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ロシアでの育児②

5カ月までの日々、ソ連式育児の開始

 ※この話は6年前の話である!

産院を退院してから、生活は一遍した。
世の中のお母さんの偉大さと大変さに気づかされる日々であった。
題名にもあるように、私はソ連式の育児方法で育児を開始した。
同居していた舅姑の有難いアドバイスを頂き、妊娠中からベビー用品の購入についてなど助けて貰った。
私が探さなかったからだと思うが、日本にあるようなマタニティー誌など見たことがなかった。
情報はもっぱら舅姑やご近所のおばさん達だ。
別の回でも書いたが、ロシア人は一度心を開くと驚くほど親切になる。
しかし、彼女たちの情報は現代のロシア育児情報でなく一昔前、彼女たちが育児を経験したソ連時代式の育児だった。
 最初に驚いたのは、新生児の服についてだ。初めての子供だし、私は可愛い服を沢山買ってあげようとウキウキしていたのだが、
「子供はすぐ大きくなる。服は沢山いらない。」と言われ、私の小さな夢は散ってしまったのであった。
では生まれたての子に何を着せるのか??
それはである。綿100%の縦1メートル横2メートルのシーツのような布を子供に巻くのだ。勿論寒いので、1枚は薄い生地、2枚目は厚めの布を巻いた。

ロシアのおむつ事情


おむつは日本製が売っていたが、価格は日本の3倍!10万円未満のお給料では勿論購入することなんて出来なかった。(給与事情については月刊ショパンを読んで頂きたい)
だから日本でも流行りの布おむつを私は取り入れなければならなかった。
布おむつ用のパンツなんて売っていない。だから、赤ちゃんのお股に小さい布を当てて、そして身体は布を巻くのだ。
お気づきであろう、洗濯が大変なのだ!3時間置きにおむつの交換、そして毎回の洗濯は洗濯機を使用してはいけなかった。新生児の肌に直接あたるものは手洗いでなけれでばならないという舅姑の教えの元、1歳までこの生活であった。
洗濯は手洗い、その後殺菌する為アイロンがけをした。おむつの布、身体を巻く2枚の布、そしてベットのシーツ2枚を全部手洗い。
今考えると、どう生活していたのか記憶にない。
遠出する時用に日本製のお高いおむつを買ったが、ほぼ使うことはなかった。

音楽の力で生かされる日々

大変だったが、心の支えはやはり音楽であった。この頃毎日聞いていた音楽、それはラフマニノフの楽曲であった。出産1年後にラフマニノフのピアノ協奏曲第3番が決まっており、練習が出来ないため耳だけでも彼の世界に入ろうと毎日聞いていたのだ。先輩ママから育児は大変だ、コーヒー飲む時間すら取れないと聞いてはいたが、私ならピアノを練習しながら育児できるでしょ!とお得意のプラス思考でコンチェルトの仕事を受けたのだ。正直寝る間もない程育児が大変だとは思ってもみなかったし、3時間毎に変えた汚れたシーツと手荒れした指をみて「コンサートに間に合うのかしら」と不安に陥った。抱っこする度に手首は痛み、ピアノを弾いていても経験しなかった「腱鞘炎」に似た症状に悩まされる日々であった。しかし、私のモヤモヤとする気持ちを払拭してくれたのは、ラフマニノフの作品、特に1番心が救われたのは前奏曲作品23-4だ。この作品は彼の娘が生まれた時に作曲したと言われている。冒頭の左手は娘を優しくなでているよう、その後に来る右手のメロディーは優しい口調で娘に話しかけるように聞こえる。出産後の自分とラフマニノフの気持ちがリンクするようで、全てのメロデイラインと和声が身体にスッと入ってきた。この作品は今でも私のレパートリーである。
 

有難い制度

大変な経験ばかり書いたが、ロシアの制度に感嘆したこともあった。
産後から母乳が出ず粉ミルクで育てることになったのだが、おむつのように高額なのかと最初心配していた。しかし、病院から母乳が出ないと診断書を書いて貰うと、1カ月に1回粉ミルクを無料で配布してくれた。これは大変ありがたい制度であった。しかも毎回4箱以上貰い、毎月余ってしまう程配布してくれた。
 5カ月目に入るとほんの少し余裕も出てきたので、カルーガ音楽学校の練習室を借りて練習を始めた。もちろん我が子も一緒だ。綺麗な音で弾くと泣かないのだが、汚い音や間違えた音を弾くと泣き始めるのだ。ここまで純粋な聴覚は恐ろしい!耳のいい先生が隣にいるので、よい緊張感の中集中して練習をした。(この耳は現在も健在である!)
音楽環境下で育つと耳が出来てくるのだろうか?妊娠中、私はショスタコーヴィチの交響曲7番のピアノを担当しロシア国内の演奏旅行に同行した。胎教にはモーツァルトが良いと聞くが、なかなか激しい曲を聞いて育ったのだ。さて胎教の選曲が良かったのかこれからの彼女の成長が楽しみである。


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