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きょういく(今日行く)/きょうよう(今日用)

近い将来、日本の団塊ジュニア世代は高齢を迎えます。「超高齢化社会」医療の進化により寿命が伸びる喜ばしい点と、一方で若者の年金負担など経済的に直面する問題、核家族化の進んだ先に待つ孤独な高齢者。私たちの世代は自ら日々の活力を保てるように備えていくべきなのかもしれません。

シルバー人材センターで伺った話

団塊世代の方々がリタイア後、地元でお手伝い出来ることを求めて登録するシルバー人材センター。編集部は団塊世代の方々に懐かしい過去を記していただけまいかと、いくつかのシルバー人材センターを訪ねて相談したことがありました。その際にいただいたお話で心に残ったことがあり、それはミドルエッジというサイト/場が何かしら役に立てる方向性を示唆する内容でもありました。

社会や人との繋がりが希薄になることは、日々を前向きに生きる気持ちや自らの活力と無関係ではないと仮定し、緩やかであっても暖かい繋がりの場を整えたいと意識してきた身としては、この伺ったお話でさらにその意を強くしたものです。

上場企業の役員まで務めたような人も登録しています。
そのような方々の「きょういく」や「きょうよう」をお手伝いしていくんです。

社会人キャリアを存分に務め上げた方々に「教育」「教養」とは、気も使いますでしょうね。価値観や考え方も皆様それぞれにお持ちでしょうし。

いえ。
「きょういく=今日行く」「きょうよう=今日用」ということです。

「教育≠今日行く」「教養≠今日用」ということですか。それってどういうことなんでしょう?

ええ。
「今日どこかに行くこと」「今日何らかの用事がある」そういった日常を失ってしまうと、人は急速に老け込んでいくんですよ。現役時代の何も用がない休日と、リタイア後の何も用がない日々は全く違うんですね。

現役時代を終えた男性にそのような状況があること、女性にも母親の「空の巣症候群」といった症状が起こりうること。社会や家族の繋がりのなかで日々を懸命に生きる日常がひと段落した後、現代において人はどのような繋がりのなかで日々を前向きに暮らしていけるだろうか。

「そんなの余計なお世話」と思われる時代であれば安心で、でも実際は「今日はどうやって過ごそうか」と朝を暗澹たる気持ちで迎えるような人が増えてくる社会の到来を危惧します。

「今日行く」「今日用」を作り出す一助に

とかく同じ価値観ありきの繋がりが優先されるSNSなどインターネット上での繋がり。しかし古い時代のことかもしれませんが、近所や地域など好き嫌いに関わらず「うっとおしいくらい」繋がりが当たり前だった時代のそれとは、繋がりの質がちょっと違うように思います。

ミドルエッジではFacebookにページとグループを設け、日々少しづつ参加される方が増え続けています。

過去の共有/共感を繋がりのスタートに

喜怒哀楽という人間の強い感情でなく「懐かしさの共感」という少し控えめな、でも確かに繋がることが出来る要素をスタートに、私たちは緩やかに繋がりを持つことが出来るのではないでしょうか。

SNSを介しての繋がり、オフ会などのface to faceの繋がり。その先には同世代だからこそ集まって楽しみたくなるイベント開催など。

例えば、かつて私たちがブラウン管のなかに観ていたアニメやドラマを現代のシネコンで定例上映し、月に一度同世代で集まって鑑賞するのもよいでしょう。かつて私たちが応援していたアイドルとともに往時を懐かしむ会を催したり、かつて私たちを魅了した自動車やバイク、それらをいまも大切に所有している方々と集うことも素敵なことだと思います。

ひとつのイベントや機会が控えていれば、その前後で参加者同士がSNSで交流し盛り上がるのも楽しいことでしょう。ミドルエッジを介して様々な出会いが生まれており、それらがまた多くの方が繋がるきっかけとなる。その繋がりの先には交流や機会が生まれ、無理のない時間と消費で個々人が「今日行く」「今日用」に安心して日々を前向きに送ることが出来る。

来るべき将来、超高齢化社会の主役は私たち世代であると考えます。
私たち自身が日々を前向きに過ごすため、緩やかであっても繋がりが生きる社会の形成に着手していくことは意義あることではないかと考えています。

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