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毒親だった父のこと。

私の父は、十三年前に54歳で亡くなった。
10年ほど病気と闘い、足を切断したり、透析をしたり、と壮絶な闘病生活だった。

今の私の歳にはもうほとんど家で寝たきりだったわけで、なんであんなに病気まみれだったのだろう、とずっと疑問だった。

父は、学生時代にはずっとラグビーをしていて、かなり体力もあり、産まれてから大きな病気もしなかったと聞いている。

しかし、スポーツをやめた社会人になってから太りはじめ、体重は100キロ超える相当な巨漢になったようだ。
偏食もかなり多く、野菜はほとんど食べない。
さらにヘビースモーカーの大酒飲みだ。
身体を壊すべくして壊していったように思う。

そんな父だが、健康に対し無頓着だったかと言えば、そういうわけではなさそうだった。
かなりの病院嫌いで、具合が悪くても病院に行こうとしないが、高額で健康食品をよく買っていたので、健康でありたいとは思っていたのだろう。

今思うに病院が嫌いだったのは、現実を直視したくないという気持ちの表れだったと思う。

現実を直視したくない、という父の心情は、日常生活にも表れていた。

増える借金、親戚との不和、荒れる家の中… これら全てを何らかの手段を講じて解決しようとするのではなく、楽な方法でフタをして、何とか自分の心も周りも誤魔化していたんだな、と思う。

借金に対しては、パチプロになり稼ぐ(無理でした)。
親戚との不和は、キレて絶縁する(その後、その親戚が自殺する)。
荒れる家は、放置(その後、競売にかけられ、私たち一家は家を追い出される)。

マイナスのスパイラルを、父は見事に自分で次から次に生み出していった。

しかし面白いのは、これらについて父と母は
「自分は何も悪くない」
「仕方なかった」
と公言して憚らなかった。

気づいたら、父と母の周りには誰も残らなかった。

父は孤独に死んでいき、葬式にも、友人知人は誰一人と来なかった。
来ない親戚さえいた。

父は、怒ったら母や私だけでなく他人さえもすぐに殴るくせに、本当はとても弱くて、いろんなことが怖かったんだと思う。

私は今でも父に対して許せない気持ちがあり、同情もできない。
自分の記憶から消したい、別の親の元に生まれ変わりたい、とずっとずっと苦しかった。

しかし、天国と地獄があるなら、父は絶対地獄に行っただろう。
私が閻魔大王ならそうする。
だからあえて私が父を裁かなくても、恨まなくてもいいのだ。
そう思うことにした。

今は、私は父の反対を行けばいいと考えている。
そして、父より絶対長生きする、と。

今日は、ふとそんな父のことを思い出した。
遠い故郷に、実家の墓参りにも行かないとな。

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