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サラエボ冬季五輪開幕から昨日で39年~オリンピック博物館~

サラエボと聞いて1984年冬季五輪が真っ先に思い浮かぶのは50代以上の方々でしょうか。(私の年代だとかすかに覚えている位かも)
昨日(2月8日)はそのサラエボ五輪が開幕してから39周年でした。

平和の祭典である五輪開催から10年経たずして激戦地と化したサラエボ。
オリンピック博物館も甚大な被害を受けましたが、博物館関係者の尽力により戦火を逃れて保管された思い出の品々はゼトラオリンピックホール(現・ファン アントニオ サマランチ オリンピックホール)に移転した博物館に展示されることになりました。

12年前の今日更新したオリンピック博物館関連のブログ記事

そして、戦火の被害を受けて30年近くの時を経たオリンピック博物館はようやく再建完了。2020年10月にようやく元の場所へ戻ってきたのでした。

復活してすぐに訪問したい気持ちはあったのですが、当時は新型コロナ禍真っ只中で国内の移動もままならず、結局念願の博物館訪問が実現したのは新型コロナの感染状況が少し落ち着いていた2021年夏のことでした。(といっても、まだまだマスクは必須でしたが)

オリンピック博物館の外観

初めて私がサラエボを訪れた90年代後半は街の至るところにまだまだ戦争の傷跡が生々しく残っていましたが、当時民泊させて頂いた方に「これがオリンピック博物館だったんだよ。」と教えてもらった時の衝撃と悲しみは今でも胸に刻まれています。
それだけに、こうして再建され復活した姿を目の当たりにし感無量でした。

「第14回冬季五輪博物館」と刻まれたプレート

以下、博物館内で撮影した写真です。(展示内容は2021年7月当時)

オリンピックホール内に仮住まいしていた時はごちゃごちゃした展示でしたが、博物館ではカテゴリーごとに見やすく展示されています。

サラエボ五輪当時はまだユーゴスラビアだったんですよね・・


サマランチIOC会長(当時)のコートと著書。
サラエボ五輪は同会長の下で開催された最初のオリンピックでした。

サラエボ五輪女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した
東ドイツ(当時)のカタリーナ・ヴィット。
ボスニア紛争中に開催された1994年のリレハンメル五輪では、当時戦火にさらされていたサラエボへの思いを込め「花はどこへいった」の曲に合わせて演技を披露したのも話題になりました。



被害を受けた博物館の白黒写真と共に戦火にさらされたメダルが展示。



館内にはオリンピック関連のポスターが数多く展示されてますが、
そのうちの1つがアンディ・ウォーホルの作品「スピードスケーター」。




そして、サラエボ五輪のマスコットである狼のヴチュコ❤
戦火を乗り越え、五輪から約40年の時が流れた今もサラエボの人気者。
ヴチュコには五輪当時からかなりの思い入れがあるので、次回はヴチュコの紹介を。

オリンピック博物館(Olimpijski muzej)
Petrakijina 7, Sarajevo 71000





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