【阿佐ヶ谷mogumogu インタビュー】北京から、東京へ 中国インディー音楽が彩る豊潤な森
中央線の駅前商店街の喧騒の中、雑居ビルの外階段を登り切った3階に、その“深い森”はあった。中国の「独立音楽」(インディー音楽)の発信基地、「阿佐ヶ谷mogumogu」(以下mogumogu)だ。
店のカードには中国語で「唱片(レコード)、咖啡(コーヒー)、酒吧(バー)、演出(ライブ)」の文字。この場所をひと言で紹介するなら「音楽スペース」だろうか?
「音楽に限らず、アートとかライフスタイルとか、誰もが何らかの表現ができるオープンな空間だと思ってます。……だから、カテゴリーなんでもいい」
そう語るのは、この店mogumoguの店主。北京から来た彼を、人は「モグ」と呼ぶ。
「モグ」は「キノコ」を意味する中国語の「蘑菇(mogu)」から。マッシュルームカットの店主、そして日々増殖しながら店内を埋め尽くしていくキノコのモチーフやグッズ……。でも、そんなことより、mogumoguには目に見えないミラクルな“胞子”が浮遊している。
開店から約1年。「この人ってホントに“キノコ人間”だな、いろんな意味で」と、モグについて私は思うのだった。
北京と東京で呼応する、鬱蒼とした“音楽の森”
モグは1979年、青島ビールで有名な中国東部の港湾都市、青島で生まれた。北京の大学でグラフィックデザインを学び、広告代理店で嫌々ながら働いた後、2003年に「ROCKLAND(摇篮唱片)」、2009年に「69cafe」、2016年に「mogu space(蘑菇空间)」といった数々の伝説的な音楽スペースをオープン。独立音楽とともに約20年もの間、目まぐるしく変わる北京の街と音楽シーンを見つめてきた。
2017年からは自身の音楽レーベル「MOGU LABEL(蘑菇厂牌)」も運営している。
「初めて日本に来たのは8年前、2016年の春でした。東京の音楽の雰囲気、大好きです。レコードショップ、たくさんあります。北京のレコードショップはたぶん10件。中国全部のレコードショップはたぶん1000件。東京は東京だけで1000件。ショックでした」
初来日の興奮を日本語でよどみなく語るモグ。私たちは思わず顔を見合わせて笑った。これはモグが杉並区の外国人日本語スピーチ大会で「審査員特別賞」を受賞した時のフレーズだ。
ちなみに、モグと私の会話は、カタコトの日本語・英語・中国語、筆談、スマホの翻訳アプリ、近くにいる日中両語ができる誰かに通訳してもらう……のミックス(この記事ではモグと私の共通の友人、南欣蕊さんに一部通訳をお願いした)。mogumoguを訪れる日本語話者のお客さんたちも、そんな感じでモグ、そして中国語話者のお客さんや出演者たちとコミュニケーションを図っている。
大好きな東京の中でも、モグの心を最も強く惹きつけたのは、中央線の高円寺や阿佐ヶ谷の商店街の雰囲気だった。北京や上海をはじめ中国の大都市は、どこも「再開発」の名のもとに整備され、均質化され、「つまらなくなってきた」とモグは言う。そんなモグだから、高円寺再開発反対運動にもシンパシーを感じているようで、「高円寺に再開発はいらないパレード」では「中国には、こんなデモは無いから」とバンドやDJのサウンドカーの写真を撮りまくっていた。
私が、いつもモグに驚かされることは、彼が頭で考えるのとほぼ同じスピードで行動することだ。初来日からわずか数カ月後の2016年秋、モグは北京のバンド、white+(ホワイトプラス)とともに再び来日し、東京公演を行う。そして、それを皮切りに劉冬虹、張浅潜といった中国のミュージシャンの来日ツアーを毎年1組ずつ開催。それはコロナ禍の直前まで続いた。
中国政府のゼロコロナ政策による都市封鎖を経て2022年、モグは東京への移住を決行する。そして翌2023年の3月、阿佐ヶ谷パールセンター商店街で、モグはついにmogumoguをオープンするのだった。
開店にあたって最初にぶち当たった壁は、なんといっても不動産の手続きだったとモグは振り返る。中国では部屋の貸し借りは家主との直接契約だが、日本では管理会社を通して、保証人、貯金残高の証明といった煩瑣な手続きが山ほどある。国籍を聞かれて門前払いになった物件もあったという。駅前の「外国人お断り」のその部屋は、いまだに空室でモグは近くを通るたびそのビルを見上げているようだ。
現在、モグはパートナーのエイミーとともにmogumogu、そして遠隔で北京のmogu spaceの2店を同時にきりもりしている。
東アジアを代表する大都市、東京と北京にある2店は雰囲気もよく似ている。
雑居ビルの3階にあるmogumoguは、どこか空中に浮かぶ森のようだ。この店に来るたび、私は自分が小さな虫になったような気がして落ち着く。まだ北京のmogu spaceには行ったことがないけど、海を越えた遠い場所に、この森ととてもよく似た森があって、その森の中にも、この森と同じように鳥とか虫とか花とか苔とかキノコとか微生物とかがいるんだろうな、と私は北京のmogu spaceのことを想像する。
そういう鬱蒼とした森のような場所にこそアートや音楽や詩が生まれるのかもしれないね、とモグに言うと「たぶんそうだと思う」と彼はうなずいた。
mogumoguには、一人でただ静かにお酒を飲みたいだけの人も来る。私のようにお酒が弱い人には、コーヒー通のモグが淹れてくれる特製“moguブレンド”のコーヒーがおすすめ。これがとてもおいしい。
漢詩の伝統と、中国のパンクロック
コロナ禍以降は、北京でも外国人のアーティストがライブをすることは難しくなったと聞く。外国人に限らず、ライブを開催する場合は、出演者のビデオや歌のタイトル、それに歌詞まで政府に届け出なければならないようだ。審査が厳しくなった理由について何人か周りの中国人にたずねてみたけど、「私たちもわからないんです」と皆、口をそろえて言う。
そんな中、東京で会った中国のパンクロッカーから、おもしろい話を聞いた。その人が言うには、同じ中国語圏でも台湾のパンクの歌詞が中国語なのに対して、中国のパンクは歌詞が無い、あっても大抵は英語の歌詞なんだそうだ。そして、歌詞に中国語を使う場合でも、台湾のパンクのように直接的に何かを訴えるのではなく、「文学的に」表現するのだという。古い時代の漢詩のように。
本当に言いたいことは、とても深い場所にある。「中国には、そういう伝統があるんだよ」と、そのパンクロッカーはいたずらっぽく笑っていた。素敵な人だった。
私が初めてmogumoguを訪れた夜にもよく似た話を耳にした。お祭り騒ぎが苦手な私は、あえて開店記念のイベントを避け、「中国音楽の夜」というDJイベントの日にmogumoguの外階段を登った。その夜の客は私以外みんな中国人で、中国のインディー音楽に関するいろんなことを教えてくれた。彼らによると、抑圧が強くなればなるほど、反発する代わりに自分の内側をどこまでも深く掘っていくような音楽やアートが生まれている、とのことだった。
当時の私は、中国のバンドといえばDropkick Murphysの来日公演で前座を務めた北京のパンクバンド、脳濁(Brain Failure)しか知らなかった。あの夜、mogumoguでDJが流す中国のインディー音楽に「ちょっとCANみたい」「ちょっとCUREみたい」と反応しては、それが自分と彼らの共通点みたいで嬉しかったけど、mogumoguに通い出して1年たった今は、そんなふうに無理やり自分の知ってる音楽に当てはめて聴くことはなくなったように思う。
mogumoguに通うようになってから中国語(普通話)の勉強を始めた。まだ挨拶と単語程度しか口から出てこない。でも、書かれた言葉の意味は、漢字からなんとなく推測できるようになった。
「歌詞がいい中国のミュージシャンを教えて」とモグに言うと即座に、Carsick Cars、万能青年旅店、P.K.14の名前が挙がった。中でもモグが好きなのはCarsick Carsの『志願的人』だという。mogumoguからの帰り道、モグからWeChat(中国版のLINEのようなもの)で『志願的人』の歌詞が送られてきた。漢字の一つひとつをなぞるように読んだ私は、思わず立ち止まって嘆息し、しばらくそこを動けなかった。興味がある人は、ぜひネットで調べて、この詩を味わってもらいたい。
「音楽は自由」という“ありふれた”言葉
中国の独立音楽を中心としたレコードやCDの販売のほか、mogumoguでは毎晩のようにライブが開催されている。今のところ、チケットのノルマもレンタル料も不要。店のスケジュールが空いてさえいれば誰でも出演できる。
私自身、モグからいきなり「DJやりませんか?」と声をかけられた時は驚いた。未経験の私に「大丈夫。いちばん大切なのは曲です」と背中を押してくれたモグには今でも感謝している。開店からたった1年ながら、私のようにmogumoguで何か最初のステップを踏み出した人は少なくないはずだ。「めちゃくちゃ出演者にやさしいハコだね」と笑う人もいるけど、「敷居が低い」ことはモグも認めている。中国語にも「门槛低」という同じニュアンスの言葉があるそうだ。
イベントや、お店に置いているレコードに「モグさんセレクト」を期待したこともあったけど、モグは、店が提供する音楽と自分の趣味は関係ない、とはっきり言い切る。「自分がそれほど好きじゃなくても、その音楽を好きな人はいる。それだけです」と身もふたもない。「それだけ?」と食い下がると「音楽は自由です」と即座に返ってきた。
この、すごく“ありふれた”言葉を、その時の私が心の中でなんとなく素通りさせてしまったことを今では後悔している。
mogumoguでは日本や中国に限らず、さまざまな文化的背景、ジャンルのアーティストをランダムに(ホントにランダムに)ミックスしたイベントを開催している。それによって、おもしろい“化学反応”も次々起きているようだ。
輸入されたリサイクル用の“ゴミ”から芽吹いた音楽
モグ自身のこれまでの音楽体験、そして中国の若者が外来の音楽にいかにアクセスし、受容してきたかについて話している時、「今から約30年前……」とモグが興味深いものを持ち出した。
「外国から来た、このようなものが若者に大きな影響を与えました。大学の前などで路上販売されて、皆これを聞いて音楽に興味を持ちました」
中国語で「打口」、英語でscrapped CDsと呼ばれる中国独特の“音楽媒体”だ。1990年代、欧米や日本などで大量生産されたCDやカセットテープなどの余剰品が再生プラスティック用の原料として中国に輸出されていた。「つまり、ゴミなんですけど、これが商売になるかもしれない、と考えた人がいたんですね」とモグ。
当時、海外からの輸入CDは中国では希少な上にたいへん高価で入手困難だったが、地下のマーケットでは「打口」を安価で手に入れることができた。ロック、ジャズ、クラシック……ジャンルに関係なく、当時の音楽好きの若者たちはむさぼるように「打口」を聴き、音楽への情熱をかきたて、そこから多くのインスピレーションを得ていたという。モグのこの話を聞きながら私は、音楽のジャンルってもしかするとレコード会社が便宜上作ったものにすぎないのかも、と思った。
ソニック・ユース、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニルヴァーナ、カーズ、ペイヴメント、そして日本のZARDといった名前がモグの口から次々飛び出した。いずれも彼が「打口」で出合った音楽だ。ジャケ買いで思わぬ「大当たり」に遭遇することもあったという。
2003年にオープンしたモグの最初の店、ROCKLANDでも「打口」を扱っており、ミュージシャンや音楽好きの大学生などが「打口」を求めて来店していたようだ。中国の音楽関係者の中には「打口」の影響を受けている人も多い。それは現代の若い世代にも間接的に受け継がれているとモグは言う。この話はおもしろいので、また後日じっくり聞いてみたいと思う。
2024年、日本と中国でモグ企画のライブツアーが始動
2023年12月31日、新暦の大晦日、私はmogumoguで新しい年を迎えようとしていた。これまでの人生の中で一番たくさんヒマワリの種を食べた夜だった。年越しのカウントダウンと拍手の後、そこにいた者同士で互いに賀詞を交わし、ひと言ずつ新年の抱負を語り合った。
モグの2024年の目標はズバリ、「黒字」。mogumogu開店1年目は北京のmogu spaceの収益を東京のmogumoguに投資することで精一杯だったけど、今年はmogumogu単独で黒字にしたいと意気込んでいる。開店以来、ライブも客数も順調に伸びて知名度も上がってきた。この目標は、おそらく達成できるだろう。
改めて、東京に来て一番よかったことは? と聞くと「毎日、『よかった』と思います」とモグ。理由は「自由だから」。
「でも、東京に来た一番の理由は……」と彼は続ける。
「中国のインディー音楽を日本に連れてきたい。そして、日本のインディー音楽を中国に連れて行きたい」
mogumoguは、中国から来日した名だたるミュージシャンたちがライブを行う場所としても知られている。これまでに、脏手指、Lur:、桃子假象、愚月、哈拉木吉、上海秋天、晓月老板、Carsick Cars(ドラム、ベース)などがmogumoguを訪れた。ライブは直前に告知されることも多く、運が良ければシークレットライブのような贅沢なひとときを味わえる。
2024年11月には、MOGU LABELのブルースシンガー、劉冬虹が来日し、mogumoguでライブを行う予定とか。今からとても待ち遠しい。
劉冬虹 & THE SAND BAND「愛と自由」
劉冬虹をはじめ、MOGU LABELのレコード、CD、カセットは、mogumogu店頭のほか、ディスクユニオンのサイトからも購入可能だ。
また、2024年8月、10月、12月には、日本のインディー音楽のミュージシャンに同行して中国主要都市を巡るライブツアーを企画しているという。
インタビュー・テキスト/コール 智子 通訳/南欣蕊
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