『暮らしをつくる手ざわり感を』~緑のふるさと協力隊を経験して~
過疎化・少子化に悩みながらも地域を元気にしたい地方自治体と、農山村での活動や暮らしに関心をもつ若者をつなげるプログラムとして1994年にスタートした『緑のふるさと協力隊』。
これまでに107市町村で830人以上の隊員たちが活動してきました。
今回は、2017年度の24期隊員として、高知県大川村で活動をした阿部さんに協力隊時代と現在について書いてもらいました。
①なぜ、『緑のふるさと協力隊』に応募したか?
大学の掲示板に貼られていたポスターがきっかけです。
当時は大学3回生、農学部にいた私は、全国の農家さんを訪ねるようなサークル活動に参加していました。食べものだけでなく、ときには道具や小屋までつくってしまう。そんな農家さんの生き様に魅せられ、もっと知りたい、農家さんと関わるような生き方をしたいという想いを抱いていました。
ただ、週末や長期休暇を利用して訪ねているうちは、どこまでいってもお客さん。「結局、いいところしか見せられてないよ」という農家さんの言葉が胸に残り、「暮らしてみる」経験を積みたいと考えていたときに見つけたのが緑のふるさと協力隊でした。
地域おこし協力隊という選択肢もありましたが、ボランティアという立場で暮らし自体を体験できること、そして自分のやりたいことにあわせて派遣地をマッチングしてもらえるという点が決め手になりました。
②協力隊時代を振り返って。今のわたし。
長いようで短い1年。それだけではお客さんを卒業することはむずかしい。ですが、自然とともにたくましく生きる人たちと暮らしたからこそ気づけたことがたくさんありました。
蛇口をひねれば当たり前のように出てくる水も、山から人の手で取水していること。農業ひとつ営むにも、道具や流通、法律などさまざまな専門家がいて、かかわりあって成り立っていること。さりげない挨拶や声かけが、地域で安心して暮らしていく糧となり、やがて福祉につながっていること。
わたしの暮らした高知県大川村は、当時の人口が約400人と全国的にも規模の小さな自治体です。
よくもわるくも、自分のとった行動がどんな影響を及ぼすかわかってしまう環境。一人ひとりの存在が社会をつくっているのだということを、頭では理解していても、感覚として掴んだのはこのときがはじめてでした。
「なんちゃあないよ」
なんでもないことだ。村のみんなはそう言うけれど、わたしは暮らしをつくる手ざわり感を持ちながら生きている村のみんなのことを、格好いいと思いました。そして、自分もそうありたいと思いました。
現在、わたしは「日本仕事百貨」というWebサイトで、求人記事を通していろいろな生き方・働き方を紹介する仕事をしています。
こんな生き方あったんだ。こんなふうに生きてもいいんだ。記事を通して、明日がちょっとでも楽しみになる、そんな人を増やしていきたいと思っています。
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