踊り場から愛を込めて、クリープハイプトリビュートアルバム『もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって』をレビューする
テキスト・短歌/イトウマ
短歌とエッセイの連載「toi toi toi の余韻嫋々」も12回目を迎えた。ちょうど1年ということで、今回は自分にとって大切で大きな存在について書こうと思う。中学生の頃に出会い、高校生の頃に夢中になった、いつかこんなバンドを組めると思っていた存在、こんな人になりたいと思っていた人物。それは、クリープハイプというバンド、そしてフロントマンの尾崎世界観である。高校生の私は、クリープハイプをひたすら聴き、尾崎世界観のインタビューもたくさん読んだ。もちろん他の音楽も好きだったが、それでもクリープハイプは特別だった。
地元に来たときは必ずライブに行ったし、初めて日本武道館で観たライブもクリープハイプだった。そして、私の記憶の中で燦然と輝くのは「人生で初めてのコピーバンドはクリープハイプだった」ということ。
それは、私がジャズサークルに所属しながらも外部でロックバンドを組み、地元のライブハウスに出演していた大学時代のこと。大学3年生の春、高校生の頃から付き合いのあった部長と喧嘩をしてサークルを辞めた(その後、部長とは仲直りをしました)。また、外部で組んでいたバンドも上手くいかず、音楽をどう続けていくかぼんやり悩んでいた頃だった。そんなとき、ライブハウスで知り合った親友“ジョウクン”に「僕の大学の学祭にクリープハイプのコピーバンドで出演しないか」とお誘いをもらった。多分、すぐに「やる」と返事をしたと思う。親友ジョウクンと、私たちの共通の友人“アミチャン”、そしてバンドをやるときにはじめましての“タクミクン”の4人で、クリープハイプのコピーバンドを組むことになった。
本番は、本当に素晴らしいライブだったと思う。自ら言うのは少し恥ずかしいけれど"青春"としか言い表せないほどきらきらしていたと思う。練習もすごく楽しかった。実はこのとき、このコピーバンドが私の音楽人生の最後のバンドにしようと思っていた。この頃は音楽活動をどう続けていくか悩んでいたこともあり、楽しい思い出で音楽を辞めるのもアリかなと考えていた。
そして、本番では文字通りの"青春"そのものを叩き出し、ライブが終わったときには「もう満足かも」と思った。結局、音楽は辞めずに今も続けているが、本当にそれくらい素敵なライブだった。きらきらで、ばちばちで、虹色の火花が散っていたと思う。
と、この記事はその話でひと記事書こうと思っていたのだが、執筆直前にクリープハイプのトリビュートアルバム『もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって』が発売され、その瞬間、雷に打たれたように興奮した私は書く内容を変更することにした。いつだって「今が一番面白い」から、ちゃんと今、今ここで書きたいことを書くことにした。
コピーバンドのメンバーみんなで練習後にサイゼリヤに行ったことも、古着屋の前でアーティスト写真を撮ったことも、みんなで学祭を回ったことも、本番ではボーカルの体調が万全ではなくそれを支え合うようなライブだったことも、そして打ち上げで行った韓国料理屋さんのことも、ちゃんとすべて覚えているから。また書きますね。
さて、ここからはクリープハイプ トリビュートアルバム『もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって』について、全曲レビューを書きます。なぜなら、このアルバムには私の「あの頃」が詰まっているから。あの頃、大好きだったバンドたちが、別々の道を進んでいるように見えた人たちが、今こうして交わっていることが嬉しいから。だから、本気でレビューを書きます。きっと届くことはないからこそ、自由に、愛を詰め込んで文章を書きます。いつもいつも自分のことばかり書いて情けないから、たまには真っ直ぐに曲と向き合おうと思います。カバーを行ったすべてのアーティストとクリープハイプへ、踊り場からの愛を込めて。
クリープハイプ トリビュートアルバム『もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって』全曲レビュー
このトリビュートアルバムは、全組がクリープハイプ への愛に溢れているだけでなく、クリープハイプと同世代の組はクリープハイプ に喧嘩腰で、クリープハイプより若い世代は尊敬と挑戦を感じさせ、クリープハイプより上の世代は懐の広さを見せつけているように感じる。これはクリープハイプが相手だからできる行為のように思う。クリープハイプが歩んできた道の途中で出会った、そして私たちがクリープハイプを聴いて育った道中で出会った、音楽と音楽が交わる交差点のようなアルバムなのだと思う。
栞 (covered by SEKAI NO OWARI)
クリープハイプの代表曲とも言える「栞」をSEKAI NO OWARIがカバー。原曲はこれぞクリープハイプといったアップテンポでロックなアレンジが光る楽曲である。これをSEKAI NO OWARIは徹底的にポップに仕上げている。圧倒的で絶対的なセカオワ色のポップに、美しく再構築されている。
クリープハイプが公式の動画で、SEKAI NO OWARIに「栞」でお願いしたいと依頼したと語っていた。SEKAI NO OWARIとクリープハイプ 、それぞれ近い世代で、同じ時代をそれぞれポップの第一線、ロックの第一線で戦ってきた両者から両者への賛辞と挑戦のように思える。お互いに頑張ってきたことを讃え合い、また、お互いが向き合ってきたポップとロックのプライドのぶつかり合いでもあると思う。ポップへのプライド、ロックへの意地、そしてお互いのジャンルへの最大のリスペクトがあったからこそ実現したカバーだと思う。
憂、燦々 (covered by ヨルシカ)
この曲がクリープハイプを知るきっかけになったという人は多いと思う。そんなクリープハイプの代表曲のひとつ「憂、燦々」をカバーしたのはヨルシカ。このバンドの持つ音楽に対する真摯さと誠実さが感じられる真っ直ぐなカバーで、クリープハイプへの愛とリスペクトを存分に感じられる素晴らしい仕上がりである。それでいてヨルシカの持つ切なさや儚さは、クリープハイプおよび「憂、燦々」の持つ切なさや儚さと混じり合い、楽曲への確かな魅力に結びついている。
ヨルシカはインターネットを中心に活動しているが、個人的には2010年代の邦ロックに強く影響を受けていると感じる。だからこそ、このカバーには特別な意味があるのかもしれない。戦う場所は違えど、両者には根底で共通する部分があるように思う。
手と手 (covered by 10-FEET)
ロック界のみんなのお兄ちゃん的存在10-FEET。そんな彼らがカバーをするのが「手と手」。クリープハイプファンの中でもこの曲を好きな人は多いと思う。これでもかと10-FEET色に、ロックに、アレンジがされたカバーであるが、随所に原曲を丁寧に汲み取ったような優しさを感じる。これでこそお兄ちゃんだ。
アレンジはバンドの持つ勢いだけで完結させず、ストリングスを入れていたりと本当に丁寧にカバーしてくれたように感じる。元々の楽曲をゆっくりと紐解き結び直したような素晴らしさで、勢いの中にも美しさが存在している。10-FEETの持つ強さも勢いも、そして優しさまでもが楽曲に映し出され、圧倒的な説得力のあるカバーに仕上がっている。恐ろしいバンドだ。
イト (covered by UNISON SQUARE GARDEN)
クリープハイプへ、最も喧嘩腰で挑発的なアレンジだと思う。初めて聴いたときは、驚きのあまり空いた口が塞がらず、ずっとニヤニヤしてしまった。すごすぎる。大暴れである。
ユニゾンの持つ遊び心がこれでもかと楽曲に表れているが、それもクリープハイプへの深い信頼、そして何より何をしても大丈夫だと「イト」という楽曲の強度を信じているからこそできるアレンジで、これ以上ないほどのクリープハイプへの愛を感じる。
UNISON SQUARE GARDENのトリビュートアルバムにクリープハイプが参加した際、クリープハイプが別の曲のフレーズを引用したことや、「イト」を作る際に参考にした曲がユニゾンの「シュガーソングとビターステップ」だという話もあり、今回のカバーはそれらのことに対した愛を込めた”仕返し"とも考えられる。
またこのカバーには、アニメのキャラソンのような魅力を感じる。よりポップに、より展開も増え、2人体制で歌い上げる。クリープハイプというアニメの中に登場するUNISON SQUARE GARDENというキャラクターの曲だ。あくまでクリープハイプというフィールドの中で大暴れするUNISON SQUARE GARDENがとても愛おしい。
社会の窓 (covered by ano)
バラエティ番組で大活躍中のano(あのちゃん)だが、現在はソロアーティストとして活動、元々はアイドルグループに所属していた。言わずと知れた邦ロック好き、クリープハイプ好きな印象もあるため、このアルバムにanoが参加するのは感慨深いものがある。「社会の窓」はクリープハイプのメジャー2枚目のシングルで、メジャーデビューした自身の状況を赤裸々に記した歌詞は当時とても話題になった。あのちゃんはアイドル時代、それ以降の音楽活動を観てもパンクロック的なマインドを感じるため、この「社会の窓」の選曲はとてもワクワクした。
アイドル時代やさまざまな活動を経て、いまテレビで活躍しているあのちゃんがこの曲をカバーすることにとても意味があるように思う。このカバーはあのちゃんが「ano」として世間へのカウンターとして歌っているような気がする。より攻撃力が増したアレンジでこの世界をぶん殴ってほしい。あのちゃんにとって、このカバーがお守りのように機能してくれたらいいなとささやかに思う。
ABCDC (covered by indigo la End)
天才・川谷絵音率いるバンドindigo la Endがカバーしたのは「ABCDC」。この曲に対して川谷絵音は「どうにか僕の曲にならないかなと常々妄想していました」というほどこの楽曲に惚れ込んでいるよう。
"天才・川谷絵音"と書いたが、indigo la Endのメンバーは皆、天才的でかつ職人のようでもある。彼らがカバーした「ABCDC」、さらっと聞けば圧倒的indigo la Endの音がしていて、これぞindigo la Endなのに、分解して音を聞けば確かにクリープハイプ の「ABCDC」そのもので不思議な気持ちになる。パーツひとつひとつはクリープハイプなのに、合わせたときにindigo la Endになる。魔法のようなアレンジだと思う。
川谷絵音と尾崎世界観、どちらも愛や恋を(ときに憎悪さえも)歌い、世間と戦い、音楽と向き合い続けてきた同士、お互いを鋭い眼差しで見つめ合うようなカバーだと思う。
キケンナアソビ (covered by Wurts)
今回のアルバムの中で最もクリープハイプに挑んでいるようなアレンジだと思う。若き才能Wurtsがクリープハイプの楽曲を噛み砕き、原曲を尊重した上で別の表現方法として「キケンナアソビ」をアウトプットしている。
原曲よりも気だるく怪しくロックに変換された「キケンナアソビ」はある種のいい加減さを感じる。投げっぱなし、言いっぱなしの「キケンナアソビ」。ある意味最もスリリングな選択であり、最も潔いアレンジだと思う。おそらくこのアルバムに参加した人の中で最年少の彼がこのアレンジを選んだこと、そしてこの上ない完成度に仕上げたことがとても嬉しい。
ナイトオンザプラネット feat. 尾崎世界観 (covered by 東京スカパラダイスオーケストラ)
東京スカパラダイスオーケストラによる「ナイトオンザプラネット」。ゲストボーカルにクリープハイプの尾崎世界観を迎えるという豪華なアレンジだ。まず感じたのは、東京スカパラダイスオーケストラというバンドの懐の広さ。原曲のボーカルである尾崎世界観が参加しているため、他のカバー以上に原曲と比較されるだろうが、このアレンジには圧倒的な安心感と包容力がある。尾崎世界観の声も東京スカパラダイスオーケストラを信頼して身を任せているように思える。
原曲が邦画のラストシーンで夜明けの東京を舞台にした曲だとしたら、このアレンジは洋画のラストシーンで夜明けのニューヨークを背景に流れる曲だと思う。華やかでキラキラしていて、でも切なくて少し寂しくて、どこか贅沢でゆったりとしている。どちらの映画もきっとこの上なく素晴らしいものなんだと思う。
二十九、三十 (covered by ウルフルズ)
クリープハイプのファンの中でも「二十九、三十」に支えてもらったという人は多いのではないかと思う。それほどまでにクリープハイプの「二十九、三十」は歌詞も演奏もメロディも素晴らしい。そんな曲をカバーするのはウルフルズ。圧倒的な背中の大きさ。大きなウルフルズの背中はとても安心できる。そんな安心感のあるカバーだと思う。
クリープハイプ の「二十九、三十」がいま悩む私たちの歌だとしたら、ウルフルズの「二十九、三十」は悩んでたあの頃を回想しつつも一歩一歩あるいてゆく私たちの歌だと思う。懐かしくて切なくて、でも生きていくための歌だ。
このカバーは「二十九、三十」をリリースした頃のクリープハイプへ、ウルフルズが「歳を重ねることは楽しいぞ、その先で私たちは待っている」と語りかけているような気がする。どんな曲を歌ってもウルフルズはウルフルズで、このカバーはウルフルズ全開のウルフルズらしい素晴らしいエールだ。
ただ (covered by My Hair is Bad)
尾崎世界観が可愛がっている後輩を1人挙げるとしたらMy Hair is Badの椎木知仁だと思う。My Hair is Badはクリープハイプを敬愛しているし、クリープハイプはMy Hair is Badを気にかけているように思う。これはMy Hair is Badからクリープハイプへ、椎木知仁から尾崎世界観へのラブレターだと思う。
原曲を大胆にテンポアップし、自分たちのフィールドに持ち込んだアレンジでMy Hair is Badを随所に感じられる。この曲がMy Hair is Badとの相性が良いことに驚くと同時に、この形でこの完成形に仕上げられるMy Hair is Badというバンドの強さも感じる。
このカバーには原曲にない部分を作ってまで椎木知仁が尾崎世界観に伝えたかったことが詰め込まれている。これほどに愛が詰まったカバーはない。愛を伝えるために、ない部分をつくってしまうMy Hair is Badの覚悟も感じる。ただのカバーで終わらせないという信念と覚悟、そして愛をこれでもかと詰め込んだカバーである。
バンド (covered by back number)
アルバムの最後を飾るのはbacknumberによる「バンド」のカバー。本当に素晴らしいカバーだと思う。「バンド」はクリープハイプにとってもきっと大切な曲で、だからこそ盟友のbacknumberがこの曲を担当すると知ったとき、「backnumberなら大丈夫だろう」という安心と信頼があった。そして、その安心や信頼はそのままに想像の遥か上をゆく素晴らしいアレンジだった。真正面から3人だけのアレンジで、しっかりと練って、丁寧に汲み取った、それでいてbacknumberの真髄のような芯の強さも感じる。熱量と丁寧さとポップさと剥き出し具合が本当に見事でたまらない。アルバムの最後を飾るのに適した珠玉の一曲だと思う。言葉にする必要のないほど愚直で素直で素晴らしいカバーだと思う。
クリープハイプみたいなバンドを組めると思ってた、尾崎世界観になりたいと思っていた高校生の私に、クリープハイプや尾崎世界観になれないけれど、それでもきっと素晴らしい未来が、素晴らしい日が、あるよって教えてあげたい。いや、教えたらもったいないか。大丈夫だから。音楽を好きでいればこんなにも愛に溢れた音楽に出会えるんだから。好きなものをちゃんと好きでいれば、問題ないから。何も心配ないから。離さないでゆっくり歩いていれば連れて行ってくれるからね。これからも。
今さらだけど大好きです、クリープハイプ。
P.S.
この記事を書きながら思い出したことがある。実は、クリープハイプのアルバムのレビューを書くのは今回が2回目。1回目は高校生の頃、クリープハイプのアルバム『世界観』について書いた。SCHOOL OF LOCKというラジオ番組の「半径3mの世界観ライナーノーツ」という企画に応募したものである。そのレビューが無事にホームページに掲載されたときはとても嬉しかった記憶がある。ふと調べてみたら、まだそのサイトが残っていたのでURLを貼っておきますね。名義は当時使っていたラジオネーム"システムNight"になっています。(恥ずかしいですね)
今回のレビューと読み比べてみても面白いと思います。
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