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思いもよらないカミングアウトで、自分のセクシュアリティを晒すところだった

 自分がセクシュアルマイノリティであることを、周囲にカミングアウトするかしないか。
 当事者にしたら、それは悩ましい問題である。
 したらしたで、受け入れられることもあるが、そうでないことも多いし、それなりにリスクもある。
 しなかったら、それをずっとひとりで抱え込み、偽りの自分を演じ続けることになる。
 ここで相当悩む人も多いだろう。

 ちなみに私もセクシュアルマイノリティだ。
 そして、身近な人たちや職場の特定の人たちには、カミングアウトしている。
 私が家族である父と姉にそれをした時は、たしか何かの話のついでに言ったような気がする。
「実は私さ……」とかではなく「私、彼女いるんだよね」だった。
 先に言った姉の反応は「へー」であり、後に言った父の反応は「ああ?」であり、続いた言葉は「俺だっていないのに」だった。
 私はこの時ほど、自分の家族のこのドライさを、好きだと思ったことはなかった。

 それはさておき、そのカミングアウトである。
 このままならない世の中で、もう少し繊細に扱うべきであろうそれを、あんなところでやってまった!という出来事が起こった。
 久々にとれた連休、2日目のことだ。

 連休というのは、いつもの1日だけの休日より時間がある。
 それを、何もしないのはもったいないような気がして「せっかくだから、普段やらないようなことをやってみよう」と思い立った私は、朝一番で近くのコメダ珈琲店へ、モーニングセットを食べに行くことにした。
「モーニング」という言葉は、なにかゆったりとした、甘い響きがある。
 その響きに、私はちょっと浮かれていたのかもしれない。

 前の晩から、私は持っていくリュックに、財布やハンカチ、iPad、いつも持ち歩くA5サイズのリングノートやペンを入れ、翌朝の「コメダでモーニング」に備えた。
 iPadやノートやペンは、その時ちょうど、前回のエッセイを書いていたので「コメダでモーニング」の後、そのままそこで書くためのものである。
 今思うと、あんな暗い文章をよくそこで書こうと思ったな、と自分でも思うが、ただ単に「カフェで執筆」に憧れていただけだった。
 そして、それが間違いだった。

 翌朝、私は予定通りウキウキで、コメダ珈琲店へ行った。
 トーストにバター、手作りたまごペースト、アイスオーレたっぷりサイズの「コメダでモーニング」と「カフェで執筆」をした後、アパートに戻り、リュックの中身を出していた私は、あるものが無いことに気が付いて、愕然としていた。

 ノートが、無い……

 ノートは、エッセイを書くために使っていて、気が付いたことや、良いと思った言葉、ふとした感情、まあ色々とメモしているものだった。
 それだけなら、まだ良かった。
 問題は、そこに自分のセクシュアリティについても、ガッツリ書いてあるということだった。

 コメダに忘れてきたのか?
 もしくは帰りに寄った本屋で財布を出す時に落としたとか?
 いや、待てよ……そのあと、私はコンビニにも寄った。
 いやいや、落としたらフツーわかるだろ、あんなデカいノート!

あんなデカいノート。

 私は、努めて冷静に、パニックになりそうな頭で考えた。
 まず、コメダにノートを忘れてきたとして、隣の席には、たしか若い2人連れの女の子が座っていた。
 もし、私が席を立った後、あのノートが残されていたら……
「あれ?隣の人、忘れていったんじゃない?」
「何それ、ノート?店員さんに言う?」
「待って、ちょっと中、見てみたくない?」
「え、ダメじゃない?うそ、いっちゃう?」
「え、待って。やばっ」
「え、ヤダ、あの人……」
 恐ろしくなって妄想をやめる。

 ではもし、私が席を立った後、テーブルを片付けに来た店員さんが、残されたノートを発見したとしたら……
 とりえず、回収はしてくれるだろう。
「なんか、忘れ物っぽいんだよねー」
「何?ノート?」
「うん、ちょっと……中、見てみる?」
「え、いいのかな?でも、一応……って、え、待って。やばっ」
「え、ヤダ、あの人……」
 もうあのコメダには行けない……

 どっちにしろ結果は同じ妄想に、そして自分の愚かさに、私は打ちひしがれた。
 ああ、なんで私は、あのノートをあんなところに持って行ってしまったんだろう?
 しかもそこで私は、ノートをテーブルの上に出したにもかかわらず、一切それを開かずに、エッセイを書いていた。

 私はあのノートを忘れてきたことで、カミングアウトをしてしまったのである。
 あんな不特定多数の人が集まる場所で。
 わりと自分のセクシュアリティはオープンにしているほうだと思う私でも、さすがに嫌だった。
 自分のセクシュアリティが恥だとは微塵も思わないが、それを晒した媒体が紙のノート、ということに、妙な小っ恥ずかしさ感があった。
 私は「コメダでモーニング」「カフェで執筆」に心を小躍りさせていた自分を呪った。

 カミングアウトとは、やはり悩ましいことだった。

 最終的には、ノートはちゃんと家に持ち帰っていた。
 今も私の手元にある。
 あの後、忘れてきてしまったのは仕方ないと泣く泣く諦めて、掃除をはじめようとした時に、座布団の下から出てきた。
 もう二度と、こんな思いはしたくない。
 このことは、慣れないことはするものではない、という貴重な経験になった。
 そして、これまで自分がしてきた大雑把すぎるカミングアウトを少し……かなり反省し、それを受け入れてくれた人たちの大らかさに感謝した。

 まだまだ少数派より、多数派が強い世の中ではある。
 全てを受け入れてくれとは言わないが、それでも、自分のセクシュアリティをいう時に「カミングアウト」なんていう、仰々しい言葉を使わずに済むくらいの世の中になってくれると、ありがたいものである。

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