ体験(死語)を経て進化する絵師さんのnoteに最近注目してる。
世間に溢れるよくある画力向上ハウツーを試してみては、ご自分に合わないところはカスタムして練習に励むという。
単純に私は読んでて楽しいのね、この方のnote。
試行錯誤の末に脳内のシナプスが繋がる…つまり「ひらめく」瞬間をリアルタイムに追体験できるので。
そして懐かしさもある。
あー私も昔こうだったなーと。
統計取ったわけじゃないけど、割と多くの方は例えば「いいねとかリポストとかの数などのわかりやすい承認欲求」なんかを「脳への報酬」として目の前のニンジンとしてぶら下げながらお絵描きやってるのであろうことは想像に難くない。
去年note再始動時になぜか一番よく目についたのが承認欲求の劫火に焼かれて苦しむ絵師たちのnoteだったし。
まあだって数字ってわかりやすい指標だからね。
これ、実は前にも言及した「ドーパミン」っていう報酬系の神経伝達物質による「脳への報酬」なのね。
ドーパミンの「多幸感」って「わかりやすすぎ」で、
それ以外のヒア&ナウ系神経伝達物質(セロトニンとかオキシトシンとか)は地味すぎ存在感なさすぎで、
結果ほぼ誰もドーパミン以外を「幸福感」と認識してないのだと思う。
例えるとアレですかね、ドーパミンちゃんは派手でナイスバディな美女で押しも強くて、トロフィー(報酬)として誰が見てもわかりやすい。
ヒア&ナウ系神経伝達物質たちは地味で引っ込み思案の隠キャなので、存在すら認識されてない雑魚モブ扱い。
…と急に神経伝達物質の話を始めましたが冒頭の最近注目の絵師さんと何関係あるの?
というと、冒頭の絵師さんのnoteで綴られる試行錯誤の末に脳内のシナプスが繋がる…つまり「ひらめく」瞬間のリアルタイム追体験ってのがその「レアなヒア&ナウ系神経伝達物質モード体験」と考えられるんですよ。
ちなみにドーパミンの特徴って「『未来を期待』することによる多幸感」なんですね。
だから「これを描き上げてSNSに載せたらきっとバズって有名になって…」という未来を夢見ながら今がしんどくても描き上げてようと努力するモチベの元がドーパミンなわけ。
で、ヒア&ナウ系神経伝達物質はヒア&ナウというだけあってイマココでの満足感である。
言い換えると「足るを知る境地」とでもいうか、なので地に足のついた達成感とか安心感とかそんな境地とも言える。
まあ地味ですよね。
ドーパミンの派手な多幸感と比べたら「なんだそんなもん」て鼻で笑う人が多数なんだと思われる。
けど、「ひらめき」はヒア&ナウ神経伝達物質の影響下で発生しやすいのよーん。
なんでかってーとドーパミンの影響下では本人の先入観と顕在意識と経験則で絞り込まれたごくごく狭い範囲で「効率よく推論を出せる状態」=視野が狭いから。
一方ヒア&ナウ系は先入観のないフラットな状態で潜在意識も働き特に思惟の対象を絞り込まないから「エネルギー効率は悪いけど『意外な角度から物事を切り取る視点』が働きやすい状態」だから(つまりヒア&ナウ系はいわゆるデフォルトモードネットワークに深く関与してると思われる)
ちなみに私の描き方はデフォルトモードネットワークが働いてるかどうかは知らんけど、とりあえず描いてる最中(イマココ)の一本一本の線を引くこと自体に楽しみを見出して描くタイプなのは確実である。
少なくとも描く動機が「妄想上の未来の他者からの賞賛やそれを見越した承認欲求ではない」のは確かだ。
なぜなら私は線を引くこと自体に快楽を覚える変態だからである。
そんなわけで、「地味で引っ込み思案の隠キャなので、存在すら認識されてない一般には雑魚モブと思われてるけど実はすごいチートキャラに『なり得る可能性を秘めている』」(not私)、ヒア&ナウ系神経伝達物質モードの海に漕ぎ出したこの方が次々と「自分の法則」を探し当てて加速度的にアハ体験(しつこいが死語)を重ねていく様を見るのがとても楽しみなのである。
このアハ体験(死語)をした人は明らかに上達するんだよね。
以前のnoteでもそういう方々を紹介したことがある。
そして上達も勿論するけど、「この人!」という個性の獲得の可能性が拓ける。
まあ、その人がどんなものを描きたいかにもよるのであくまで「可能性が拓ける」止まりであって誰もが絶対誰から見てもわかるほど個性的になれるというものでもないけど。
ただ、ドーパミンじゃなくてヒア&ナウ系神経伝達物質モードで描く方が明らかにメンタルヘルス的には心安いことは確かである。
「今現在」に満足を覚えるのがヒア&ナウ系神経伝達物質の働きなので。
少なくとも、
ドーパミンという未来への期待モードで
(その期待が例え妄想レベルでしかなくどれだけ現実とかけ離れていようと)
目の前のニンジンとして取らぬ狸の皮算用をぶら下げながら描いて
数字に一喜一憂して
現在の自分に不満覚えて
他者を羨んで
時には嫉妬に狂い
当初の想定通りの承認欲求が満たされない
という
幼児的万能感が満たされない欲求不満地獄の劫火に焼かれずには済むので。
そういうわけで、レアな可能性への期待を胸にこの「自分の法則」を探し当てて加速度的にアハ体験(死語)を重ねていく絵師さんの次のnoteを楽しみにする昨今の私であった。
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