コーヒー好きは恐ろしい。 すきあらば、コーヒーを飲もうとする。 小学生から缶コーヒーを飲み始めた私は、最近になり急に「さすがにコーヒーを飲みすぎなのでは」と思い始め、1週間ブラックコーヒー禁止令を出した。(カフェオレは可) 店に行けば、無意識にコーヒーを探し、いかんいかんと紅茶を選択する。慣れないものだから、レモンティー砂糖なしを飲んでは、おいしくなくて目が覚める始末である。 禁止令から1週間、喫茶店等で淹れたおいしいコーヒーなら良しとした。まずは、コーヒーがおいしい
ハンディークリーナーの電池を換えた。 いくら充電しても途中で力尽きてしまうようになり、もう壊れたか…と思っていた。電池を換えたら、まず音が違う。勢いも最後まで落ちない。良かった、捨てなくて。 ここでふと思う。人間もこんな感じで、電池を換えられたらいいのになあと。人より体力のない私はすぐに疲れる。見に行きたかったバスケの試合も、仕事の疲れが溜まったのか、行ける気がしなくて諦めてしまった。 電池を換えればすぐ元気になって、動いている間に代わりの電池を充電して。そうす
新しく何かを学ぼうとしている時に、嫌な顔をされたことがなかった。初めてそんな反応をされて、驚きと共に戸惑ってしまった。どうして、学びの機会を止めたがるのだろうか。 何かを学ぶ。 今まで興味のなかった身の回りのことに、疑問をもつようになる。新しい武器を身につけたような、少しレベルアップした気持ちになれる。知識がつくと、自信がついて、行動も変わってくる。 自分の知りたいという気持ちに素直に従う。やがて、私を作る道へとつながっていくと信じて。
バスケもサッカーも、ウォーミングアップから見るのが好きである。左右の手でドリブルをしたり、繰り返しパスを確認したりと普段とは違った動きが見られる。あの選手とあの選手がペアを組んでいるから、仲が良いのかな、なんて想像しながら楽しんでいる。ちょっとリラックスした状態から、試合へ向けてギアを上げていく様子を見られるのがいいのかもしれない。「こんな感じで普段練習してるのかな」と裏側を覗けた気持ちになる。 そして、スタッフの動きも技術も気になるところ。あの人は広報さんかしら、あのコ
興味がないと学びは続かない。 学び始めるなら、楽しみながら、興味を失わないようにしたい。好きな分野なのだから、嫌いになりたくない。形になるかわからないし、転職に直結するのかもわからない。色々な方法があるだろうけど、楽しく続けられるものがいい。
音楽のハマり方には段階がある。まず、初めて聴いたときのメロディーが心地よい。何度も聴いていると、歌詞も入ってきて、意味もまたいい。さらに聴くと、ベースやドラムのリズムの入れ方が絶妙である。そしてまたボーカルに戻り、ハモリやエフェクトの存在に気づく。 音楽を多面的に楽しめるようになったキッカケは、フジファブリックの曲であった。3人体制になって、最初のシングルで、ギターソロってかっこいい!と初めて思ったのだ。 今度は生で聴いてみたいと思い、初ライブへ。そこで、1番ベースがお
最近、毎日がほろ苦い。 大きな悲しいことは起きていない。でも、何か心にズキっとくる。 仕事でちょっとしたことを指摘された、話がうまく伝わらない、体脂肪率が少し上がった… ついでに将来のことを考えて、少し憂鬱になる。 でも、話しかけてくれる人がいたり、推しの動画がかわいかったり。ただ苦しい毎日にはならず、ほろ苦いで何とか留まっている。 すべてが楽しいなんてことはない。色々入り混じった気持ちをうまく収めながら、日常に溶かしていく。
スポーツの才能じゃなくて、練習を続けられる才能があるんだと言われたりする。本当にそのことを実感する。 学生の時は、割と根気強い方だと思っていた。しかし、社会人となった今、何の役にも立たないんじゃないかと思うと、嫌になってやめてしまう。 就職するために、将来困らないように… 好きだからというより、何かのためにというのが強くなってしまうと、神様は次へと続くはしごを外してしまうのかもしれない。 好きで居続ける難しさ。バスケの試合を観戦しながら、真剣な表情の選手を見てふと思
節目を迎える年は、何かと考えてしまうらしい。アーティストのデビュー20周年みたいな感じで、何かをやらねばと思うのかもしれない。 記念すべき周年を迎えようとしている私は、大変焦っている。頭の中は、「このままだと、スキルなしの自分は職に困るのではないか」「何かを身に着けるなら今始めないと間に合わないのでは」と、スキルお化けに追われている。 趣味のことなら、積極的なのに・・・ まっすぐ伸びる床の模様に沿って、歩く。 もやもやとしたまま、帰りの地下鉄へと向かうのであった
不安は自分が作り出すもの。 元体操選手の内村航平さんがテレビで言っていた。 確かに、実際に目の前にあるものではないし、そもそもまだ起こってないことに対してむくむくと生み出されることが多い。 不安はよく膨らむ。妄想の力を借りてどんどん大きくなる。 ここで、私は考え始める。例えば、死ぬことに対して不安があったら。死ぬまで毎日、その不安について考え、暗い気持ちになり、ご飯もおいしくなくなってしまうのだろうか。いやいや、辛すぎる。 何で不安について書いているかというと、私が今
きれいな写真って何だろうと思う。 俗に言う、エモいとか言われるような、特別きれいなものでなくても、きれいと思える写真がある。
SFとは、すこしふしぎでSFです。 今日は、そんなすこしふしぎを探しながら散歩してみました。 時計台近くからスタートです。 挟まりonちゃん マスコットもマスクをする時代となりました 地層っぽい 何だか宇宙っぽい建物です。 良いところに引っ掛けました ちょっとかわいい取っ手 はい、一周しました。 今日もお疲れさまでした。 (まだ一回目ですけど) この、ぬるーいさんぽ、続く・・・のかもしれない #カメラのたのしみ方 #さんぽ #カメラ
相手の心が読める魔法が使えるようになった、という漫画を読んだ。 そう言えば、最近は魔法が使えたらとか、お金持ちになったらとか、そういう想像をしなくなったなと思う。 昔は、布団に入るともし〇〇だったらとか、漫画のストーリーとかを想像しながら寝ていた。 授業中に、自分の心の声がスクリーンに映し出されたら大変だと要らぬ心配をしていた。 家で留守番をしていれば、窓から泥棒が入ってきたらどうしようと思って、落ち着かなかった(当時はマンションの4階に住んでいたのに)。 壁のシミ
不安は構えば構うほど、大きくなる。 蓋を開けてみれば、不安の種はちっぽけで、こんな小さなことに自分は怯えていたのかと呆れてしまう。 久々に、ケーキを買った。 ウキウキしてたのも束の間、いざ持ち帰ろうとするとドキドキが止まらないのである。 少しでも傾けたら、ケーキが崩れるのではないかと思い、そろりそろりと歩く。 と、そこに風が吹く。今度は風に煽られて、微妙な角度を保ったまま歩く羽目になる。 頭の中では、箱にべっとりとクリームがついて、片側が潰れたケーキを想像してしまう。