彼の姓にしなかったことで、母の人生も好転した話②
*この話は「彼の姓にしなかったことで、母の人生も好転した話①」の続編です。
実の親をも殴る父
早稲田大学を卒業し、小中学生向けの塾の塾長をしていた父は、教育熱心で生徒・親ともに慕われ、塾内の人気投票で一位になるような講師だった(らしい)。
しかし、家での姿は違っていた。
塾長ともあろう人物が、我が子を地元の公立中学で甘んじる訳もなく、特に私より二歳上の兄の教育に関する執着は常軌を逸していた。兄を地元の名門中学に入学させるために必死になっていた父は、「公立小での勉強は無駄だから行くな」「くだらない連中とは付き合うな」と、兄を家に軟禁し、歯が折れるほど殴って勉強させた。兄は小学校生活の最後の2年間、学校に通っていない。
愛する息子が殴られ蹴られている姿を見ていられず、止めに入ろうとする母にも、父は暴力を振るった。そして「女子短大卒で専業主婦のお前に口出す資格はない」と蔑んだ。
2歳下の私は、そんな父の怒鳴り声に毎夜耳を塞ぎ、学校では「楽しい家族旅行」の絵を妄想で描き上げるような子ども時代を過ごしていた。
「女の幸せ論」と母
女の子はお裁縫とお料理さえできれば幸せになれるーー。今の時代、これが誰かのツイートなら炎上一択の「前時代的な女の幸せ論」が圧倒的市民権を得ていた1950年から60年代に、母は幼少期を過ごした。(1950年時点での生涯未婚率は1.35%、女性の平均初婚年齢は23.5歳だったそうだ)
あの上野千鶴子さんだってまだ小〜中学生くらいの時代に、女性にも多様な生き方があることを示してくれるロールモデルが身近にいることは考えづらい。1960年代後半に起こった「ウーマン・リブ」運動だって、多くの女性にとってはどこか浮世離れした、自分自身を投影しづらい世界だっただろう。
短大を卒業後、本人曰く「結婚までの暇つぶし」として事務職に就いていた母は、長年付き合っていた彼に28歳で振られた。30歳を目前に控えた未婚の娘を見て、祖母は「あんた、早く結婚しないでどうすんの」と急きたてた。そして急いで結婚した相手が、スポーツジムで出会った父だった。
ほどなくして母は、父は昔から実の母親や弟、そして姪にも異常なまでの暴力を振るっていたことを父の親戚伝いに聞いた。
それでも、女性として自分の羽で飛ぶ方法はおろか、羽の存在すらも教えられていない母は、「この人と結婚するべきではない」という周囲の声、そして自分の心の声に蓋をして、結婚に踏み切った。
今以上に女性が未婚のままでいることへの経済的な不安やリスク、キャリア形成について学ぶ機会の乏しさ、ロールモデルの少なさ、さらには女性が未婚でいる事への社会的なイメージの悪さを考えると、今から結婚しようとしている男が実の親にも暴力を振るうような人であることは、結婚を取りやめることに比べると"取るに足らない"ことだったのかもしれない。
母のこの選択は、今の時代を生きる私からすると到底共感できるものではないものの、当時の母を責めることはできない。
ジェンダーギャップ指数116位の「ジェンダー後進国」の日本でも、多様な生き方を体現する女性たちについての情報に日常的に触れることはできる。
今の私の価値観で、当時のアラサーの女性たちをジャッジすることは無理があるのだ。
さすがに「女の子はお裁縫とお料理さえできれば幸せになれる論」は誰が聞いても古い価値観になりつつある(よね?)。しかし、女性は働く男性を支えるべき・男性は女性を守って/養っていくべきという社会的役割の刷り込みが、経済的に夫に依存するほかない女性達や、出世への挑戦を強いられ弱音を吐けない男性を大量生産させているのは、今の時代も大して変わらない。
ともあれ、こうして父の姓になった母が本当の自分を取り戻すまでの37年間は、こうして幕を開けた。
(続く)
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