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さびしさは鳴る、のだとしたら

 あたらしい街にやってきて、あたらしい部屋で生活を始め、あたらしいコインランドリーで洗濯をする。コインランドリーの「24H」の文字にほっとするのは何度目だろう。初めての一人暮らしではないのに、やっぱりあたらしい部屋は何だかよそよそしくて寂しい。それに今回の部屋は私には広すぎる。ひとつの箱でおさまらない心許なさのような、ずっと隙間風が吹いているような、がらんとした寂しさがずっとそこにある。寂しがり屋の人の家は、ものが増えるらしい。今ならその人の気持ちがわかる。この空間とこころの物足りなさを、もので埋めようと思いたくなってしまうのが、わかる。

 ちょっとしたホームシック。住む場所を転々として、もはや本来帰る場所は分からないけれど、それでもホームシックじみた感情に襲われている。そんな時、コインランドリーで回る洗濯物を眺める。投げ出したくなっても、全てを捨てて逃げたくなっても、寂しさでどうしようもない夜も、夜中にひとりで回る洗濯物を眺めていると、結局私たちは地道に生活を続けるしかないのだという半ば諦めのような気持ちに落ち着く。今日もどこにも行けなかった。明日もきっとどこにも行けない。だけど日々が当たり前に続いていく。それってとてつもなく絶望的で、同時に安心できる。退屈ってきっとしあわせなことだと思う。そんなことを考えつつコインランドリーの音をひたすら聞きながら、ああ今日も絶好調にさびしさが鳴っているなと思う。寂しくてなんぼの人生だ。






ゆっくりしていってね