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「手をつなぐ」それはとても温かくて、恥ずかしくて、うれしくて。

目が覚める。
今日の目覚めは10:30。
いつもよりちょっと遅かったかな。
でも久々に心は落ち着いている。
さて食前の薬を飲もうか。

毎日の目覚めも、こう安定していてくれよと思う。


「手をつなぐ」それはとても温かくて、恥ずかしくて、うれしくて。

最近私と会った方々はご存じだと思う。私はハグが大好きだ。隙あれば出会いのハグ、別れのハグを、私が「もういい」と言うまで、長く長くしていたい。人って、本当に温かい。

けれど数日前、私は「手をつなぐ」ことの味も覚えてしまった。それはなんと温かくて、恥ずかしくて、うれしいんだろう。


その日はあまりに朝から憔悴し切っていて、待ち合わせた相手も、私の変わり果てた姿には驚いていたようで。レストランに入って注文を終えた後も、私の心の状態は一向に良くならなかった。

その様子を案じてなのか、その相手はスッと両手を差し出し、私はただ何も考えずにその手をとった。すると何気なく触れた両の手から溢れるほどの温もりを感じ、私は心から驚き、そして安らぎを覚えた。

「大丈夫です」「大丈夫です」
ギュッ、ギュッ、と、そう言いながら、相手はゆっくり私の手を握る。私は握られるそのペースに合わせて、俯きながら、両手から伝わる温もりに包まれながら、呼吸を合わせていった。

「大丈夫」「大丈夫」
私も、私にそう言い聞かせる。気がつくと、朝から止まらなかった心の痙攣は、すっかり消え去っていた。

「手をつなぐ」って、こんなにあったかいんだ。


手をつないだのは、これだけではなくて。

その日の帰り道、相手をお見送りする改札までの道中で、今度はその人がスッと片手を差し出してきた。「まさか!?」とは思ったけど、相手は”手をつなごう”と私に促している。

待って待って待って、ここは渋谷のど真ん中。
そんな手をつなぐなんて、友だち同士だったとしても、めっちゃ恥ずかしい。でもさっき手をつなぐことの快感を覚えてしまった以上、その欲求に抗えそうもない。

「……改札まで離さないかも」「望むところです」

そして私は手をつなぎ、渋谷の街を歩いた。
めっちゃ恥ずかしくて、うれしかった。

ハグはこれまで何度もしてきたけど、ハグと比べれば身体の接触面なんて僅かなものだけど、何でこんなに、手をつなぐって温かいんだろう。本当に本当に不思議で、頭はオーバーヒートしそうで、顔はニヤニヤが止まらなくて、胸はいっぱいになった。

そして世のカップルたちが手をつなぐ理由も、即座に理解できた。うん、みんなひと思いに、手をつなぎまくったらいいと思うよ。


「手をつなぐ」
その方法って実際に手をつなぐこともそうだけど、

メッセージを送ることも
プレゼントを渡すことも
何かアドバイスを投げることも

何かしらの形で心がつながったとき
きっとそれは「手をつなぐ」と言っていい。

そう教えてくれた人がいる。

今は諸事情でお会いすることはできなくて
直接のやり取りが解禁されるのは6月
もしくは夏になってしまうかもしれない。

こんなに梅雨が、夏が待ち遠しいのも初めてだ。

もし再会が実現したら、私がどれだけその人の記事に救われたか、その人の生き方にどれだけ感銘を受けたか、全身全霊で伝えたい。

「よくぞここまで生きてこれました」と、互いの健闘を讃え合いたい。(何様)


HSP(Highly Sensitive Person)という言葉が最近認知されつつあって、私はすっかりそれだと思っていた。

私は気がつくと、人の小さな動きや表情を常に注視していた。誰かの些細な言葉や声色から、その人の心情を察知しようとしていた。それぞれの手がかりから、本当に相応しい声かけは何だろうと、発言のひとつひとつに心を割いてきた。そして大きな物音や棘のある怒鳴り声に怯え、時には街の雑踏ですら、耳に刺さるようになっていた。

私はこれらを「HSPだから」と思っていた。

しかし、もしかしたら、幼少期から繰り返し受けてきた心の傷が、そう私を突き動かしているのかもしれない。そう考えるようになった。


さて、実は明日から、これまで積み重なったトラウマの数々を、外に排出していく治療をスタートさせようと思っている。つまり私は、定期的に心のお医者さんへ通うことにした。

それはさながら、これまでのトラウマと対峙して、そいつらをやっつけるための旅といってもいい気がして。

それは決して簡単なことではなくて。
そんなこと、しなくていいならしたくない。

私は、過去について振り返ることを、まだ心のどこかで恐れている。


最近の私といったら目覚めは本当に最悪で
目が覚めた瞬間から心はヒリヒリしていて
同時に計り知れない不安・焦燥感も襲ってきて

だいたい30分くらいかな、
布団にくるまりながら、全身をギュッと丸めながら、ひとりガタガタ震えて、心が落ち着くのをひたすら待つ。それが私の最近のルーティン。

まったく。好きでやってるわけじゃないんですよ?


私はこれから、私の過去と嫌というほど向き合うなかで、おそらくパニックになったり、街中でフラッシュバックに苛まれたり、ひとり部屋で布団にくるまりながら、もがき苦しむことだろう。

ほんっとに、こんなことしないで済むなら、しなくていい人生のほうがずっと楽。できることなら、こんな治療は受けたくない。過去のトラウマをほじくり返すのだから。

でもこの経験を乗り越えた先には、もっともっと、誰かの心に、誰かの痛みに寄り添える人間になれるのではないかと思う。

そして、これまで私に差し伸べられてきた温かい手の数々が、これからの私を支える大きな力となるのでしょう。


「SWEET DREAMS!」と書かれた、身体が温まるハーブティーを差し入れしてくれた。

「枕もとに幸せを」と、白バクのセラミックディフューザーとアロマオイルをくれた。

「こういう時は美味しいものと美しい景色を」と、外に連れ出してくれた。

本当にどうしようもなくて何もかもが崩れそうになったとき、私の身を案じて一晩付き添ってくれた。

私の投稿を見て、お店まで本物の花束と小さいティアラを持ってきてくれた。

「ホットミルク+蜂蜜+シナモン=強い」
この方程式を教えてくれた。

お店にお伺いする時、私の店にいらしてくださった時、本当に勉強になる話をしてくれた。

私の長ったらしいDMをしっかり読んで、後で会った時にフィードバックしてくれた。

店の人間でもないのに、スタッフにする大事な話を私にもしてくれて、閉店後にはダイキリの練習もさせてくれた。

いつも会いに行けば温かく迎え入れてくれて、帰り際には「それじゃあ頑張って!」と握手もしてくれた。

いつもどこかで私の投稿を見てくれていて、時に♡も灯してくれた。


まだまだ書ききれないけれど
これまで受け取ってきた優しさ、温もりの数々に、

その手の温かさに、しばらく思い耽りたい。

体中あふれるよ温かな手をありがとう
身に余る幸せに溺れるよ
海辺に咲くばらのお話/Cocco

今日も、そして明日も、私は生きることでしょう。
少なくとも、今この瞬間はそう思います。

すべての生存者(サバイバー)が、今日も良き1日でありますように。

【「手をつなぐ」それはとても温かくて、恥ずかしくて、うれしくて。】

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