始まりの鐘
不安は自分が作り出すもの。
元体操選手の内村航平さんがテレビで言っていた。
確かに、実際に目の前にあるものではないし、そもそもまだ起こってないことに対してむくむくと生み出されることが多い。
不安はよく膨らむ。妄想の力を借りてどんどん大きくなる。
ここで、私は考え始める。例えば、死ぬことに対して不安があったら。死ぬまで毎日、その不安について考え、暗い気持ちになり、ご飯もおいしくなくなってしまうのだろうか。いやいや、辛すぎる。
何で不安について書いているかというと、私が今まさに不安の真っ只中だからである。
明日から、新しい職場で働き始めるのだ。2月から出社なのに、年末ごろからこの日のことを考えては不安になっている。新しいチームに移籍したサッカー選手もこんな気持ちなのだろうか、などと無理矢理な共感までしている。
しかし、そのことについて毎日考えていると、ひどく精神を消耗することに気がついた。
それならばと、隙あらば本を読み、サッカー番組を見まくり、サッカーとバスケの動画やらSNSを見ている。一切、その日について考える余地を与えない。極端である。
ひとつだけ、心の支えになっていることがある。
1月中旬、元職場からのご褒美で福岡に旅行へ行った。その中で、門司港を訪れたとき、駅に鐘があった。説明文を読むと、結婚・就職・進学といった節目を見届ける鐘と書いてある。景気付けにちょっと鳴らすつもりが、思いの外勢いがつき、ゴーーーンと大きな音が鳴り響いてしまった。
恥ずかしくてすぐ鐘を押さえたものの、幸先の良いスタートがきれそうだと、少し安心した。
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